現在の日本の警察・政府組織は、洞爺湖サミットに向けて、自爆テロや爆弾テロを繰り返す組織が日本で行動を起こさないかということに重点を置いて警備をしているのだろうと思います。本日起きた東京・秋葉原での無差別殺傷事件というのはテロではないにしろ、多くの日本に住まれている方々を恐怖に陥れるだけの衝撃を与えたことは確かでしょう。被害に遭われた方およびその家族の方については、言うべき言葉さえ見付かりません。被害に遭われた方のうち、普段秋葉原には出掛けなかったという70代の男性の奥様はコメントの中で、こんな事が二度と起きないようにとおっしゃられていたといいます。しかし現実には以前から同様の事件が起きていて、それら一連の事件は国際的な組織の犯行ではなく、ごく普通に生活している個人によって引き起こされているという事は何を暗示しているのか。こんな時だからこそ、じっくりと考えてみたいのです。
今回の実行犯は、レンタカーとして借りたトラックを歩行者天国の中に突っ込ませ、衝突させた人に向かって刃物を振りかざしています。もしこれが海外で起きているような自爆テロの手法が使われていたと予想するだけでゾッとします。トラックに爆弾を積み、人ごみの中で爆発なんてことになったら、どれくらいの物的・人的被害が出るかは予想すらできません。そのような結果にならなかったのは、あくまで今回の事件が個人の衝動的な行動に依っていたということで、恐らく今後の捜査の中でも実行犯に命令を下した組織などは出てこないだろうということが予想されます。私は今の警察のテロに対する警備体制が全くのムダだとは思わないものの、ごく普通の日本で生活する人たちがなぜこうも暴走を繰り返すのかということを考えていかないと同様の事件を防ぐことは難しいだろうと思っています。
これから今回の事件の容疑者について、その動機が明らかになっていくことでしょう。これを書いている時点では「世の中がいやになった」「生活に疲れた」という話が出てきていますが、こんな事で殺されてしまうという理不尽さには大いに憤りがあるものの、憤っているばかりでは第二・第三の人物が同様の動機でひどい事を繰り返す可能性があります。いやな話ですが、すれ違う人がいつ暴走するかも知れないという社会に私たちは暮らしているという事にもなります。
ではこうした犯罪を減らすためにはどうしたらいいかということですが、当り前の事ですが、暴走する理由の元を絶つ事ができれば、ともあれ、今回の事件は避けられた可能性があります。つまり、生活の中にいくらかの楽しみがあり、世の中に絶望することのない社会を作り上げていくというしごくまっとうな話です。少なくとも私の回りでそんな事が起きないように、自分自身が人生を楽しんでいくということがまず今できることでしょう。もちろん、そうした個人の努力だけではどうにもならない事が出てくるでしょう。その場合は何が悪いのか、きちんと分析し、その対象をしっかりと見定め、まともな社会を作っていくため主張していくことが大事です。ただ今の世の中は、はっきりした敵というのが見えにくくなっています。個人での分析や抗議には限界があるわけで、本来はそうした事をするべきなのが政治家の役割であるはずです。国があって国民があるわけではなく、土地にいる人がまずあって、そこから国が生まれているのですから、生活に関する不満というものはもっと声高に叫んでも何の問題もありません。むしろ、積極的に国民に奉仕するのが私は政治家の使命だと思うのですが。
今回のような自分で犯罪的行為を行なってしまう人の他、安易に自死への道を選んでしまう人が続出しているというのもいやな傾向だと思います。もし日本という国に悪意を持った外部の人間がそうした人を取り込み、自殺という形でなく、自爆テロという華々しい死に場所を提示し、それに従ってしまう最悪のシナリオも冗談ではすまないような状況になってきたと感じています。だからこそ、社会全体を覆っている逼迫感をどうにかしなくてはなりません。もちろんこれは日本だけの問題ではありません。食糧危機や原油高騰によって喘いでいる人たちが具体的な攻撃対象を提示された場合、どこで自爆テロ事件が起こっても不思議ではない状況がもうそこまで来ているのです。特定の個人、企業が標的にされ、何の関わりもない人たちが犠牲になるような意味のない悲劇を何とかして避けるためにも、まずは自分の回りから、住みよく楽しい社会を広めていこうではありませんか。