竹中労さんの思い出(15)

 前回、労さんの著作の復刊情報を書いたところ、数名の方から問い合わせをいただきました。先日、インターネットで古本屋さんの情報を閲覧していたら、かなり高額で労さんの著作が出ているのでびっくりしました。特に、今回復刻の一番手となるであろう『ルポライター事始』は、一万円ですからね。より多くの人に、労さんのことを知ってもらうには、新刊での復刻というものが一つのキーワードとなるでしょう。とはいっても、私にはどうこうする力もなんにもないのですが、お手伝いできることがあればなるべくいい方向に向かうように手伝わせていただきたいなと思っています。新刊情報は、動向がわかり次第、ここか別に場を設けてお知らせしていきたいと思っています。

 さて、話を戻します。はっきり言って労さんの一連の行事が終わるまでは、何が何でもそちら優先のスクランブル体勢を取っていましたが、その後はちょっと力が抜けました。ファンの方々のために『別れの音楽会』を行うというのは内輪で話をしているようでしたが、さすがに私の出る幕はないと思っていました。風の会に出ていても、常に若い人が回りを囲んでいましたし、編集者や音楽プロデューサーなど、コンサートを開くノウハウにたけている人たちが大勢いるようでしたから。まあ、コンサート当日になったら人海戦術の兵隊としてお役に立てればなんてことを思っていたのですが、ことはそう簡単にはすみませんでした。なんと、9月に開催予定の『別れの音楽会』を手伝って欲しいとの話があったのでした。

 考えてみれば、スタッフとはいっても皆さんそれぞれに忙しい仕事の合間を縫って参加されているということなので、細かい事務処理を受け持つ人がなかなかいなかったということなのでしょうか。最初に頼まれたのは、会場の手配の準備でした。

 会場といえば、斎場へ向かう車の中で、日比谷野音はどうの、日本武道館はどうのと、景気のいい話が聞こえてきていましたが、一番の候補地だった日比谷野音(琉球フェスティバルを最初に行った場所)が予定する日程では使用不能だそうで、現段階で会場の空きを調べる必要性が出てきたということでした。それにともなって利用したのが、『ぴあ』で出している関東周辺のホールマップという奴。それを元に、キャパシティが千人前後のホールをピックアップし、希望の日程を言って空きがあるか調べてもらうのです。もちろん竹中労云々という話はホールの人とはしません。思い入れのある場所として野音の他には、あの浜田幸一と喧嘩したという新宿コマ劇場、TBSの中継カメラと一悶着あった九段会館、琉球フェスティバルの会場として使ったことのある厚生年金会館などありましたが、急な話で年内未使用日がないといわれることが多く、範囲を東京周辺に広げざるを得ませんでした。日程との関係もあります。とりあえず結果を事務所にファックスし、今後の対応策を練ってもらいます。『別れの音楽会』は、実行委員会形式で運営するということで、その第一回実行委員会が東京で行われることが決まりました。当時は、果たしてこれからどうなるのだろうと、不安感を覚えていました。

(15) おわり


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