2000年のライブ

 

明田川荘之(p、オカリナ)ソロ

(2000.11.4 東京・西荻窪アケタの店)

 

明田川荘之ソロ 

 

 久しぶりのアケタの店でのライブは、明田川さん本人のソロピアノでした。通常は夜の8時過ぎから11時前までのライブを楽しみ、帰りの足の心配をしながら挨拶もそこそこに帰るというのがいつものことでしたが、今回は深夜12時過ぎからのライブという事で、当然帰りの足はなく、始発を待とうという気持ちになっていますからだいぶ気が楽です。

 そうしてライブを楽しんでいるうちに時間の経つのは早いもので、結局正味二時間以上楽しんでしまいました。終了したのが午前三時前という状態で、アケタさんのパワーは未だ衰えずといった感じでした。最初のうちは風邪を引いて体調が悪いだとか、演奏をしていて暑くてたまらないと口にしたりだとか、大丈夫なのかと思いながら聴いていたのですが、これがプロ根性というものなのでしょうか。

 聴く側としては気を楽にして体勢をとっているせいか、ほんと素直に音が入ってきます。今回のライブでは特に美空ひばりの「りんご追分」がよかったので、主にそのことについて書きます。そもそも、ジャズといってもアメリカではどういう曲を演奏していたかというと、当時のポピュラーミュージックあり、映画音楽あり、当然ミュージシャンのオリジナルというものもありますが、スタンダードと呼ばれるものはやはり多くの民衆が支持していたというものの中から生まれたというのは疑いの余地がないことです。そういう意味でいえば、「りんご追分」は日本のスタンダードと呼べる数少ない楽曲の一つで、もっと演奏されてもいい曲でしょう。アケタさんはメロディ部分は押さえ気味、アドリブに入ると徐々に盛り上がっていくという、聴いているこちらとしては終わった後の余韻がたまらない演奏をしてくれました。名曲というものは不思議なもので、歌詞だけを見るとたいしたことない歌詞であるのですが、美空ひばりに歌われることによって命が吹き込まれるといった感じがしたものです。そこでのアドリブの盛り上がりは、正にここで紹介できないのが大変残念なほどで、見事にアケタさん独自の世界を作り出しています。見方が違えば単なる流行歌にしか過ぎないものでも、おそらく外国の人が聞いたらこれこそ日本の民謡だと思うでしょうね。

 当日は最後になってなんとこちらからのリクエストを要求するという、深夜のライブらしい展開になりました。そこで演奏してくれたのが古澤良次郎さんの「らっこ」。これも名曲で、アケタさんのピアノで聴くのは初めてでしたが、そのピアノで聴くのもおつなものです。人気のオーケストラと違って、深夜のライブというのはより一層演奏者と近い感じがしてしかも料金が安い(1ドリンク付き1000円)問題は帰りの電車がないということですが今回のように翌日休みの日なら西荻窪のサウナで始発まで待つとか、車で行って周辺の駐車場に止めて帰りは車で帰るとか、できないこともありません。静岡からだと遠いのが問題ですが、今回のようなライブを聴くとまた出かけてみようかなという気分にさせるものがあるのが不思議です。また、体力が有り余っているときにでもチャレンジしようかなと考えています。(2000.11.6)

 

Misha Mengelberg(p)豊住 芳三郎 (d)Duo

(2000.10.21 静岡市青嶋ホール)

 

Misha Mengelberg豊住 芳三郎

 

 即興演奏をクラシックホールでということになると、たいていの人は身構えるものでしょう。しかもこの日は野球の日本シリーズ初日で、多くの人が注目するON対決。そんな日にわざわざ即興演奏を聴きに来る人たちというのは、やはり小難しい顔をしながら聴き入る人たちばかり、ではなかったのです(^^)。私の隣に座ったのはお父さんに連れられてきた小学生のお嬢さんで、直前に両親に買ってもらったらしいモーニング娘。のカードを見ながら喜んでいます(^^)。モーニング娘。と豊住芳三郎さんというのはまた極端なと思いつつ(ちなみに、私の座った席はドラムセットの真ん前)、この異様な雰囲気に耐えられるのかと思わず心配しているうちに演奏はスタートしました。

