1999年のお話

 

手作りのCD(99.11.29)

 

 以前、音楽家個人が自分の演奏をCD-Rに焼き、それを販売することで経費も抑えられ、聴く側としても小回りの利いた音を聞くことができるのでそういう風になって欲しいとここで書いたことがありました。したら、まさにそういうことを始めた方がいらっしゃいます。私のページからリンクしています、ジャズピアニストの明田川荘之さんが主宰するレーベル『アケタズディスク』のマイナー版を出されたのです。
 まあ、マイナー版とはいっても、もともとアケタズディスクというものがマイナーなので(^^;)、マイナーの中のマイナーということができるでしょうが、マイナーとはいっても流通機構に載せてCDを製作するというのも大変なことです。出すからにはいくらかの利益を生み出すものでないと販売の許可も得にくいでしょうし。このマイナーレーベルは初回製作が100とか200とかいうレベルらしいのですが、音源からのプレスはCD-Rを利用してコストを下げ、ジャケットもパソコンからカラープリンターを利用するということで、極端な話一枚だけの注文生産も可能。廃盤ということもなく売り続けるとのことです。
 しかし、こういうことも小回りが利き、過去にインディーズレーベルとしての実績があってこその事かもしれません。同じように別ジャンルのミュージシャンが同じ事をしようとしても、著作権の魔の手にがんじがらめに縛られているとどうしようもないことですからね。それは聴き手やファンにとっては不幸なことです。今後のミュージックシーンを考えると、CDの売り上げは一部のミュージシャンの一人勝ち状態でということになれば、今回のアケタズディスクのような製造販売を全てミュージシャンの手で行ってしまうという方法や、インターネットを最大限に利用し、曲のデータを有料でダウンロードしてしまうような方法で流通形体の不利をカバーすることができるのではという感じがしています。更に進んで、こちらのリクエストに応えた作品づくりなどもしてもらいやすくなるでしょうし、何かマイナー系の音楽がインターネットの普及により今の音楽状況を変えるのではないかという気もしてきます。とりあえず、今回のアケタズディスクの試みがどう受け取られるか、今後を楽しみにしたいと思います。

株式会社アケタのページはこちら 

 

目先だけの音楽(99.11.9)

 

 リストラの影響は、音楽界にも及んでいるようで先日からレコード会社が大物演歌歌手の契約解除が相次いでいるとのこと。しかし、そのことが演歌の衰退と即断するにはちょっと早すぎるという感じがします。だいたい、いくら大物だとはいっても売り上げがあがらないことは確かなのですから、リストラされてもある意味で当たり前。それが世間というものです。

 問題があるとすれば、こういう傾向が続くと、音楽を純粋に金儲けの手段としてしか考えない人が増えてしまうかもしれないことです。確かにそれはそれで正解であるのですが、音楽は文化という側面も持っています。CDの売り上げはなくても、人々が歌い継いでいく歌というのはあるわけですし、逆にそうした歌のCDを購入しようとしても、とっくに廃盤になってしまっていて購入することができず、膨大なライブラリを持っている放送局にリクエストするくらいしかなくなる。そうするとそれをテープなどにとって楽しむため、ますます製品としての音楽の消費はジャンルによって落ちていく。演歌や昔の歌謡曲のほとんどはそうした運命を辿っていきます。

 演歌自体がダメなわけではないでしょう。美空ひばりならひばりだけに演歌の看板を背負わせて、後進の歌手を育ててこなかったことがこうした状態を招いたと言えるのではないでしょうか。その背景には作詞家や作曲家の先生に弟子入りし、長い苦難の末デビューというスタイルが廃れ、素人がそのまま自作自演の歌を作るようになった事もあると思います。それはそれでいいことだと思いますが、この素人の自作自演の方式だと、どうしてもその個人から抜け出すようなものが作れないということも確かなのです。売る方はそんな素人でも、予備軍はどんどん出てくるわけですから会社にとっては非常に都合がよろしい。まさに使い捨ての構図が見え隠れします。

 果たしてそんなことでこれからいい音楽を私たちが聴くことができるでしょうか。もともと演歌は、ほとんどが自主制作の世界で、自分の努力で相当数を売り上げた人にのみチャンスが与えられます。そんな中で人の心を打つ歌が生まれることだってあるのです。美空ひばりの『りんご追分』の歌詞をご覧なさい。林檎の花びらが月夜の晩風に散ったというだけの詞に、どうして人々は感動するのか。それが歌の力です。今はあまりにも簡単で、一人勝ちの状態で、みんな勝ち馬にしか乗りません。そんな中、アンダーグラウンドにいる人の中から、きっと素晴らしい歌(当然演歌とは限りません)が生まれてくることでしょう。果たしてそれがどこにあるのか、少なくとも上に向かって堕落している人たちの中からは生まれてこないでしょうが。

 

日本フォークの残したもの(99.9.19)

 

 題名は大したものですが(^^;)、内容まで大したものかというとそうでないかも知れませんね。こんな題名にしたのは、フォークの大御所と言われている人の作った曲にちょっと違和感を感じてしまったもので。NHKのみんなの歌で現在放送されている歌で、『まゆげの唄』というのがあるのですが、これを作ったのが元あのねのねの清水国明と(作詞)、現在もフォーク界で活躍している小室等で、放送では彼ら二人で歌っているとのこと。詞の内容は犬に眉毛を書いて犬も喜びそれを見た人間も喜ぶという、まるで他愛ないもの。しかしこんな歌、何が面白いんだと思ったら、結構受けがいいらしいんですね。

 犬と眉毛といえば、人の飼い犬にイタズラするというよりも、野良犬に書いてしまう場合の方が圧倒的に多かったです、私の周辺の場合。この時、私自身微笑ましいとか、心が和やかになったとか言うとそういうことはなく、ただただ眉毛を書かれた犬が不憫だという感じしか持ちませんでした。眉毛を書いていた奴らも、その犬が可愛くて遊んでいたのではなく、飽きたらすぐに手放していたみたいでしたし。確かにそんな詞を清水国明が書くというのはわかるんですが、横で目を細くして精一杯の笑顔を作りながら小室等が歌っているのを想像するとなんだかなーと思ってしまうのですよ。

