よなは徹&貴島康男ライブレポート

 

右 よなは徹 左 貴島康男

 2004年5月21日(土)、私のまるみかなーでの二回目のライブは、沖縄と奄美の若手の競演となりました。右が沖縄・北谷町出身のよなは徹さん、左が奄美大島出身の貴島康男さんです。ごらんの通り店内は満員の盛況で、演奏中はトイレにも立てないほどでした。ライブの活気を活字で伝えることは難しいですが、どうぞご覧ください。


貴島康男さん 5月19日のイベントに参加できなかったうっぷんを晴らすべく、その週の週末に行なわれたよなは&貴島康男という沖縄本島・奄美で活動をする唄い手の共演ライブを堪能してきました。私の知っているのは中学生時代の貴島康男さんで、丸坊主に学生服という印象しかありませんでした。ただライブ直前に現在発売中のCDジャケットの写真を見せてもらい(上記の貴島さんのリンク参照)、かなり作った表情はしているようでしたが、髪の毛は茶髪で、ちょっと見では島唄など奏でそうもない風貌へと変わっているという気がしました。

 ライブ開始のかなり前から店に入っていたので、彼ら出演メンバーがやってくるところに遭遇しましたが、CDジャケットのように小難しい表情は全くなく、現在は奄美で大工さんを生業にしているせいか、かなり気さくで人当たりのよい雰囲気をかもし出していました。

 貴島さんはライブの際中にも語っていましたが、現在大工として働いているのですが、今後大工さんをやめて、元ちとせさんのように芸能界にデビューするような野望はなく、あくまで本業の対極にあるものだと唄をとらえているようでした。それとは反対によなはさんの方は、ちゃんとしたプロダクションに所属しているプロの唄い手で、スタッフの方が片手にiBook(マッキントッシュのノートパソコン)を持って入ってきたりと、インターネットを使った広報など、しっかりした戦略を持って活動をしているようでした。そんな彼らのライブは、まずは貴島さんのソロ、次によなはさんのソロで、休憩のあと二人がほぼ交互に唄を披露するといういたってシンプルなもの。見ている方にもメリハリがきいて、なかなか聴きやすかったのではないでしょうか。

 曲の方もいたってシンプルで、楽器としては貴島さん用に近所のアジア雑貨のお店からパーカッションを借りてきて少し使ったくらいで、ほとんどが三線と太鼓(これはよなはさんの演奏)で演奏されました。両方とも20代半ばと若く、島唄だけではない様々な音楽を聴いて育ってきた人たちだろうと想像しますが、今回のライブに限っては民謡オンリーという状況でした。

よなは徹さん 内容については、沖縄と奄美双方の稲摺り節の競演なんていう、ほとんど打合わせはしていないと本人たちは言っておりましたが、興味深い出し物もあったりしました。そんな中、貴島さんが、彼自身島唄の教えを受けた坪山豊さんの曲「ワイド節」をカバー。もちろん坪山さんの唄もいいことは疑いの余地はありませんが、何と言うか、体力が有り余っているのではないかという程力で押すような演奏で、私が思うに今回のライブのハイライトであったことは確かでしょう。師匠と呼ばれるのを坪山さんは嫌うそうですが、年長者から若い人へと、伝えるものはしっかり伝えているのだなと感じることしきり。そうして受け継いでいった伝統を消化し、今後にかけてどう進化を遂げるのか。そんなことを思いつつ、これから順調に二人とも伸びていくのだろうということを予感させるようなステージでありました。一つだけ要望という形で書かせてもらうとすれば、それこそ「ワイド節」のように、二人が生活していく中で生まれてくるであろうオリジナル(当然注文で書くような曲もあると思いますが)を次の機会には聴いてみたいですね。よなはさんの方がむしろ、常に商業ベースを睨んでの楽曲作りということになるのかも知れませんが、それこそ星の数ほど生まれては忘れられていく島唄の中で残っていくだけのオリジナルがあることで、その世代はどうだったのかが評価されるように思います。今の沖縄・奄美で、さまざまな音楽ジャンルがある中、島唄はどうなっていくのかという、ちょっと大ゲサではありますけど、彼ら若い人たちにかかる期待というのはかなり存在すると思います。今後に期待しつつもいいパフォーマンスを間近で見られたことは、この上ない喜びでした。

 二人の音楽活動は単に沖縄と奄美ということだけでなく、違ったルートを取りながらもいろんなところで交わっていくでしょう。貴島さんは地元で、仲間うちで「ピンポンズ」というバンド活動もしていると言っていましたので、そちらの方の音というのも機会があったら聴いてみたいものですね。(2004.5.27)


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