竹中労さんの思い出(14)

 昨年、1998年から始めたこの文章ですが、今年は何やらいろんなことが聞こえてきてます。ファンである私としては、古書ではない著作を読みたいというのが希望としてあったのですが、何とことしはその希望が叶いそうなのですよ。『ルポライター事始』は以前出る出ると言われていながら出なかったのですが、今回は本当に出そうという情報を入手しました。また、あくまで予定としてですが『黒旗水滸伝』、『琉球共和国』、『聞書庶民列伝』と復刊予定が目白押し。今から購入のために貯金をしておかないと。

 さて、話は戻ります。小石川のマンションに内々で人を招いて、夜からお別れの小宴をするということで、いつの間にか今まで一緒にいた仲間内の人たちもいつの間にか帰ってしまっていました。考えてみれば、単にファンである私たちから見るとすごい人たちが集まるのですから、当然の行動なのかも知れませんでした。実際に招かれた人たちは、雑誌で労さんの担当をしていた方や仕事でのつき合いがある人、それから、テレビでもよく見かける女優さんまでいらっしゃり、どこの位置にいようかと真剣に悩んだ程です。しかし、人が集まれば雑用というものはあるもので、なるべく人の迷惑にならないようにしてました。

レジスタンスのコニャック だんだんと人が揃ってきたところで献杯となります。私たちの目の前に、注がれたのは一本のコニャックでした。フランスのレジスタンスが作ったとかいうもので、労さんは最後までお医者さんから酒を止められていたのですが、死ぬ前にこれを飲んでみたいととって置いたものだったそうです。献杯の合図の元に、目の前の杯を口に運びます。勿体なくて一息には飲めませんでしたが。
 その後にもいろんな話を聞かせていただきましたがここでは書きません。どんな人が参加していたのかも書きませんが一人だけ実名を挙げてしまいましょう。皆さんは『噂の真相』という月刊誌はご存じですよね。その編集長といえば岡留安則氏。労さんは亡くなる直前まで噂の真相に連載を持っていたので招待されたのでしょうがこの人、カメラを持ち込んで、その場の様子を遠慮なく撮っていたのです。そのあまりの堂々とした仕草に、ああこれは事務所の人に話を通してやっているのだなと私は思いました。後から聞いたら、他の方も同じことを思ったそうです。そうして、次の月の『噂の真相』のグラビアページに、その時の様子が出てしまい、その時に関係者の承諾なしということがわかったというわけ。何というか、まさに開いた口が塞がりませんでした。まあ、他人のことを面白がっている分にはあの雑誌は読んでて面白いのでしょうけど、知り合いが絡むとやはりとんでもないですよね。

 会は延々と続く気配がありましたが、何しろ仕事のある身で平日のことですから、最終の新幹線に間に合うように私も小石川のマンションを後にしました。まさにとんでもないいろんな人と出会い、こんな場に居合わすことができた事の成り行きが不思議でしたね。まあこれで、こんな事はもうないだろうと思っていたのですが。

(14)おわり


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