 でもまあ、最近は懐メロになったフォークは、テレビなどでよく流れています。昔はよかったとやっている人や時代を共有した人は思っているのでしょうけど、まさに自分の犬でなく野良犬に眉毛を書いて喜んでいる人たちの集団をそこに見てしまいます。日本のフォークがいつの間にやらニューミュージックとしてお金の儲かるものになって、最初のころやっていたような儲け度外視のメッセージを伝えるものという特質が消えてしまいました。元を辿ればそれが現在のミュージックシーンの隆盛につながっているわけですが、逆に失った分も多いわけです。本来なら、実際にその場に居合わせた世代の中から反省なり総括なり出てきてもいいと思うのですが、どんなものなのでしょうか。仲間内で遊んでばかりいないで、下の世代に向けてしっかりとしたメッセージを残してよと思うのですが、無理なのでしょうかねえ。

 

クラシックの新作(99.9.1)

 

 クラシックとジャズというのはショップに行くと明確にジャンル分けがされていますが、個人的にはそんなに違うものだとは思いません。ジャズというと即興演奏を連想するのですが、かのモーツァルトやベートーベンだって演奏会では即興演奏をやっていたそうですし。また、かの大バッハも自分の即興演奏を弟子に写譜させて、その演奏を残したと言うことです。そうなるともしその当時録音機があったら、大作曲家も演奏中心の音楽活動をしていたかも知れない。私個人としても聴きたいのは聴いていて素晴らしいと感じる音楽であればいいのですから、ジャンル云々は問題にはしません。

 あと、クラシックとジャズを分けるものとしたら、演奏する編成や楽器によると言うこともあるかもしれません。クラシックの有名な曲はほとんどオーケストラによって演奏されますし、ジャズの名演というのはビッグバンドでもありますが、小編成であることが多かったりします。楽器としては新しいサクソホンはクラシックではあまり使われませんが、ジャズでは花形楽器です。これは実際のところ、クラシックよりジャズの方が歴史の浅い音楽と言うだけで、本来ならばクラシックだって新しい楽器を使った新しい楽曲がどんどん演奏されれば、私自身もっとクラシックが好きになるかも知れません。

 しかし、今の日本の音楽状況は貧困と言わざるを得ません。私の住む静岡市にもコンサートホールは結構あるのですが、芸術と評価を受けるのはクラシックの、しかも定番のスタンダードをやるものが中心なのですね。ジャズなんて一部の好事家が好きでやるものでと言う認識から抜け出ていないような感じもします。クラシックでも、国内の作曲家の作品だけで一つの演奏会を開くなんて事はまずありません。どうしても堅いところでしか勝負をしなくなるから、新しい聴衆が育たないという事にもなります。

 今回紹介したいのは、作曲家の吉松隆さんが英国で発売したCDについてです。何で英国かと言うことですが、国内ではクラシックの新作というものに興味を示さないと言うことではないでしょうかね。私はたまたま車の中でNHKFMをつけていて、吉松氏のサクソホン協奏曲が流れてきたとき、何と素晴らしい音楽だと慌てて『吉松隆』という名前だけメモしました。そのメモを持ってサクソホン協奏曲の入っているCDを探しに行ったのですが、残念ながら見つけることは出来ませんでした。行ってみて初めて分かったのですが、現代曲を取り扱うショップのコーナーの何と狭いこと。武満徹氏はちゃんと置いてありましたが、吉松氏のは輸入盤が一枚あっただけ。なぜ国内盤でないのと思っていたのですが、たまたま先日の新聞記事でその疑問が解けました。

吉松隆氏のCD 若手指揮者の藤岡幸夫さんが吉松氏のファンで、吉松氏の作品を英国で録音したそうですが、英国のレコード会社シャンドスの社長のところに、そのサクソホン協奏曲の入ったCDを持っていき、聴かせたところすぐに吉松氏のところに連絡が入り、契約作曲家を依頼されたということです。先日出たCDが三枚目で、それに『サクソホン協奏曲《サイバーバード》』と『交響曲第三番』が藤岡幸夫指揮のBBCフィル、ゲストに日本を代表するクラシックのサックス奏者、須川展也氏という編成で録音されているとのこと。輸入盤なので手に入るかなと思いつつ地元のショップに出かけたところ、あったのには感激しました。しかしこのCD、『吉松隆』という名前以外は全く日本語が書かれていません。まあ、輸入盤ですから当たり前なのですがね。しかし、これだけの作品をどうして日本で出せないのか。また、コンサートが開けないのか。私個人の感想では、従来のクラシック好きでない人でも十分に楽しめる音楽だと思います。何回も紹介しているサクソホン協奏曲はジャズ的な要素も十分に感じられるし、交響曲第三番もスリリングで非常に面白いし。ともあれ、今こうして文章でしか紹介できないのが大変もどかしいです。まあ、静岡の田舎にもあったんですから、大きなショップに行けば今なら手に入るかも知れません。ジャケット写真を紹介しておきますから、興味のある方は是非聴いてみてくださいね。

 

民謡とポップスと(99.8.1)

 

 なんというか、地方在住の身は新しい音楽を体験することについては東京に住んでいる人と比べると、不利だと感ずることがあります。しかし、金の成る木を持っているとか、関係者としてのご招待を受けているのでなければ、いろんな種類のコンサートに通い続けることはまず不可能でしょうし。今回はテレビのドキュメンタリー(NHK総合 ホリデーニッポン・1999年7月20日放送、8月1日再放送分)で見た歌手の話からすることにしましょう。

 その歌手の名前は『Rikki』さん。外国の方ではなく、芸名ですね。以前は『中野律紀』という本名で活動されていた奄美大島出身の女性です。彼女は高校生の時『日本民謡大賞』のグランプリに輝き、奄美の島唄を歌った『むちゃ加那』というアルバムでデビューしました。その後ポップスの歌い手さんに転向したものの、昨年ぐらいからまた島唄に方向転換し、活動を行っているということ。番組では彼女が奄美各地を訪ね、島唄についての想いを語るという構成になっていました。

