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社会を変えるためにできること

 まず、伊藤一長長崎市長および、アメリカ・バージニア工科大における被害に遭われた方々、更に言うならばここのところ頻繁に発生しているバクダッドでの自爆テロに遭われた方々・その遺族の方に心よりお悔やみ申し上げます。何ら直接的な理由なく、突然に人生の終焉を迎えてしまった事には、憤りを禁じえませんし、何とかしてこんな理不尽な事がなくなるようにしなくてはならないと考えます。これから私たちはどういう社会を作っていくべきなのか考えてみたいと思います。続き

 今回俎上に乗せました世界で起こったそれぞれの事件について、場所や人は違ってもそこにはある種の共通認識があるのではないかと思います。それは、実行犯の抱える現代社会への閉塞感とでも呼ぶべきものです。件の暴力団員についてさまざまな情報が出てきていますが、市へクレームを言いに行った時の行動について、実にうまく警察沙汰を避けるような文句の言い方をしていたといいます。それがなぜ、未遂であったとしても警察沙汰にならざるを得ない直接的な暴力に走ることになったのか。これもマスメディアからの情報ですが、以前なら恐喝まがいの威圧的行動でいくらかのお金をせしめることができていたものが、今では警察との連携により、ほとんどお金を得ることができず、経済的にかなり行き詰まっていた可能性があるとのこと。これはあくまで個人的な考えですが、世をはかなんで自殺するのに、人様に迷惑がかからないようにするのではなく、わざわざ電車に飛び込むなど、社会へのメッセージ(復讐に近いかも知れません)を最後に発信して人生の幕を下ろす人たちと同じように、大きなインパクトを残して死にたかったのではないか。それはすなわち、バージニア工科大の犯人の取った行動とも一致する動機になります。バクダッドの自爆テロ犯も、死ぬことの勝利を信じて疑わなかったことは確かですから、今の世をどう修正していくかということが、これからの世界が暗黒に包まれるか否かの鍵になっていくことでしょう。

 今日お金を下ろしに銀行へ行ったのですが、そこでヒステリックに怒鳴りまくっている65才過ぎの男性を見ました。この人は現金自動預け払い機のうち一台が止まっていることに腹をたて、7分待ったが復旧しないのはどういうわけだと支店長まで呼び出して怒鳴り散らしていました。私自身も無味乾燥的な対応しかしない日本の銀行のサービスには辟易する部分もありますが、問題は現金自動預け払い機そのものにないことだけは確かでしょう。恐らく以前に同じ銀行相手に相当のトラブルがあったか、それとも単に生活に余裕がなくなっているかといったところなのかも知れません。残念ながら、今の社会というのはお世辞にもお年寄りに優しい社会であるとは言えません。何も言わなければこの男性も人々から何の関心も持たれず、取り残されていく恐怖感を感じることにだんだんなっていきます。こうした社会に対する心からの叫びをまともに受け止めなくてはならないサービス機関の窓口の方々というのは誠にお気の毒ですが、こうした問題行動を起こしている人物が対応を間違うことでさらに豹変し、次回にはガソリンを持って来店するような最悪の事態も起こり得るというのが今の時代の恐さではないかと思います。

 個人的にはもう、以上の荒んだ心を持った人たちについて、国や地方公共団体が何もできないだろうと思っているのですが、でも何とかはしなければいけません。それには社会全体でギスギスとした人間関係を円滑に持ってくことが必要です。普段の人付き合いの中でもそうですし、上に挙げた銀行など多くの人たちが集まる場所でのちょっとした心遣いがトラブルの芽を摘むことになります。今の企業はそうした対応について、ほとんどなくむしろ、ダメなものはダメだというような形で、相手側をどんどん追い込んでおいてそのまま放っておくような対応が目立つような気がします。暴力団壊滅作戦は実にいいことですが、それでは解散した暴力団構成員のフォローについてはだれが責任を持つのか。そこまで考えなければ、表面上は暴力団がいなくなったとしても、末端の構成員は地下に潜りさらに凶暴化・凶悪化するだけです。このままいけば、日本という国は実に恐ろしい暴力におびえるところになるような気がしてなりません。人を憎むことは止められないのはわかっていますが、時代の閉塞感を打破するために、今こそ多くの人々の知恵を借りる必要があるのではないかと思います。

コメント一覧

アイシティkofu URL 2007年04月22日(日)03時47分 編集・削除

「時代の閉塞感」ってこの記事にお書きになったことのキーワードのような気がします。この一週間ほど、地元市議会議員選挙にからんで議会や行政の閉塞感に苛立ちながらヤケッパチのブログを書き続けました。それも明日で終りでしょう(^o^)
私の場合、経済的にも社会的にも何も取り柄がない、この世ならぬ者ですけど、閉塞感の解消には世界中に開けているインターネットが役に立っているのだと感じています。
もしネットが無く昔のように本の世界だけに閉じこもっていたら私もおそらく何かしでかしていた可能性はあります。
最近政治絡みで読むようになったブログの中には、物凄い憤りが噴き出ているような感じを受けるものもあります。
竹中労さんは文字どおりペンで戦った人なのかなと、私は時間が許す限りこれから労さんの著作を読みたいと思っています。

管理人 2007年04月23日(月)00時59分 編集・削除

アイシティkofu さん コメントありがとうございました。

確かにネットの存在によっていわゆる「ガス抜き」のような感じになって物事に関わっていけるということはありますね。ただ、あまりインターネット万能とばかりにネットのみに集中してもいい結果は出ないような感じがするので、どの程度自分の中で配分していくかのメリハリも必要であるように感じます。

このブログもそんなに更新していないのですが、できるだけ外に出て、そこから何らかの材料を集めていきたいとは思っているのですが。

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