竹中労さんの思い出(13)

 いつものように、新聞を読んでいたところ、文藝春秋の広告が目に留まりました。特集記事に『とっておきの秘話で綴る 平成日本50人のレクイエム』とあり、50人の人物と、それを綴った人たちの名前が列挙されていました。このような記事を見ると、つい労さんはいないだろうかと探してしまうのが悪い癖なのですが、今回は本当に労さんの名前を見つけてしまいました。一体誰が書いたのだろうかと執筆者の欄に目をやると、長く労さんの元でアシスタントをしてた、私もいろいろとお世話になった方の名前があったんですね。これはもう、買うしかないでしょうということで、普段なら目もくれない月刊誌『文藝春秋』を購入してしまったのでした。

 中を開くと、どうも「綴る」とうたっておきながら、全編話し言葉で書かれていて、どうやらこれはインタビューを中心にした構成の記事だと思いました。いきなり看板に偽りありということですが、まあいいでしょう。ここではいろいろ興味深いことが書かれています。労さんは実に若い人が好きだったそう。何かあると自宅で飲み会を開いたりしていて、なんて話は私も聞いていましたが、実際労さんと自宅で飲んだことはなかったので、そうした経験ができた人を羨むばかりなのです。

 労さんの猫好きは有名で、自宅には沢山の猫が生活していたそうですが、そういえば、雑誌「猫の手帳」に執筆していたこともあったそうですね。また、じゃりんこチエをこよなく愛したり、おかしづくりの本があったりと『喧嘩の竹中』という風評からは違っているようです。出棺を済ませて、小石川のマンションに帰ってきた私たちは、夜の仲間内でのささやかな宴の間まで時間を過ごしました。事務所の留守電にはかなりの伝言が入っているようなので早速聞いてみます。しかし、ほとんどが留守電だとわかるとすぐに切ったみたいで、全然メッセージが入っていません。そんな中でも、どこかの公衆電話かららしい一件があって、30秒あまりも無言のメッセージに、もしかしたら「たまの本」を読んでファンになった若い子ではないかなあと思ったことを覚えています。そんなファンの子たちは、今でも連絡をくれると今回の記事の中でも語られていました。こういうのは物書きの財産だなあとしみじみ思います。以前にも書きましたが、「たまの本」を書いた意味というのは大きい。最近ではリサイクル書店の本棚に結構揃っていたりもするので、興味のある方はぜひご一読を。

(13)おわり


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