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「たかがコラム」か?

 ここのところの政治の迷走ぶりは改めて語ることもしたくないほどなのですが、政治がどうのというより社会で生きている人たちの心が荒んでいった過程なのかなとふと思ったりもします。今回書くことは本当にどうでもいい事だと思うかも知れませんが、どうでもいい事の中に実は将来に向かっての不安というものが見つかる事もまた事実ではないかと思います。11月17日の朝日新聞朝刊『TVレビュー』にフリー編集者の飯田みかという人がコラムを書いていたのですが、最後まで読んで暗澹たる気分になりました。さすがに本文をすべて転載するわけにはいかないので、こちらでまとめて紹介します。続き

 泰葉(以降飯田氏の文章に倣って敬称は略させていただきます)の不可解会見を半ばあざけるような気持ちで面白がっていた筆者が、とある離婚経験のある友人が言った一言により考え方を変えてしまった。
「ああなる離婚直後の気持ちはよくわかる。壊れてしまった純粋な姿がいとしくて、たたく気になれない」
 その『思いがけない視点』を持ったまま見た11月4日放送の「キミハ・ブレイク」(TBS系)について、事前に収録したVTRを見て泣きじゃくった泰葉を見て『正直でとても可愛く見えた』のだそう。最後に歌った新曲の歌詞「許してあげよう/すべての心を」についても、心に素直に響いたので(番組の)演出でも許すのだそうです。

 文章の途中に『彼女をリードしたテリー伊藤の、計算なのか愛情なのか、見極める目を私は持たない。「見方が甘い」と言われれば自信はない』という逃げ口上のようなものも見えるものの、フリーの編集者として放送業界誌にも関わりのある人(ネットで調べたらそのような仕事もしているらしいので)が、テレビに映るその人だけを見て原稿を書いていると誤解されかねないほどの表現をしているのはなぜなのでしょうか。ワイドショーでは放送されていませんが、ネット上ではテレビで出ない事を含めて、一連の騒動の詳細を今でもしっかりと確認できます。

http://www28.atwiki.jp/yasuha/

 もちろん、人々の憶測や伝聞で泰葉個人を攻撃するようなものもあるかも知れませんが、フリーの編集者という筆者が事実関係を確認することなく、あまりにも安直に朝日新聞という大きなメディアに書けてしまうという現実に少々ショックを感じています。上のページの中に泰葉本人が書いたブログの内容が残っています。

http://www28.atwiki.jp/yasuha/pages/21.html

 上記のような泰葉の行動について、飯田氏がテレビで見て心に素直に響いたので許してしまったのだと捉える人がいたとしてもこの人は弁解できないでしょう。大きなメディアを使ってする言論で、こんなゆるいものでも「許される」のだとしたら、間違いなくそのメディアの信頼感は失墜します。たかがコラムだとあなどるなかれ。購読者はしたたかに見ているのではないでしょうか。

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