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既存マスコミに危機感はあるか?

 日々の出来事を報道するマスコミとネットで発信される情報を見比べて、その違いに困惑される人々がいるようで、本日の朝日新聞朝刊ではインターネットで小沢一郎氏に支持が集まったように報道されるのはなぜかという切り口で3名の専門家に意見を聞いたものを記事にしていました。一通り読ませていただきましたが、インターネットでの投票は誰でも何回でも投票できるからあまり意味はないとか、インターネットの世論を形成するのは20代から30代の若い世代なので、正確に世の中の意見を反映していないだとか、インターネットは何でもありだから数や勢いがすごいからといって信用できないだとか、一部私の解釈では正確でないかも知れませんが、だいたいこのような一般的な認識で新聞がインターネット世論をばっさり斬っているような印象が強い記事だったように思います。これは、専門家の方々個人の問題というよりも、どういう内容で書いてくれ(あるいは喋ってくれ)と依頼した新聞社の意図の結果ではないかと思います。私はむしろ、今回の小沢一郎氏を代表に推すネット世論の高まりには別の側面があると思っています。それは、いわばはなから従来メディアを無批判に信頼しない層の増大を予感させるものです。続き

 インターネット上の情報には実にさまざまなものがありますが、新聞やテレビ局などが発信するニュースサイトについてはほとんど従来の主張を流すだけなので、これらに影響される人たちがいるのではありません。多くの方々はニュースを見るなり聞くなどして、個々のニュースにどんな反応があるのかということをネットで調べられると思います。それが、論評の通りならば問題はありませんが、そうでない場合、あくまでマスコミの情報を信じるか、ネット上の世論の方を信じるかということになります。

 一般的に、事件報道では警察や検察が発表する内容に準じた形で新聞やテレビは情報を流します。これは、逮捕後きちんと捜査した上で発表するから間違いはないだろうという立場からのものだと思います。裁判の報道にしても同様に、専門家として数々の事件をこなしてきた裁判官がよもや間違った判断を下すことはないだろうという考えに基づいています。これは、マスコミの方々の立場にたってみると、とりあえず自分たちよりも責任の重いセクションから出されているということで、もしそれが間違ったとしても、それは自分たちの問題というよりも発表した方の問題で済むという考えが全くないということはないでしょう。あからさまに警察や検察、司法が間違っているなんて論評を大々的に出してしまえば、以降きちんと情報を提供してもらえるか極めて不安な状況になってしまうことは誰の目から見ても明らかです。個人的には単に情報をそのまま伝えるだけなら、官報があれば十分だと思うのですが、そうしないで新聞社・テレビ局を通して発表するやり方が根付いてしまっているところにまずは問題があると言えるかも知れません。

 昨日のニュースで、以前入院患者の足の爪を剥がして傷害罪に問われた看護士の裁判で、高裁で無罪判決が出たということが出ていました。私の記憶している限りでは、日々のストレスのはけ口に担当するお年寄りの爪を剥がしていた鬼のような看護士という風に報道されていたと思います。一審の判決が出る前に、テレビ朝日の「ザ・スクープ」という番組で介護の実態を取材し、この看護士は無罪なのではないかという主張を流していたようですが、ここに私などはマスコミの中の若干の希望を見る思いです。でも一審では有罪で、今回の高裁への控訴となりました。まだ検察側が控訴するかどうか決めていないようなので確実なことは言えませんが、政治には関係ない普通の傷害事件についても検察があらかじめ予断によって犯罪をつくり、その通りに供述を要求するという流れが恒常化してしまっているということははっきりとわかります。

 そうした検察批判が、検察の発表や関係者取材で流される情報をそのまま出すマスコミへの不信へと繋がっていくことはこれは当然のことでしょう。今後、いくら警察や検察が自信を持って起訴した事案があったとしても、インターネット上の一部では「また検察の自作自演では?」といった話が消えることはないでしょう。そうした疑惑を一蹴するためにも取り調べの可視化や、事件が起こった当初から逮捕・起訴された人物を犯人扱いせず、多様にわたる事件の見方について公平中立な報道を行なう姿勢がないと難しいと思います。今いろいろとインターネット上でマスコミ寄りでない言論がされているのは、それだけ公平な報道がされてないことの裏返しであると私は思うわけです。

 今はまだ、いくらインターネットが普及したといっても、まだまだテレビの向こう側にいる人あたりのよさそうな司会者やコメンテーターの言う事を信じている人が大半だと思いますが、インターネットから情報収集することが当たり前の世代が社会の中心になった時、今のようなマスコミの威厳がそのまま続くとはとても言えないと思います。ヘッドラインニュースぐらいはテレビで確認するとしても、新聞は購読せず、テレビもさまざまなしがらみから離れたCS放送のニュース番組を見る層が増える気がします(現状のBSアンテナのままで、チューナーさえ対応していればCS放送は見られるようになります)。つくづく、テレビの地上デジタル化というのは、ごく普通の家庭において地上波放送離れを引き起こしかねない危険な政策だなあと思いますね。NHKを衛星放送を含めて視聴しようとした場合、月々2,290円(2ヶ月契約の半分で計算しています)となりますが、スカパーの基本チャンネルだけでも基本料込みで月々3,980円ということになると、もしスカパーしか視聴できないテレビが出たらそちらに乗り替える人たちは結構多いのではないでしょうか。そうした危機感を持っている様子がないテレビ・新聞が、現状維持を望んでそぞろ他のメディアを攻撃するような事が続くようなら、崩壊の瞬間は意外と早くやってくるのではないかと思ってしまいます。

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