竹中労さんの思い出(11)
とりあえず、五月二十一日の朝、新幹線に飛び乗りました。小田原から在来線に乗り換え、大船駅を目指します。大船駅からタクシーに乗って十分ほどでしょうか。自宅の前には、バスが止まっていました。玄関を通ってアシスタントの方にご挨拶。コーヒーを入れてもらいながら、まずやったのは弔電の整理でした。旧友かららしい電報が多くて、その中で誰かわかったのは、劇作家の山崎哲さんだけというのはちょっと恥ずかしかったです。それでも、「金曜プレステージ」で競演し、画面でも非常に心酔されている様子を存じ上げていたので、妙にじーんときましたが。
出棺は十二時半だということで、しばらく間があります。そこで、昨日来からの話を伺いました。これは以前からおっしゃっていたことで、自分の意識がなくなった後は仕事上で深い付き合いのある四人以外には会いたくないというはっきりとした意思表示をされていたということです。側近の方々はそうした労さんの意向を尊重したとのこと。しかしながらその顔は、みんなに見せてあげたいほど素敵だったという話でした。しばらくして、葬儀屋さんが棺の中に献花してくれと私たちに声を掛けてきまして、今まで話し込んでいた部屋の向かい側にある部屋へ行き、花を棺に敷き詰めることになりました。お顔は拝見できないながらも、これが私にとっての労さんとの再会でした。花を敷き詰めた向こう側には、明らかに人間の感触があります。はっきり言ってたまらなかったですね。
しばらくして蓋が閉められ、出棺になります。外に出す前に、棺を黒旗で覆うことになりました。大きな黒旗を棺にかぶせて、葬儀屋さんの指示に従って運びます。出棺の写真を撮っていたんですが、その時はどういう表情をしていいのか、本当に困りました。私なんかが出棺に立ち会っていいのか、そんな思いがあったのは事実でしたし。
まあ、それでもつつがなく出棺が済み、私たちはバスに乗り込みました。これから斎場に向かうのです。それにしても、前の日からの事務所の混乱はものすごかったそうです。留守番電話に誰かは知らないけど、ビートルズの編集したテープを十分あまりも延々と流し続けた人がいたといいます。気持ちは分かるけど、そんなことをされると困るなんて事までは考えなかったのでしょうか。葬儀の代わりに『別れの音楽会』というものを開催する、ついてはこちらまで連絡をという内容の新聞記事がはからずも出てしまい、電話番号を書かれた事務局はてんやわんやになっていたそうなので、なおさらでした。留守電の録音テープがそれだけ使われちゃうんですから。また、あまりにも長い話し中に、側近の方の自宅にもその一部が回ってきたということでした。全く人騒がせな話なのです。(11) おわり
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