 奄美の唄というのは男性でも裏声を使って唄うという、西洋音楽の常識からしたらちょっと毛色の違った音楽です。その昔私が高校生の時、歌のテストというのがあって、高い声を出そうとしてつい声が裏返ってしまったら先生にえらく怒られましたが、奄美の歌い手さんは裏返ってこそ味が出るのであり、その点実にうまく声が裏返る。沖縄と違う奄美の島唄の魅力がここにあるのではないかと私は思うのです。番組の中で、Rikkiさんの師匠筋にあたる奄美島唄の重鎮、築地俊造さんが出てきまして、古典として昔のままを残すよりも、如何に自分たちの生きていく時代を映した島唄を新しく創造していくかということを力説しておられましたが、まさしくその通りだと思いますね。年齢は60を越えていると言うことですが、声量だけでなく歌のパワーがRikkiさんを圧倒していました。違うシーンで名護市のライブハウスに出ているロック系のバンドとセッションし、島唄をレゲエのリズムで歌う場面がありました。その際、やはりというかRikkiさんはあくまでその伴奏の中で抑えたような歌い方をしていたように私には感じられたのですが、筑地さんはリズムは取るにしても全く伴奏のことを考えないような感じで(^^;)、あくまで自分のいつも歌っている感じをかたくなに守って声を張り上げていました。ここら辺はスタジオでやる共同作業になれてしまったRikkiさんには気の毒な気がしたのですが、ああしたパワーこそが島唄の持っている本来のパワーであり、そのパワーをRikkiさんは感じたかったのではないかなという感を強く受けました。Rikkiさんの歌声は、実は彼女が高校生の自分から好きで聞いていたのですが、やっぱり東京にずっといるとパワーは落ちてきてしまうのですかねえ。でも、彼女はまだまだ若いし、伴奏のバックバンドと一騎打ちしても勝てるような声量も持っているわけですから、今後の活動に期待したいですね。ここで紹介しているのは字だけなので(^^;)、興味を持たれた方は彼女の公式ホームページに行ってどんなものなのか見てきてくださいね。

 あと、奄美の歌ということで最近入手した情報もついでに書いておきましょう。奄美出身の放浪の演奏家、里国隆さんの沖縄・国際通りで唄っていた歌を録音したCDが今回発売されたそうです。三弦ではなく竪琴を持って唄うというのが当時としては珍しく、その歌は生前から評価され、レコードを出したのがこのページでも紹介している竹中労さん。当然の事ながら現在廃盤で、死後発売になったCDということでは二枚目だそうです。私も聴いていないのでどんな風に仕上がっているのか全くわからないのですが、なぜかうちの地元紙の情報をお伝えしておきます。

『里国隆・路傍の芸』2300円
問い合わせ先 ジャバラレコード 0492-51-0704

 

演奏家との距離(99.7.21)

 

 先日のリンクで、音楽系のものが増えました。もともとホームページを作る目的が好きな音楽のことを書きたいということもあり、嬉しい限りです。しかし、演奏家の皆さんも個人的にパソコンを使い、ホームページまで作ってしまう人が多いのですね。

 私のように好みの音楽をできれば聴きに行きたいと思う人間にとっては、ライブのスケジュールをどこで入手するかというのがまず問題になります。地方在住だけに、なかなか生の音を聞きにいく機会がありませんから、厳選しておくことが必要になってくるのです。今までは「ぴあ」などの情報誌を見て知るしかなかったのですが、ひとたび目指す演奏家の方のホームページを見つけたら、その問題は簡単に解決します。例えばライブツアーでうちの近所に来るなんて場合も、見逃すことがなくなるでしょう。

 また、ページを作っているのが本人であるという場合、そのページのアドレスにメールを出せば、その本人とコミュニケーションが取れてしまうことになります。例えば、ライブとかに行って、その会場が大きくなくてちょっと勇気を出せば話せそうだという場合でも、取り巻きに囲まれている(なんか、そんな風に素人目から見えてしまうのですよ(^^;))ようだと、普通の人では声を掛けることは難しい。それがメールだったら気軽に書けるし、実際にお返事をいただければライブに行ったときでも気軽に声を掛けられますし(^^)。

 演奏者と聴衆の距離を縮めることによってどんなメリットがあるのか。直接的にはCDを直売するとか(^^;)。更に現代の技術の進歩は、マスターテープさえあればパソコンを使って安価に音楽ソフトをCD-Rに焼くことも可能ですから、評判のよかったライブの演奏をホームページ限定で売ったり、ページを見た人からの要望が多かった場合、旧作の音源からCD-Rを作ったりして欲しいのですが、これは著作権の絡みがあるから難しいか(^^;)。でも、今まで音楽軽雑誌の(誤植にあらず)ひいきの引き倒しの評価を元にCDを購入するしかなかったのが、サンプルをホームページ上で 聴くこともできるようになってます。最近のニュースではあの『東芝』(EMIじゃないよ(^^;))がたった一人の消費者の主張を受け入れて謝罪したそうですから、インターネットの中で完結する音楽の流通を作り出していくというのも結構面白いかも知れません。

 

トリローを聴く(99.6.4)

 

 トリローとは三木鶏郎さんのこと。冗談音楽というジャンルで一世を風靡した作詞家であり作曲家のことです。前回書いたものも図書館から借りてきたCDの話でしたが、今回もそう。NHKラジオの日曜娯楽版という番組で、政治風刺を取り入れながらショートコントの中に歌を挟んでいくという構成だということですが、今回初めてまともに当時の録音を聴くことができました。平{この字は実は正しくないのです、どこが違うかわかりますか(^^;)}凡社の『三木鶏郎回想録』という本の付録の『三木鶏郎傑作選』です。腹を抱えて笑うまでは時代の違いかそうまではいきませんが、ピアノで間をつなぐテンポがいいですね。ラジオということを考えると、この手法は今でも十分通用するのではないかと思います。その理由には、当時と全く変わらない政界の仕組みというのがあるのですが。今のNHKではできないでしょうから(^^;)、どこかでやってくれないでしょうかね。

 さて、風刺のことを書きすぎると、鶏郎さんが危惧しているように、作詞家・作曲家の仕事について触れることができませんから、作品についてもしっかりと触れておきます。『僕は特急の機関士で』・『田舎のバス』・『毒消しゃいらんかね』なんて題名にピンとくる方は相当の通か、同時代の方でしょう(^^)。しかし今回改めて聴いてみて、そのメンツのすごいこと。榎本健一さん、エノケンと言った方がしっくりくるかもしれません。それから、最近は吉行淳之介さんの文学館をねむのき学園のそばに建てた宮城まり子さんは、実は当時はコミックソングを多く吹き込んでいらっしゃったのです。しかし、今回一番の収穫は、アカデミー賞のオスカーを取った日本人女優としても有名なナンシー梅木さんの歌声を聴けたことです。全く時代を感じさせないほど素晴らしい歌声に、改めて彼女のアルバムを探したくなってしまいましたよ。でも、本人もマスコミから隠れて生活しているというし、入手困難でしょうなあ(;_;)。

 正直言って、聴く前はそんなに過度な期待を持っていませんでした。何と言っても40年近い前の曲ですから。しかし、不思議なものですんなりと聴けてしまうのです。それは、今こんな歌があんまりないからなのではないかとも思えます。嘉門達夫さんとか、いることはいますが、自作の音楽で笑いをとる人たちがもっと出てきてもいいのになと改めて思いました。(99.6.5)

 

おかし大好きSONG(99.5.8)

 

