竹中労さんの思い出(17)

 改めて今、これを書くために当時の資料を読みあさっているのですが、静岡と東京がいかに近いとはいえ、毎週のようにいったり来たりしていたのでした。しかも資料はすべて手書きです。そのころはワープロを使うと倍時間がかかるので集計表に定規で線を引いて表を作ったりしていました。今だったらそんなことやる気もしませんけど。とにかくその当時は、作業のできる兵隊ということで、いろんな仕事が回ってきたことだけで嬉しかったですから。

 時間的には少し戻りますが、第一回の実行委員会の前に討議資料だけはそろえておかないといけないということで、都内だけでなく周辺の大きなホールの空きを調べるため、電話を掛けまくっていました。一応希望日にどんな予定が入っているかを聞いて、その他に空きのある日も聞きます。そうして、空きがあった場合は借用方法や借用料についても聞いて判断の材料にするのです。さすがに日本武道館には掛けませんでしたが、かなり大きな所にもダメでもともととの意気込みで掛けてみました。したらやはり、ほとんど全滅でした。掛けていていろんな人とお話ししましたが、そこでの対応というのは大切ですね。とあるホールなど、最初につながったところは感じのいい受け答えだったのが、ホール事務所につながったとたん、ものすごい剣幕でまくし立てられまして。まったく、そこの運営母体である宗教団体まで嫌いになってしまいましたからね。

 二回目の実行委員会では、結局関係者のコネを使うのにも、すぐにでは無理があるということで、私らが電話を掛けまくったホールの中から決めることになりました。そこでたまたま電話での感じがよかったということと、そのホールへ労さんが行ったとき、会場で写された写真が残っていて、その写真がとってもよかったという理由で、埼玉県川口市のリリアメインホールに決定しました。その写真は当日会場で販売したパンフレットにも載っています。先日出た『ルポライター事始』(ちくま文庫)では、在庫はまだ事務局にあるそうですので、興味のある方は本を買って問い合わせてみたらいかがでしょうか。

 日程も9月20日の金曜日と決まり、仕事を休むのも一日だけで済むということになり、これからは一気に実務が増えていくことになります。準備期間はおよそ2ヶ月半。プログラムはたまの演奏が第一部、そして沖縄から演者を呼び、『琉球フェスティバル』を再現する。というのは他の方が手配することで(^^;)、私の方はもっぱら裏の細々とした仕事を引き受けることになるわけで。(99.5.31)


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