竹中労さんの思い出(2)
労さんの著作や、雑誌などに書かれた署名入りの原稿を探し求めていた私だったのですが、ちょうどその時期に月刊誌「現代の眼」が廃刊してしまいました。この雑誌は、労さんが多く原稿を寄せていたのですが、政府が総会屋を企業から閉め出すために商法改正を打ち出したおかげで、その影響をもろに受けてしまったようです。商法改正により、総会屋に金品を渡した企業は処罰されると言うことになりました。いろんな名目があるのでしょうが、例えば総会屋が会報を作り、その広告費などの名目で資金を提供する代わりに株主総会で円滑な議事進行に協力する。実際にそんなことはなくても、ある特定の個人または団体に名目が何であれお金が渡っているということがあってはまずくなったのです。そのため、企業は表面的にはおとなしく法律に従ったかのように見せていました。しかし、海の家利用料などの名目で、法律の網をくぐり抜けた資金の提供が続いていたという現実を見るにつけ、「現代の眼」廃刊について、何かやりきれないものを感じてしまいます。
その「現代の眼」編集長であった丸山実さんが、何とかして月刊誌を出したいと労さんのところに相談に来たそうです。労さんは、月刊誌にした際の金銭面的な苦労が予想できたので、「現代の眼」という名前は残し季刊で続けてみてはどうかと助言したようですが、丸山さんはあえて新しく、月刊誌を作る方向で動き始めました。そうして出たのが、雑誌「新雑誌X(のちに新雑誌21)」でした。たまたまというか、本屋さんで創刊準備号を手にした私は、当時としてその定価の高さに驚いた記憶があります。総ページ数が142で500円だったのですが、創刊準備号の表紙をめくると「なぜ定価が500円になったのか」という説明があります。スポンサーはなく、広告もほとんどない。執筆者は金を志に置き換えて、タダの原稿を載せたそうですが、その中で一番目立っていたのが労さんでした。何と言っても連載の数が多い。人物インタビューから特集記事、テレビ座談会から音楽コラムと、編集顧問として名を連ねていたことはありますがものすごい活躍ぶり。読んでいるこちらとしては、大変嬉しいことであるのですが、書いてる方としては、今こんな駄文を書くのにさえヒーヒー言っています。ちょっと想像できないぐらい大変ではなかったかと思うわけですが、そんな中、いかにも労さんらしい、こちらとしては痛快ながらも残念な、音楽コラム連載中止の顛末をご紹介することにします。
音楽コラムの執筆者は「夢野京太郎」といいました。これは、ストレートに労さんのペンネームでないことは後でわかります。いろんな仕事の中で、共同作業を行った際の合同ペンネームという位置づけで、労さんがその管理をしているという形をとっていたようです。その「夢野京太郎」に、一人の読者が手紙をしたためたことが発端でした。つまりは、まだ連載2回目のコラムの内容についてあら探し的な批判のお便りがあったようです。ここに至って怒り心頭に達した夢野京太郎、3回目の連載のタイトルが「あえて、読者を叱る!」。
投書の内容を紹介した後「五百円払って王様にでもなった心算か!」と一喝。「こんな読者をオレは相手にしたくない」と、本当に次回から音楽コラムがなくなってしまったのでした。しかし、「五百円払って……」のくだりはどこかで一度使わせてもらいたいぐらいよかったですね。パソコン通信歴が長い私は、2千円ぐらいの投資で、しかも読んでいる人も同じように金を出しているのに、自分が「王様」だと錯覚しているような人を何回も目にしてきました。本来ならそこで、この決めゼリフを出すところなのですが、その後の対応が重荷になるだろうなと考えたり、最悪の場合その場所から出て行かなくてはならないのではと考えることが先に出てしまい、なかなか実行に移せませんでした。そんな私だからこそ、労さんの豪快さには心底しびれてしまうのかもしれません。「喧嘩の竹中」と呼ばれ、毀誉褒貶が聞かれることもありますが、私にとってはそんなことは百も承知で労さんの文章を読んでいました。(2) おわり
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