 今日は図書館に行って本を借りてくるだけの予定だったのですが、音楽CDも同時に貸し出してくれるというので、棚を眺めていたところ、以前ここで紹介したことのある『少年ナイフ』の昨年6月に発売されたアルバムが置いてあったのでつい借りてきてしまいました。ちなみに、一緒に借りていた本は真言宗や密教に関する本で(^^;)、カウンターの若い女性の職員からは何だこいつっていう目で見られてましたが(;_;)。

 ライナーにはホームページのURLが書いてありまして、このアルバム『ハッピー・アワー』についても詳しい解説があります。本人たちがちゃんと文章を書いているのがなかなか好感が持てますねえ、例のお茶のCMについてもしっかりと告知されていました(^^)。

 以前からこのバンド、おかしや食べ物についての歌が多いのが際だった特徴でした。音自体も脳天気で、聴いていてウキウキしてくるのはサウンドのためだけではないような気がします。人が怒りっぽくなるのは、空腹時に多いような感じもしますし、食べ物の歌を歌って文句を付けてくる野暮な人間もいないでしょう。アルバムの中では、クッキーにホット・チョコレート、寿司に飛んでバナナチップス、そして中華の餃子へと続いていきます。

 ホームページを見ればわかりますが、彼女たちは海外ツアーをこなし、日本よりも海外で人気のあるバンドです。それはやはり、食べることの楽しさを音楽で表現していて、それに素直に共感している人たちが多いということでしょうか。こうしたことは案外すごいことで、下手なメッセージソングで共感を呼ぼうとするバンドよりも数段上をいっているのではと思います。たとえば『戦争反対』とメッセージを送ることよりも、『おいしいものを心ゆくまで食べられる生活って素敵なんだよ』というメッセージの方が、人の心をとらえられる。つまんないことで争うよりもよっぽどいいってみんながわかることですからね。

 

アレンジあれこれ(99.4.3)

 

 アレンジは日本語で『編曲』ですが、昔は作曲以外に何で編曲をしなくてはいけないのか、わけがわかりませんでした(^^;)。さすがに今では、同じ曲でもアレンジの仕方によってだいぶ感じが変わってきてしまいますし、その重要性も理解できるようになりました。特に、歌のない楽器だけの演奏を聴く機会が多い私としては、同じ曲といってもその違いに驚くことがあります。今回の場合はとんでもないアレンジに開いた口が塞がりませんでした(^^;)。

 昨日からプロ野球の開幕で、本格的なスポーツシーズンの到来という感じがするのですが、スポーツと音楽というものは、場の雰囲気や選手の気持ちを高ぶらせるためにも欠かせないものになってきています。これはおそらくアメリカのプロスポーツの影響なのでしょう。ちょっとしたプレーの合間に流れる曲がなかなかいい味を出しているのですね。そんな中でリバイバルしてきたのが70年代のシンプルなロックだったという。

 野球のワールドシリーズだけでなく、昨年のサッカーのワールドカップで地元フランスが優勝した直後、イギリスのロックミュージシャンであるクイーンの『We are the champions(邦題は伝説のチャンピオン)』が流れてきたときには、この曲はもう特別な曲になったんだなという感じがしたものです。その予想通り、日本でもプロ野球で日本一になった横浜ベイスターズも、この曲が流れる中場内を一周していましたし(^^;)。しかし、この曲だけではなく発売当時両A面として発売された、『We will rock you』も同じように歌い継がれているのですから、何とも不思議な感じがします。

 こちらの方は、最近ではK-1での入場に使われたり、バスケットボールの攻撃と守備の切り替えの時に流されたりして、いやが上にも緊張感が漂うのですね。これこそ、アレンジの力だと思うのです。アレンジといっても、イントロからシンプルなドラムのみ、最後にギターソロが入りますがほとんどいじらないことで最大限の効果を上げているような感じがします。このシンプルさがあるからこそ、いつまでも古くならないのでしょう。

 しかししかし、しかしです(^^;)、ここからのことを書きたいがために、ここまで引っ張ってきたのですからちゃんと読んで下さいね(^^)。高校野球の応援合戦でいえば、かなりレベルの高いのがPL学園。私の認識している限りでは、サッカーの応援で一気に有名になった『オレーオレオレオレー(^^;)』というのを最初に組織的にやったのが甲子園でのPL学園だったのではないかしらん。そんな彼等が今年の新作として持ってきたのが『We will rock you』だったというわけ(^^;)。

 しかし、さすがにこの曲をブラスバンドの演奏で聴くことになるとは思わなかったです。確かに間違ってはいないとは思うのですが、オリジナルを知っている者としては、なんだこりゃと言いたくなるようなものでした。
 

 

ラジオから流れる音楽(99.4.1)

 

 音楽に関することをホームページに書くと息巻いておきながら、最近はCDもほとんど買っていません(^^;)。そんなんで、よく書くことがあるなと言われそうですが、いろんなところから情報を拾っていけば、まだまだ面白い音楽には出会えるわけで。ジャズについての話は、ちゃんと別のところでやっているので、ここでは特に誰でも聴けるチャンスのあるものについて書いていければと思っています。

 と言うわけで、ラジオの効用について。むろんラジオでも現在のヒットチャートを延々と流し続けているのだけれど。あの、宇多田ヒカルもFMから火がついたことを考えれば、ヒットの先取りとしてのラジオの立場はまだまだあると言うことでしょう。しかし、どうも私はヒットチャートに乗るような曲というのに偏見を持っているのですね(^^;)。

 今回言いたいのは、何もFMだけがラジオじゃないと言うこと。たまたま今日移動に使っていた車が、AMしか装備されてないラジオ付きだったので(^^;)、高校野球を聞いていたのですが、その後で音楽の番組『音楽アラカルト』があって、選曲が結構面白かったのです。りんけんバンドにT-SQUEA、その後で何と元「たま」の柳原幼一郎さんの新曲が入って、最後にはソウル・フラワー・ユニオンという流れの番組でした。全く何のことかわからない人、どうもすみませんm(_ _)m。

 この時間には日替わりで、民謡とか民族音楽とか、普段表には出ない音楽を趣味で聴いている人にとっては興味をそそられるプログラムが続きます。さすがNHKという感じかな。確か夕方にはFM放送の方でも『ポップス・グラフィティ』と言う番組が、結構様々なジャンルをカバーしています。まあこちらも常に聴けるわけではないので、たまに聞くだけですが、これから新しいジャンルを聴いてみたいがどうすればいいかわからないという方には、これらの番組が結構福音になるかも知れませんね。

