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米沢へ行ってきました

 今週末は前回の日記を残してから、東名高速を上り、東北道をひたすら下り、福島から山形へ行ってきました。今回はさくらんぼと米沢牛という食べ物もありますが、今大河ドラマで盛り上がっている上杉神社周辺を見てやろうということです。さすがに地元ではどこでも天地人のポスターやのぼりが立っていましたが、いろいろ思うところがありますので今回はそんなことから。続き

 米沢城のあとに作られた博物館内で、「天地人博」というものが開催されていました。当日の入場券は大人700円でしたが、個人的な意見を言わせてもらうならば、それだけお金を出した甲斐があったのかはなはだ疑問でした。というのも、展示されていたものは大河ドラマの情報であるとか、ドラマに関わる状況説明であるとか、ドラマで使われた小道具であるとか、そんなものだけでした。シアターということでNHKの関連会社が作ったプログラム(12分くらいの短いもの)が上映されていましたが、短いと言うことを差し引いても、たいしたことはなかったですね。国宝の屏風を展示することもあるようですが、レプリカを展示している時には割引くらいしろと声を大にして言いたいです(^^;)。

 もしこれから、米沢へ行って天地人の世界に触れたいと思われるならば、博物館は素通りして上杉神社の宝物殿に行かれることをおすすめします。入館料は400円ながら、そこに展示されている品の格が違うのです。直江兼続の「愛」の字の入った兜と甲冑(本物)だけでなく、謙信・景勝・鷹山の甲冑や謙信の使ったとされる仏具・袈裟・琵琶・烏帽子・馬上杯など、室町から桃山時代の上杉家のお宝がケースの中ながら間近に見られる施設は全国的にも珍しいのではないでしょうか。それも、明治以後も神社形式に移行することで上杉のお宝を散逸から守った当時の上杉家周辺の人たちの努力の賜物だと思います。

 それと、上杉家とは直接関係ありませんが、週刊少年ジャンプで紹介されたことでぐんと知名度が上がった前田慶次郎関連ののぼりがかなり多く見掛けられました。今回取ったホテルは駅近くだったのでしみじみ思ったのですが、米沢というところは駅周辺に昔からの繁華街がなく、さまざまなお店へ行くためにはかなりの距離を歩かなければならないのですね。それはまさに最上川をはさんで向こうとこちらで街割りがはっきり違ってきているのです。前田慶次郎の住んだ場所というのは駅から更に反対側に離れたところにあって、この人は本当にへそ曲がりだったんだなということが、地図を見るだけでもわかりました。個人のコレクションを集めた宮坂考古館という施設で、前田慶次郎が使ったとされる甲冑のほか、マンガを描いた原哲夫氏の描いたイラストまで展示されていました。ここにある前田慶次郎に関する資料はすべて(伝)と付く確認が取れないものではありますが、実際に物として展示していることが重要で、これからの大河ドラマの展開によってますますやってる人も増えるのではないでしょうか。

 今回わかったのは単なるブームに乗って取ってつけたような事をしても全然面白くないのだということでしょうね。

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耳成芳一 2009年06月17日(水)19時57分 編集・削除

謙信は琵琶の名手で、平家琵琶の朝嵐を奏でる音は、朝の海風にのって、佐渡ヶ島まで届いたそうです。

上越市、春日山城址には10年ほど前に登ったことがあります。ふもとの林泉寺わきの宝物館も入りましたが、米沢・上杉神社の方が、揃っているようですね。

でも、馬上杯とは…今なら飲酒運転で御法度もの、馬も軽車両扱いですから(笑)。

管理人 2009年06月17日(水)20時24分 編集・削除

新潟でも天地人博が開催されているようですが、会津から米沢へ上杉家が転封されるにあたり、謙信・景勝・鷹山および直江兼続の遺品を長年保管してきた上杉神社の存在があるので、新潟の方では展示も大変だろうと思います。

馬上杯については、ネット検索をしていたら上杉神社にあるものが紹介されている場所がありました。

http://akaishop.seesaa.net/article/60912937.html

本物が残っているからこそ、ドラマでもそれに似せた小道具を使うことで、当時の雰囲気をそのまま演じる事ができ、多少なりとも私たちはその時代へと思いをはせられるわけですが、歴史的な事実をなぞらないでドラマを進められると、さすがにドラマ自体の脚本の杜撰さも現れてくるような気がします。再来年の大河ドラマは篤姫の脚本家さんが家光の母を主役にオリジナルで書くそうですが、せめて歴史考証の方の意見はしっかりと耳を傾けて脚本を書いてほしいものです。