竹中労さんの思い出(9)

 労さんの鎌倉の自宅(仕事場)は、大船高校のそばの高台にありました。同じような建物が並んでいてちょっと迷ったのですが、トラックが停まっていたのであたりをつけて入っていきます。そうしたら、風の会でお世話になっていた事務局兼アシスタントの方が出てこられました。結局、引っ越しに現れたのは、風の会の参加者であるもう一人の男性と、風の会とは関係のない労さん側近の男性のみ。まあ、都内のマンションへ生活物資と必要な本を含む仕事道具を運ぶだけだということで、作業に入りました。

 こうして、私は図らずもプロの物書きの仕事場を見ることになったのですが、はっきり言って梱包作業の手を休めたくなってしまうほど刺激的でした。そこには、労さんが書いた様々な文章の参考にしたであろう本の山があったからです。本棚に並ぶ本の種類については、ダイヤモンド社刊・「本棚が見たい!」(川本武・著)に「竹中労の本棚」として載っていますので、興味のある方はどうぞ。それにしても、ちょっとした原稿の依頼であっても、そのために資料として読む本は、半端な数ではなかったという話を本の海を前にして聞くと、説得力があります。やはり、ものを書く人は、それ以上に本を読んでいないとだめであるなあとつくづく思った次第です。まあ、それから7年経った今でもなお、ろくに本も読めない私ですから、まったく自分が嫌になってしまいます。

 まあ、それは置いておいて、無事にトラックに荷物を乗せて、私たちは電車で引っ越し先である小石川のマンションに向かいました。しかし、引っ越しをすると言っても、部屋の住人が本当にここで生活することになるのかわからない引っ越しであるわけで、そこのところでどうも気合いが入らない部分があるようでした。まあ、淡々と引っ越し作業を進めていたのですが、びっくりしたのはどこで聞いてきたのか、作業の最中に新聞の勧誘が来たことです。確か朝日新聞でしたが、さすがはプロと言ったところでしょうか。

 何とか引っ越し作業も終わり、軽い食事の後トラックを返しに行くついでに何と労さんの入院している秋葉原の三井記念病院に行くことになりました。間際まで仕事をするために、清書用のワープロを持っていくということでした。私の方でも東京駅方面まで送ってもらおうと言う魂胆だったので、図々しくもついていくことにしました。労さんの入院しているのは15階の特別室で、ワープロを持ってエレベーターに乗り込みます。私としても昨年の末以来だったので、どんな感じなんだろうと思いながら挨拶だけでもしておこうと労さんのいる部屋へと入っていったのです。

 アシスタントの方が、引っ越しの手伝いをしてくれた寺田君ですと言い、それに呼応する労さんの声は弱々しいながらも「ありがとう」と確かに聞こえました。労さんの姿は、つい先日まで口述ながらも仕事をしていたとはにわかには信じられません。こんな状態の中でも仕事をする意欲が衰えないとは、何という人なのだろうと強烈な印象が残りました。この時は、もう何もできない状態だったらしく、執筆用に用意されていた部屋も、運び込んだワープロも、結局使われることはありませんでした。

(9)おわり


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