 今回改めて紹介したいのは、やはりソウル・フラワー・ユニオンでしょう。ニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴが分解した後その中から結成されたユニットなのですが、音は厚いし(実は私の大好きなジャズ系のミュージシャンもゲストとして参加しているようなのです(^^))元気はいいし、ボーカルにも力が入っているし、10代ぐらいの若い奴らにはわからない良さがありますね。でも、今回聴いたのは、何と『みんなのうた』で放送されていたというのですから驚くじゃありませんか(^^)。『青天井のクラウン』というのがそれで、私も確かに、以前聴いたことがあるとハタと思い当たったのでした。こうしてみると、『みんなのうた』もバカにできないですよね。しかし全国区でこんな歌を流しているのですから、まだまだ捨てたものじゃないぞという感じを改めて持ったのでした。

社会情勢とミュージシャン(99.3.19)

 

 安室ちゃんのことか? と期待された方、残念でした(^^;)。私、ポケベルで配信してくる通信社のニュースをよく読ませていただいているのですが、毎日朝一番に来るのが、『一年前の今日は?』という項目。これを読んでいるとあっという間に時が流れているのだなあとしみじみくるわけです。最近特に思ったのは、少年たちの刃物を使った殺傷事件が多発したのが一年前の今頃ということ。しかし、あれだけ騒がれた少年たちは、みんな揃ってナイフを捨てたのでしょうか。ちょっと納得がいかない部分は多々ありますが、まあそれは置いておくとして(^^;)。

 あの一連の事件で一番迷惑したミュージシャンは、その名もズバリ『少年ナイフ』でしょう(^^;)。昨年の今頃マスコミに露出していたら、音楽を聴きもしない人たちの間から『こんな時に不謹慎だ』などといわれのない非難を浴びたかも知れませんからね。しかし、ほとぼりも冷めた今、テレビのコマーシャルで見事に復活しました\(^o^)/。JTの中国茶の音楽を聴いて、その脳天気さにほっとすると同時に、どうして今まで出てこられなかったのだろうとつい思ってしまったわけです。

 こういうのは、運といってしまえばそれまでかも知れませんし、私が今まで出てこられなかったと思っているのも単なる思い過ごしかも知れません。でも、『だんご3兄弟』がヒットすれば上新粉の製造元まで取材に押し寄せるようなマスコミの体質というのは、様々の影響を及ぼすように私には思えるのです。大体が興味本位での取り上げ方で社会全体が動いていってしまっていますから。

 これに対処するには、ただただ沈黙しかないところにミュージシャンのつらさがあるように思えます。逆に、自分は社会に反発するっていうようなことを、わざわざテレビの電波を通じてやっている人もいますが、彼らはそうしたポーズを取ることで大衆の人気を集めようとしている『半・体制』の人たちですから、騙されてはいけません(^^;)。とにかく、大きな事件や時代のうねりに沿うようにして創作のスタイルをころころ変える人よりも、地道にマイペースで作品を作り続けていくような人たちを私は断固支持します。『少年ナイフ』はまさにそんなバンドですね。というわけで、ここで思いっきりエールを送っておきます。

 

新橋とお台場と(99.3.13)

 

 最近のヒット曲はタイアップから一歩進んで、番組内で曲を作ってヒットさせる目的で番組も作ってしまっているという感じですね。まあそれでも作っている人の匂いというか現場の熱さというか、そんなものが感じられれば嬉しいのですが、キャラクターで売っている人たちが多いせいか、楽曲自体はあんまり面白くないというのが正直なところ。特に、お台場の某会社でビデオクリップを作っていた人たち。字幕が流れてくると歌詞の内容も冷静に頭の中に入ってくるから、なおのことそんな風に感じてしまうのでしょうか。そう言えば誰が作詞したのかは確認していませんでした。

 同じ、テレビ番組内で作られた曲でも、出演者が自ら作って、レコーディング風景まで番組内で流してしまったのは『新橋ミュージックホール』の『ぢ・大黒堂』。ミュージシャンの集まりなんだから、当然といえば当然なのですがこちらの方がとっても生き生きしているように感じられます。メンバーでウルフルズのトータス松本が、詩も曲も合わせて3時間ほどで作ってしまったという『友だちじゃないか』は、なかなかのヒットですねえ。歌詞の違いというのは、字幕として改めて読んでみると優劣がはっきりするというのは、上記の楽曲と比べてみると明らかでしょう。

 しかし、他のタイアップ曲が最初から何十万枚ものプレスをしているのに対して、この『ぢ・大黒堂』はインディーズ扱いということで最初3万枚しか作らなかったというのだから笑えますね。ここら辺は本とも同じなのですが、たくさん売るためにはたくさん作らなくてはいけないわけで。だから、逆にいくらいい歌でも数多くプレスしてもらわないとヒットしないというわけ。『友だちじゃないか』はシングルCDのカップリングなのでヒットすることもないでしょうが、入手もしにくそうですね。まあ、焦らずに入手してみようと思う今日この頃です(^^)。

追記
 これを書いてから、近所のCDショップに行って来たところ何とか置いてあったので買ってきました(^^)。『友だちじゃないか』はカップリングではなかったのですね(^^;)。ちょうど隣にあった本屋さんで発売中のオリコンを見たところ、最高順位20位、現在50位でした。累計でも4万枚くらいで、ヒットが約束されている曲と比べると貧弱感は否めません。でもちゃんと買えたからいいや(^^)。

 

うまいだけが能じゃない(99.3.11)

 

 普通、テレビを見ての感想というのは別のところで書くのですけど、ついテレビから流れてきた音に耳を奪われてしまったので、書くことにします。

 見ていたのは、NHK教育のETV特集。何と、韓国で日本の統治時代から細々と続いているサーカスについてのルポルタージュです。しかし、そこで流れる音楽はおそらく私たちから見ても洋楽と呼ばれるものが、スピーカーから流れてくるだけでした。しかし、今は引退して裏方をやっているお爺さんが、久しぶりにサックスを取り出して吹き出した時の音はなかなかよかったですよ。

 サーカスやチンドンの音というのは、なぜか心を動かされます。でも、楽士のテクニックはどうかというと、特別にうまいというものではないのですね。職業としての楽士にとってはいかに同じフレーズを繰り返して演奏できるかが大切で、余計なテクニックは演奏の邪魔になるという話を聞いたことがあります。その道何十年の楽士の出す音にプロが急にチャレンジしても、なかなかうまくいかないし、例えばクラシックを専門にやっている人がジャズの演奏をやったりしても、あまり面白くないのではないでしょうか。

