竹中労さんの思い出(1)
人との出会いには、いろいろなきっかけがあります。直に会うということができれば一番いいのですが、なかなか地方にいると会うことは難しいものです。そんな私が最初に労さんに会ったのはテレビのブラウン管を通してでした。うっすらとですが覚えているのは、よみうりTV「全日本歌謡選手権」。知らない方のために簡単に説明しますと、プロでもアマチュアでも参加できる歌のオーディション番組で、10週勝ち抜くとデビューできるという魅力がありました。しかし、審査は実に厳しいもので、ベテランの歌手が二十歳にもならないアマチュアの少女に敗れたりする。その様子が実にスリリングで、詳しいことがわからない子供心にも非常に面白かったことを覚えています。この種の番組の質を維持するためには、厳正なる審査が必要であるということは、いうまでもないことですが、そこの名物審査員としてとても目立っていたのが竹中労さんなのでした。
1965年に上梓した単行本「美空ひばり」(朝日文庫で大幅な書き下ろしと共に後日復刊された・左の画像)がベストセラーとなり、「ひばりウォッチャー」なんていう呼ばれ方も後にはされましたが、そうした芸能への思い入れが審査員としてのテレビ登場という形になって現れたのかもしれません。しかし、見ているこちらとしては、いつの間にかいなくなったという感じで番組から降板してしまいます。「全日本歌謡選手権」からはあの五木ひろしがデビューを果たしましたが、これは労さんがその五木ひろし出演に絡んで審査員を辞してからの出来事です。また、数年前から注目されるようになってきた天童よしみさんを絶賛していたのが労さんであり、彼女の芸名をつけたり、彼女のために作詞までしています。美空ひばり亡き後になって評価されるというのも何だか皮肉ですが、それだけ彼女の歌唱力は称賛に値するということでもあります。
その後、私と労さんが再び出合うまでには、長い空白の時間があります。考えてみても、テレビやラジオ以外に接触する機会がないのです。むろん本なんて読めるはずもありません。読む本といえば漫画がいいところで、私自身赤塚不二夫さんから始まって、なぜか杉浦茂さんに行き着いたという変な嗜好を持つ子供でした。そんなこんなで高校生になって、近所の本屋の棚を眺めていたら、たまたま一冊の雑誌が目に入りました。現物が手元にないのが残念なのですが、朝日ソノラマから出ていた月刊誌「リベルタン」創刊号。この雑誌にはなんと杉浦茂さんの書き下ろし漫画が載っていたのです。それで購入したのですが、編集内容については編集部で責任は負わず、書き手に一任するというすごい編集方針が編集後記に書かれていました。そんな事が関係したなかどうかはわかりませんが、創刊号だけで廃刊してしまいます。様々なコラムが紙面を賑わせている中、「異議あり」と題されたコラムに「竹中労」の文字を見つけました。ここにおいて私は、労さんとの再会を果たしたのでした。
内容は、反核運動のおとなしさを皮肉ったもので、「ダイ・イン」と称して多くの人間が昼寝するよりも、原子力発電所を実力で押さえた方がはるかに運動としての成果が上がるという過激な主張。高校生ぐらいで、そろそろ社会的なものに関心が生まれてきた時でしたが、この「過激派の本音」には圧倒されました。しかし、文体といい主張といい、当時の私にとっては新鮮で面白く、一体この文章を書いた竹中労とはどんな人物なのだろうという興味が改めて湧いてきました。そんな思いから、その後本屋に行くと、「竹中労」という文字を常に探すようになったのでした。(1) おわり
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