竹中労さんの思い出(10)

 引っ越しの手伝いから帰ってしばらくは、意図的に労さんのことは考えないようにしていました。いつもの通り友達と遊び、仕事をし、ぼーっとしながら過ごしていました。5月のゴールデンウイークには仙台まで車で出かけたりして、まあ普段通りの生活をしていたのですが。その後10日に発売の『噂の真相』は、当然のことながら労さんの連載は中止でした。その後出る『ダカーポ』の連載も落ちるということでしたし。まあ、当然だろうなという感じがしましたね。また、その後、17日に創刊された文藝春秋社の『マルコポーロ』に原稿を書くということでしたので本屋で確認してみたところ、残念ながら全く労さんの香りはなかったのでした。そして、19日午後9時58分永眠。私がそのことを知ったのは、翌日の新聞の訃報欄を見たときのことでした。

 いつものごとく、外に出て新聞を取りに行き、ベッドの上で改めて寝ぼけ眼のまま読むのですが、その時はさすがに一気に起きてしまいました。でも、こちらとしてはその事実をあるがまま受け入れるしかないし、その日(20日)はそのまま仕事に出ました。

 その後昼頃に、自宅の留守電にメッセージが入っていました。何かと思ったら、労さんの事務所からで、明日出棺があるのでこちらまで来て欲しいという内容だったのです。すぐさま詳しいことを聞き、翌日の集合時間と場所を確認し、電話を切りました。しかしまあ、その時はびっくりしました。何と言っても別に労さん本人に教えを受けたわけでもなく、ただ単に、間際で手伝うことができたというだけのことでしたから。すぐさま仕事がらみの連絡をつけ、翌日の21日は火曜日でしたが、仕事を休んでとりあえず労さんの自宅のある大船に向かったのでした。

(10)おわり


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