 つまり、うまいことが全てではないということなのです。下手でも聴く人の心を打つ演奏というのはあり得る。昔イカ天というアマチュアバンドが多数出演するバラエティ番組があって、番組の後期に技術論を振りかざしてアマチュアに説教をたれる「自称」プロの審査員の態度には辟易したものです。あくまで私の好みかも知れませんが、その人の人柄とか、伝えたいものがこちらに向かってにじみ出てくるような演奏が好きですね。冒頭に紹介した韓国のサーカスで長いこと苦労してきたであろうお爺さんの演奏が、私の心に響いてきたのは当然のことかも知れませんね。

 

今はタンゴブームだった?(99.2.23)

 

 先日、テレビを見ていたら深夜の情報番組で『タンゴブーム』についての特集をやっていました。その中で出てきたのが、現在あちこちで話題になっている曲のことです。皆さんも知ってますよね。『だんご三兄弟』。

 曲はほんとにタンゴのリズムに詩をのっけたもので日本人お得意のメロディーパクリすれすれという感じなのですが(^^;)、これが大受けでCDを発売することになったとか。NHKの幼児番組『おかあさんといっしょ』でだけ流れていたのが、何故か先日深夜にも流れていました。

 何がびっくりしたって、作った人たちが一番びっくりしているでしょう。このブームの裏にあるのは、複雑化したりあまりにも電子化しすぎた、ギチギチの音楽を聞いたり歌ったりするのに疲れた人たちが多かったということでしょうね。以前コマーシャリズムに毒されずに、思い出したようにヒットする歌を出した同じNHKの『みんなのうた』も、時代の流れか素朴な歌がなくなってしまいました。あのだんご三兄弟の歌も、確かプロが作ったものではないようですね。つまり、如何に良質の素直な歌が少なくなってきているかという現在の音楽状況の現状を表す現象であると私は思っています。

 まあ、こうした現象は定期的な周期を持って続くでしょう。このヒットに二匹目のドジョウを狙う童謡もどきタンゴもどきが現れるもなかなかオリジナルほどには売れず、しばらくしてまた元の状況に戻るでしょう。そうしてまた、多くの人がヒットチャートに出てくるような音楽に疲れたときに、次の『だんご三兄弟』が生まれるという。だから、逆に言うと今というよりももう少し後を狙って、良質の楽曲を提供するよう戦略を立て、単なるブームに終わらせず持続するようなパワーを持った人たちが現れれば、現在の音楽状況が変化する兆しにはなるでしょう。何も小室さんだけが音楽プロデューサーではなし、そうした普段音楽を聴かない人にもCDを買わせるようにし向けるような動きがあってもいいと思うのですが。(99.2.23)

 

レコードは買っておこう(99.2.12)

 

 先日、この不況のおりに急成長を見せる、新種の古本屋さんに行ってきました。ここのシステムというのは、まことにビジネスライクで、入荷すぐの古本は定価の半額。長く在庫になると、在庫を掃かすために、一冊100円という値段が付きます。このシステムをうまく利用すると、蔵書を簡単に増やすことができます。しかし、欲しい本はすぐに手に入らないことを覚悟しなければなりませんが。

 今回はたまたま、掘り出し物を見つけました。本ではなくてレコードなのですが。左の写真がそうなのですが、右上にレンタルレコードのシールが貼ってあります。しかし、中をチェックしたところ、傷はほとんどなく、レンタルレコード店でもほとんど貸し出しがなかったものと思われます(^^;)。
 このレコードについて説明しますと、昔『どくとる梅津バンド』というジャズとロックをまぜこぜにしたようなバンドがありまして、そのセカンドアルバムなのです。学生時代に、このバンドのファンだった私は、学園祭に呼べないものかと、東京でライブをしているところに突撃し、そのまま強引にコンサートを開催してしまったという思いでいっぱいのバンドのアルバムというわけ。当然、このアルバムも出たときに購入したのですが、あまりの安さでおいてあるので、ついつい買ってきてしまいました。ジャケットの色使いからわかるかも知れませんが、これにブラックライトを当てると、暗闇の中で浮かび上がって見えるという。奥平イラさんのデザインで、ジャケットだけでもいいなというこのレコードが100円なんですね。

 前から書こう書こうと思っていたので、この機会に書いてしまいますが、現在の音楽業界はミリオンセラーが量産されているにも関わらず、危機的な状態にありますね。例えば、今から10年くらい前の音楽ソフトを今聴けるかというとほとんど無理でしょう。本の場合はまだいいのですが、時代を経て残っていくものは、チャートで上位を占めたものぐらい。昨今は入れ替わりが激しいので、それもどうなるか。シングルが中心で、アルバムのマイナーな曲を聴きたいというのは無理なので、聞き逃しは二度と聴けないことを意味します。

 そんな状況だからこそ、格安の掘り出し物が出やすい中古レコードは今後も気を付けて見ていきたいですね。マイナーなミュージシャンになると、音源がCD化されるということも期待できませんから、とにかく買っておくことです。最近はスクラッチ用にレコードプレーヤーも売られていますから、それとパソコンを直結して、音楽データをハードディスクに一時蓄積、CD−Rに焼けば、自家製のCDが完成します。ハードウエアは今後は値段の方も安くなっていくでしょうから、とにかくソフトを集めておくことが大切。とにかく、一枚100円なんて言う掘り出し物はまだまだありますから、皆さんもこれはというものがありましたら買っておいて損はありませんよ(^^)。

 

音楽家は金持ちか(99.2.9)

 先日、ケニアの人の暮らしを撮ったドキュメンタリービデオを見る機会がありました。最近の技術はすごいもので、パスポートサイズのビデオカメラでもそこそこの映像になっているのにびっくりしました。最近はデジタルビデオも出てきているし、パソコンで編集も可能になったので、もっと映像の世界に携わる人も増えるかも知れませんね。まあ、その話はおいておくとして、印象深かった映像の話をしましょう。

 割と大きな町中で、子供や足のない人や、そんな人が一所に集まっている。誰かがギターを弾き、子供がリードをとって道行く人たちに音楽を聴かせている。目をつぶって音楽だけ聴いていると、なんと楽しいリズムであるのに、道行く人たちは誰も立ち止まろうとはしない。そのまま時間だけがむなしく流れていく。五分ぐらい経って、一人の若い男が申し訳程度の硬貨を一枚、彼らの前に置いてあったプラスチック製の容器に放り込んだ。しかし、その青年もそのまま立ち去ってしまう。テープはそこで、突然カットアウトされる。

