竹中労さんの思い出(19)

 全くもって凄い状況で、別れの音楽界当日を迎えたのですが、この実行委員会の面々の中にはいろんな人がいました。私の仕事は進行のアシスタント。こう書くと聞こえはいいですが、何かとあわただしいステージ裏の雑用係でした。まあ、力仕事をこなすしか取り柄がなかったのですけどね。その時ご一緒したのが、先日『竹中労・無頼の哀しみ』(現代書館)を出版された木村聖哉氏でした。実際のところ、当日は会場の表と裏で役目が違ったということもあり、直接お話ししたことがないのですが、今回の著書については、ちょっと一言言いたくて。でもって、やはり今年中に書いておかないとと思いましてね。

 この本を書く元になったのは、とある雑誌での同名の連載で、それを再構成したものということになっています。その時は感じなかったのですが、その後単行本になってなにやら疑問点が出てきました。その点というのは、ことごとく著者の木村氏が『話の特集』・矢崎泰久氏に取材した分なのですね。それこそ、中山千夏&矢崎泰久氏の共著による『湿った火薬/小説革自連』の記述がほぼ真実だとこの本では紹介されています。その点について、私にはわからないながらも、新雑誌エックス1984年6月号において「『湿った火薬』に火をつけてみよう」と題する労さんの文章がまさに好対照をなしています(この文章は単行本で再録されています。幸洋出版『人間を読む』。興味のある方は古本屋さんを探してみてください)。真実は一つだからこそ、双方の言い分を消化した上で書いて欲しかったと私などは思うのですが。同じ理由で、労さんが80年代の初め頃まで共産党にいたということを、矢崎氏の言い分だけを聞いて活字にするというのも解せません。少なくとも労さんが共産党のために様々な活動をやっていたとするならば、私もこれだけのめり込んで、ホームページで紹介してないでしょうし。思うに、何より恐いのは予備知識なしでこの本を読んだ人にとっては、木村氏のこれらのメモでありデッサンであるものを真実だと誤認する可能性が大いにあるということ。果たして木村氏にはそこまで考えた上で書かれたのでしょうか。どうにも私にはわかりません。

 さて話は戻ります。台風の影響は出演者までに及ぶことを恐れていましたが、なんとかギリギリで本番に皆さん間に合いました。あわただしい雰囲気の中、着々と準備は進んでいきます。当日はステージ裏にいたので、お客さんの様子とか会場の雰囲気というのはちょっとわかりませんでしたが、何とか音楽界はスタートしたのでした。(99.12.27)


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