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土曜ドラマ・ウォーカーズ~迷子の大人たち

 私のページで紹介しているように、私自身も実に長いスパンで四国八十八ヶ所のお寺を回っています。ただ、まとまった時間はとても取れないので、車で出掛けてまとめて回ることを繰り返しています。しかし、そうして回ってからすでに2年少々経ってしまいました。日常の生活に追われていると、目の前の事に追われるあまり、忘れてしまうことも多くあります。ですから、こうしてテレビでお遍路を扱ったものを見ると、また行こうという意志が出てくるんですね。続き

 ドラマ自体は現代人の生き方をお遍路として歩きながら考えるというようなテーマで回していますが、結局最後は安っぽい恋愛ドラマのようになってしまったというのが見ていて辟易するところでもありました。本当に悩んでいる人はあくまで一人で歩き、自分と向き合うものであり、ドラマでも出てきた種田山頭火はまさにそうした生き方を実践してきた方です。そうした人物に焦点を当てて欲しかったような気もしましたが、もっとも、山頭火のような人物をドラマに登場させてしまったら4回ではとても終わらなかったでしょうけど。

 今日は昼過ぎから出掛け、地元焼津市出身の画家・石田徹也氏の遺作展に出掛けてきました。彼もまた、自分の生きている社会と、そこで生きている自分をじっくり見つめあいながら、キャンバスに向かってのみ生きた方で、山頭火の生き方とだぶる方です。今年の9月にNHK新・日曜美術館で特集があったのでごらんになった方もおられるかも知れませんが、その内容を簡単に紹介させていただきます。親からの仕送りを断固として拒絶し、バイトを転々とし、そこで得たお金もほとんど絵の具代にして、その時間のほとんどをキャンバスに向かい、多くの作品を残しています。うつろな目をした自身の分身のようなキャラクターが入り込んだ世界は、今の私たちの社会が抱える多くの問題を内包しています。そうしたアイデアをひねり出すために、彼は膨大な量のアイデアノートを残し、更には自分の夢までも克明に記録するようになります。こうして生み出された作品は以下のリンクから一部見ることができますので、興味のある方はどうぞ。(フラッシュ・プレーヤーが必要です)

http://www.cre-8.jp/snap/390/index.html

 山頭火にしても、石田氏にしても、とても普通の人がここまでの事をすることはできないでしょう。私にしてもお遍路の真似事をしているに過ぎないし、こうしてブログの文章を書いていたとしても上記リンクの石田氏の一枚の絵と比べたら全く説得力もないでしょう。それは、高くから他人事のように物事を見ながらいいかげんに生きているか、渦中の中に自らはまりこんで100パーセント人生を生き抜いている人との差でしょう。でも、そんな本物に触れていくにつれ、もう少しましに生きていくことはできるのではないかとだんだんと思ってくるから不思議です。

 お遍路自体は冬は車でも危険で、道路が閉鎖されているところもあるので、行くとしたら春からになるでしょう。暦通りの休みのこちらとしては、5月の連休か盆休みを使うというのがせいぜいで、まだ当分終わる感じがしません。まあ、歩いて一気に回るよりも、それ以上に時間をかけて回れるのですから、その都度、いろんな事を考えながら回っていけるのですけどね。ともあれ、この番組のおかげで、中断していた四国遍路を復活しようと思わせてくれたのですから、感謝しなくてはいけないでしょう。

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2015年09月21日(月)03時46分 受信

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耳成法市 2006年12月03日(日)23時05分 編集・削除

2年前に映画『ルート88』を観ました。家は代々禅宗ですが、私も何時の日か四国を廻ろうと思ってます。唯、菊の御紋章の付いた「輪袈裟」は好きじゃないので、巴紋のを選ぼうと思ってます。

空海にしろ、山頭火にしろ、業績には賛否分かれるところ。夢枕漠・編著「空海曼荼羅」という本では、必ずしも英雄扱いはしていないし、鎮護国家の為に密教を導入したことによって、後世の民に歪をもたらした側面も、描かれています。東北の民を「毛人」と、差別的な記述を残している処は、北国人として、受け入れられない部分も有ります(性霊集)。

講談社の山頭火漫画『風に吹かれて』(いわしげ考・画)では、弟を自殺に追いやり、妻を尽く裏切り続けた側面をも描いています。酒にのめり込むと人が変わり、暴れだし、無銭飲食の破戒僧として旅を続ける姿も、哀れを極めます。但し、立場の弱い人に対しては、とても優しく、お金の無い人に対しては、お布施で集めた金を丸ごと投じる、など、憎めない処も有ります。尤も、夫として底なしにだらしないからこそ、人の心を打つ句が書けるのでしょうか。

管理人 2006年12月06日(水)00時17分 編集・削除

世の中の偉人と言われている人の中には、少なからず隣人や友人として付きあうとなるとかなり躊躇するような極端な性格の人物がおりますね。四国の話からはずれますが、啄木や中也などもかなり周りの人に迷惑を掛けたとのこと。しかし時代が流れていくことによって、その人物の問題点は語り継がれなくなり、その偉大な業績のみが残ります。空海にしてもさまざまな話が後世に語り継がれていますが、彼の人間性というのはそうして残された逸話とは違うところにあったのではないかとも思います。果たして空海は、どのような人物だったのでしょうか。

耳成法市 2006年12月07日(木)22時26分 編集・削除

空海47歳のとき、海部(あまべ)の娘、19歳の厳子(いずこ・後の真名井御前)と恋仲に落ちますが、淳和天皇の側室として奪われます。その後、空海の姪、如円が逃がします。これが朝廷との対立を招き、空海は入滅の道を選びます。

真言密教の重要経典である理趣経は、男女の愛欲を説いたもの故、最澄に貸さなかったそうです。