 私が一昨年沖縄に行ったとき、那覇市内で一番の繁華街である国際通りを歩いていたら、ハーモニカをもったおじさんがあてもなく演奏しているのに出くわしました。もともと、音楽というものはそんなもので、慰めものに過ぎなかったんです。河原○○と日本でも呼ばれていたのはそう昔のことではありません。でも、最近は高額納税者にはいの一番で音楽家が来るのですよね。島をもっていらっしゃる歌い手さんもいらっしゃるし、だんだん音楽家が金持ちになるにつけ、CDを買ってまで聞くのは若い世代だけになり、ある程度のひとは、音楽自体から足を遠のかせてしまう。むろん、音楽はビジネスであることは否定しません。しかし、このページでも書いているように、日常生活からは音楽が遠のいている感じもするのです。

 だいいち、金持ちの音楽家に日常生活を歌われても、全然臨場感がないですよね。今後もここでは、マスメディアに乗らないような人たちを取り上げていきたいなと思っています。それが、日常の中の音楽ということにもつながってくるわけですから。

 

古いものと新しいもの(99.1.29)

 たまたま、FMラジオをつけながら車を走らせていたら、懐かしい曲が流れてきました。PANTA&HALの『つれなのふりや』。突然に流れてきた曲に、ちょっとした感動を覚えました。PANTAさんといえば、日本のロックシーンでも硬派で知られた「頭脳警察」で活躍された人。いまだに指名手配犯人の写真が警察署に飾られている日本赤軍の『世界革命戦争宣言』を、ギターの伴奏でシャウトしたりして、当然ながら当初は発売中止。結局、その演奏の入ったファーストアルバムは以降自主制作で少数ながら世に出たものの、ものすごい値段がするそうですが。たまたま友人がその音源のコピーを持っていたので聴かせてもらったのですが、確かにそのエネルギーはものすごいものでした。それから何年か経った後に、CDとして復刻された三里塚幻野祭のライブを無事に購入することができ、例の『世界革命戦争宣言』を改めて聞くことができました。特にこちらのほうは周りの音とかもかなり入っていて、そういう部分を含めて、その時代の雰囲気が過剰に伝わってきて面白かったのですが、逆に今の時代では受けないでしょうね。

 1990年代に入って、頭脳警察が再結成されたり、あの「イカ天」の後期審査員としてブラウン管にも登場したPANTAさんですが、最近になってとんでもないところでお名前を目にしました。この間、インターネットメールソフトのポストペットがリニューアルされたのですが、ペットが暮らす部屋のデザインを筋肉少女帯の人と一緒にPANTAさんがされていたのですね。部屋の内装は、まさに赤軍のアジトなのですが、何か時代もここまで変わってしまったかとしみじみしてしまいます。

 逆に考えると、あの日本赤軍でさえ、デフォルメされ、遊ばれてしまうということです。こんな時に、私たちは歌になんの希望を持てばいいのか。もちろん、現代の歌に希望を持てとはなかなか言えないし、歌に希望を持つこと自体ナンセンスという意見もあるでしょう。しかし、世紀末を迎えるに当たって、いろんな歌を聴き比べてみたいという欲求がふつふつと湧いてきました。ですが、ちょっと前の音楽というのは意外とCD化されていなくて、手に入らないのも事実であったりします。古いものと新しいもの、そうした音楽を好きなときに聴けるようにするのがまずは大切なのでしょうね。

 

演歌の花道はいずこへ(99.1.27)

 冬千代子{ふゆ・ちよこ}という演歌歌手を知っていますか。「おんな冬景色」(作詞 松尾清香・作曲 太陽秀男)という曲を歌っているそうです(^^)。実はこれは、松尾製菓という会社が作っている『チロルチョコ』の冬季限定新製品、「冬ちょこ」(10円(^^;))のコマーシャルに出ているそうです。詳しくは松尾製菓さんのホームページでご覧ください。

 どうですか。行って来られましたか。見られた方はおわかりの通り、このCMはテレビ東京系『演歌の花道』のパロディなのですね。こうした事例に限らず、今の日本の演歌はパロディにされ、笑われる運命にあります。しかし、どうしてこんな事になってしまったのでしょうか。

 昔は、演歌やポップスの新人がデビューするには、作詞家や作曲家の先生について(以前挙げた服部良一さんは、作詞家用の別のペンネームがあったという話)じっくりレッスンを付けるというやり方が主流でした。しかし、いわゆる「シンガー・ソング・ライター」の登場により、古くさい演歌系の楽曲を排斥しながら日本のミュージックシーンはフォーク、ロックへと流れていきました。そうした中、演歌というのはますます古くさくて面白くないものというイメージが若年層を中心に広がっていったのでしょう。

 ここで、演歌の大御所はどんな方向性を出したか。よーく思い出してみましょう。美空ひばりさんは秋元康氏に作詞を依頼し、「川の流れのように」を歌いました。まあ、こうした試みは以前からあり、森進一さんが吉田拓郎氏に曲を頼んで作ったのが「襟裳岬」です。こうした流れの中から、いわゆるニューミュージックの騎手と目されていた人物がいつの間にか演歌だかなんだかわからないものを歌ってしまうということになります。小椋佳さんや谷村新司さん、堀内孝雄さんなどはその典型でしょう。また、もうひとつ決定的なことがあります。最近テレビのバラエティの露出度が多い、北島三郎さんです。すべてはあの歌から始まりました。その歌といえば、「与作」なんですね(^^;)。

 あの曲を聴いたら、やはり笑うしかないでしょう。笑いものになっても話題になればいい。売れればいいという感じは、以降の流れにも顕著ですね。一昨年の紅白歌合戦に出場したとんねるずのノリタケさんと山本ジョージさんの歌った「浪漫」は、北島さんの曲です。河合美智子さんのオーロラ輝子もそうですが、このように、テレビの力を借りないとヒット曲も出ない状況に追い込んだのは、元を辿れば「与作」を北島さんが歌ったからではないかと邪推してしまいます。

 最近は、そんな北島さんを手本にして、こちらは大まじめでバイキングの歌を歌いまくる冠二郎さんなどもテレビでお見受けしますが、このままでいいのという感じがはっきりいってしますねえ。最初に書いた冬千代子さんのCMはテレビでは歌わないと、イントロから歌うところになっていきなり終わってしまうのですが、千代子さんのようにテレビでは歌わない演歌歌手という存在は、現在の演歌状況に対するきつい一撃だと思う今日この頃であります。しかし、このコマーシャルも一月一杯で終了してしまうそうなのが残念です。

 

戦時中の音楽用語(99.1.16)

