竹中労さんの思い出(3)
新雑誌Xでの労さんの活躍は誠にすさまじいもので、パレスチナ旅日記、数々の人物インタビュー。そして何より楽しかったのが、毎月のテレビ番組をまな板に乗せ、ご隠居である労さんを囲んでの座談会といった面もちの『三酔人テレビ談語』(後に『人間を読む−必見・かい人21面相−』(幸洋出版)収録)。実はこれは、三名の座談会といった形式をとりながら、労さん一人の「作品」であったのでした。労さんの言葉で言えば、「(中江)兆民先生に及びもせぬが」と、中江兆民の『三酔人経綸問答』(現在は岩波文庫で入手可能)にならい創作されたとのこと。この連載は、あるやんごとなき事情で中断されますが、後に別の雑誌で復活します。
さて、その後私は一冊の本と出合います。現代書館の「FOR BEGINNERS」のシリーズは、学校で教えてくれない様々なことを知るためのテキストとして、興味ある内容のものが出ると大体購入して読んでいました。そこに現れたのが、竹中労著・『大杉栄』だったのです。その当時、私は大杉栄というのが何者なのか一切知りませんでしたから、本の最後に「大杉栄は、私である!」と言いきってしまう労さんの真意はどこにあるのかということで、自然と大杉栄本人にも興味が湧きました。大正デモクラシーの混沌とした時代にアナキストとして革命運動に活躍した大杉は、あの関東大震災のどさくさに紛れて、国家権力の謀略によって惨殺されたのだと労さんは主張します。そこにあるのは、労さんの大杉栄に対する憧憬であり、労さんもアナキストとして大杉栄と同じ道を歩もうとしているのだと私には実感できました。考えてみれば、アナキストは一切の権威を認めないのですから、労さんのとる激しい行動は、ある意味ごく当たり前のことでもあるわけでした。巻末にはあとがきとともに、労さんが主催する講座の案内が載っていました。
私は別に、講座に出ようと思ったわけではなかったのですが、本を買ってからしばらくして、その住所に手紙を書きました。「本の内容は非常に面白かったです。でも、講座に出るには静岡からだと遠いので、まあ、遠くからご活躍を祈ってます」と、今考えるとかなりおかしな内容でした。ただ、その当時のことを考えてみると、どうにも手紙を書かずにおられなかったようです。ですから、実際に手紙の返事が来たときには焦りました。中には、「静岡では遠くない、参加者の中には北海道や九州から来てる人もいるのだから、あなたも是非講座をのぞいてみてください」というようなことが書いてあったと思います。で、それを読んですぐに講座に出かけたかというと、そうではないというところが今考えると不思議です。それから、何回も会合の案内を送ってもらい、事務局の人の思いやりが嬉しく、遂に東京まで出かけることにしました。それが「風の会」でした。(3) おわり
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