 この前に書いた服部良一さんの本で、戦時中の音楽用語の変遷についての話が出てきて、これがとても面白いので別に一つ改めて書くことにします。「ドレミファソラシド」が、「ハニホヘトイロハ」になって、変ホ長調とか、嬰ニ短調とかいうのは今でも使いますが、まともに音楽を習っていない私から見ると、何の事やらさっぱりわかりません。野球では「ワンストライク」の代わりに「よし一本」とかいう話は聞いていたのですが、傑作なのは当時のオーケストラの楽器名呼び替えの数々です。「オルガン」が「風琴」、「アコーディオン」が「手風琴」ぐらいはわかりますが、「ピアノ」は? これは「洋琴」だそうです。ドラムは「太鼓」だからこれもいいとして、ジャズバンドの紹介で、「金属製品曲がり尺八」の誰々とか、「抜きさし金長喇叭{らっぱ}」を演奏するは誰々。黙々と後ろで演奏する「妖怪的三弦」の誰々(^^)。

 これらまか不思議な楽器の正体は、順にサキソホン、トロンボーン、コントラバスだとのこと。いやあ、こんな事を真面目にやっていたのですね。今見るとふざけているようにしか見えないのですが、逆に今、こんな名称をパンフレットに刷り込んでツアーに回るジャズバンドがいたら面白いのになと思ってしまいました。

 

日本ジャズの根っこを服部良一さんに見る(99.1.16)

 なぜ服部良一なのか。それは、昨年末に聴きに行ったライブレポートを参照してくださいね(^^)。なぜ東京西荻窪にあるジャズライブハウスで1940年に書かれた『湖畔の宿』を聴かなければならなかったのか、その答えを探すべく、服部良一さんの一代記『ぼくの音楽人生』(1993年・日本文芸社)を読んでみました。そうしたら、わかったようなわからないような。

 服部さんの自宅は西荻窪の隣駅の吉祥寺にあったとのこと。すぐ隣だからというわけでもないでしょうが、西荻窪のことも出てきます。自宅へ帰る中央線の中でメロディが浮かび、あわてて手前の西荻窪の駅で降り、駅前の喫茶店『こけし屋』に入って店の紙ナプキンにオタマジャクシを書き殴って完成させたのが笠置シズ子の歌った「東京ブギウギ」だったとのこと。この曲を知らない人は、是非聴いてみることをおすすめします。リズム中心のこの明るいメロディは、戦後の日本歌謡界にとってというよりも、戦後復興を遂げる日本の歴史にとっても画期的なものだったのです。もともと服部氏は苦学しながらしっかりした音楽理論を勉強し、アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュインを目標にジャズの道を歩み、それをポピュラーミュージックに生かしました。ジャズという素養がなければ、これらの曲は生まれなかったでしょう。

 そんな服部さんが日本の伝統と新しい西洋のリズムを組み合わせた佳曲があります。何と1937(昭和13)年に作られた「山寺の和尚さん」。皆さんもご存じですよね(^^)。山寺の、ポンポンポンというやつです(^^;)。これは日本人でなければ決して書けないジャズコーラスの入った作品です。もともと日本の流行歌というのは、賛美歌の歌詞変えてそのまま歌ったり(俗歌の、たんたんたぬきのというやつも、賛美歌らしいですね(^^;))、文部省唱歌なんていうのは蛍の光窓の雪とスコットランド民謡を日本の歌だと信じて歌い続けていたり、かなり文化的侵略を受けています。しかし、お隣の韓国が続けていたように法律上で文化を禁止していても、入ってくるものはしょうがないのです。大切なのは、新しいものを如何に自分たちに合うように変えていくかでしょう。服部さんの仕事ぶりにはその答えの一つがあるような気がします。その作品を聞き込んでいくことによって、日本の音楽のオリジナリティとは何かということを考えるとっかかりになるのではないかなんて思ったりして。でも、こんな難しいことを書かなくても、服部氏の明るい曲は聴いているだけでも楽しいのですよ。これを読んでる大阪の方、「東京ブギウギ」と同じ笠置シズ子さんが歌っていた「買物ブギ」を覚えてカラオケで歌ってみてください。きっと大受けすることでしょう。いい楽曲は時代を選びません。鼻歌をとりあえず録音して、サンプリングマシーンを利用する作曲法をすべて嗤うわけではありませんが、10年経てばすぐ古くさくなってしまう一部の流行歌とは違うのです。

 

では、手始めに(99.1.9)

 一口に音楽といっても、いろいろありますね。日常生活の中には音楽があふれています。テレビでは常に音楽を鳴らしていますし、観光地に行くと、なぜだか音楽が流れていたりします。そんな中、私の音楽を聴く系統に多大なる影響を与えたものについて書いていきましょう。

 大体において、私の音楽の原体験といえぱテレビで、小さい頃といえばアニメの主題歌ぐらいしか知らないというのは、他の人ともあまり変わらないと思われます。ただそんな中でアメリカ産アニメにはまったのが良かったのか悪かったのか。少なくともアメリカ産の音楽のエッセンスがしこたま刷り込まれてしまったのでした。

 「トムとジェリー」というアニメがあります。日本産のアニメと違う点は、絵のなめらかさというものもありますが、一番の違いはそこに流れる音楽でした。極端にいえば言葉の説明なくして何をやっているのかわからせてしまうオーケストラによる冗談のような音付けがされていたのですね。冗談音楽というとアメリカではスパイク・ジョーンズが有名で、日本でもあきれたボーイズという音楽漫談グループ、フランキー堺やザ・クレージーキャッツへと影響を与えたといわれていますが、確か漫画の中で「スパイク・ジョーンズ」という名前を見たような気がしていて、あの漫画の音楽はスパイクジョーンズなのかなと思っているのですが。もし知っている方がいたら教えてくださいね。

 こうした、音で人を笑わせる手法というのが私は結構好きで、その根元にはこれらのアニメが元にあるのですね。最高だったのが、アニメの中で、なぜかいかめしい顔をしたキャラクターがオペラを歌い出し、その曲一曲のうちに様々なギャグをちりばめていく場面に遭遇したことです。画面を見なければ普通の歌なのですが、それにしてもその歌自体が可笑しい。以前からこの曲の題名は何だろうとずっと気になっていたのですが、実は最近になってようやくわかりました。イタリアオペラの傑作『セビリアの理髪師』の中で歌われる『私は町の何でも屋』という曲がラジオから流れてきたときは、意味もなく大笑いしてしまいました。何を隠そう、私は今まで一度もオペラを見に行ったことがありませんが、もし見に行くならば、絶対『セビリアの理髪師』を見たいと思う所以であります。いい音楽は、面白いものだというのは、今のところ間違ってはいないようです。

 


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