 はじめは二人で演奏をしつつも、突然Mishaさんは演奏を中止し、観客席の脇、ちょうど私のすぐ隣にどっかりと腰を下ろし、手持ちの緑茶のペットボトルを飲みながら豊住さんの演奏に注目しています。豊住さんのプレイは、時には素手でドラムを叩いたりして、実に興味深いのですがさすがにそれを面白がっている人はいず、張りつめた緊張感というのが場に漂ってきます。およそ15分ぐらいのソロが続いた後、Mishaさんが復活。演奏をし出したのですが、お互いに意識しているようには感じられず、淡々と我が道をゆくと言う感じ。そのころになると隣の小学生はすでに飽きてしまったようで、父親に寄り添って寝に入りました(^^;)。まあ、それもしょうがないのでしょうね。そうこうするうち、突然今まで気の向くままに叩いていた豊住さんがリズムを刻み始めてきます。でも、Mishaさんの方には目もくれない。この状態でMishaさんはどう応えるのかと興味津々で見ていると、敢えてそれを無視するようにていねいに一音一音、音を刻んでいきます。こんな音はなかなか聴けるものではありません。Mishaさんと豊住さんの姿を交互に確認しながら、このまま演奏が進むとして、どうやって終わらせるのだろうと思ったら、先にMishaさんが演奏をやめました。ホールに響きわたるピアノの音が途切れた時、豊住さんがようやくMishaさんの方を向き、二人はにっこり笑って第一部の演奏が終了。休憩に入ります。

 第二部もこのままいくのかなと思ったら、今度はわりとある種の到達点に向かった演奏になりました。で、二人で合わせた演奏をやるようになってから『事件』は起こりました。おそらく主催者側が用意したと思われるサンドイッチのパック(薄いプラスチックのもの、おにぎりなんかが入っているものです)をまとめたものを豊住さんが取り出すと、いきなり手でしごき始めたのです。次の瞬間、立ち上がった豊住さんは、その小学生の女の子の前に行き、パックをグシャグシャにしてにこっと女の子に微笑みかけました。これを見た女の子は大喜び(^^)。その後も現場に散乱したパックを足で踏みつけたり、足をばたばたさせたりしてそのハイテンションは最後まで続きました。これはこちらの考えた勝手な空想ですが、最初の頃は普段の生活では考えられない、もし同じことをやれば両親から叱られるようなことをやっているおじさんたちを周りの大人たちは怒りだすこともなく、真剣に聴いているのは理解不能だったのではないでしょうか。それが、自分の目の前で演奏している本人が強烈な破壊行為を見せてくれたので、もう周りの大人のことなど目に入らず、純粋に演奏を楽しんだと。そういう意味では、むすっとして腕も足も組みながら手だけでリズムを取るような私のような人よりも、体全身でリアクションを取る女の子の方が十分に楽しんだし、豊住さんMishaさんも嬉しかったに違いありません。

 アンコールは二回ありましたが、最後にMishaさんがソロで演奏をしてくれました。その演奏は先程とは違って、まさにセロニアス・モンクそのものでありました。当然のことながら私はモンクを映像の中でしか見たことがありませんが、目を閉じるとまさにそこにモンクがいて、演奏してくれているような錯覚に陥りました。そうなるとここが静岡の片田舎であるということもにわかには信じがたくなったりしたのですが、音楽というのはこうした魔力を持っているということですね。やはり音楽はライブが最高です。来月早々また出掛ける予定なのですが、こうした素晴らしい演奏にまた会いたいものです。

 

 ソニー・ロリンズJapan tour2000(2000.5.31・静岡市民文化会館大ホール)

 ジャズを聴いていて、ロリンズの音楽を聴いたことがないという人はいないでしょう。憧れというよりも私など雲の上の人というような感じで、当日になって席についた時にもどうにも実感が湧きませんでした。本当にあの巨匠は来るのか? そんなことを思いつつ、あたりを見回すと、結構空席が目立つのです。客層は結構年配の方が多く、そういう人はなかなか出て来るのが大変になっているのでしょうか。しかし、ロリンズは1930年生まれの今年70才です。やっている人より聴いている人のほうがだめじゃあいけないなと思ったのですが。

 さて、定刻から10分ぐらい遅れて、バンドのメンバーが登場しました。一応メンバーを書き出しておきます。

Sonny Rollins(ts)
Clifton Anderson(tb)
Stephen Scott(p)
Bob Cranshaw(b)
Victor See-Yuen(pc)
Perry Willson(d)

 開演前の注意のほかは、日本語による解説とかもなく、司会者もない状態でロリンズがたまにMCをはさみながらライブは進行していきます。颯爽と緑のジャケットを着たロリンズが、メンバーを紹介した後、日本語でこう叫びました。

『ミドリヲタイセツニシヨウ』

 その時はそのための緑かと思ったのですが(^^;)。ロリンズのバンドで気が付いたことは、テーマからソロを各自回す時にも、ロリンズが未練がましくちょっとした音を最初出していることでした。見せ場というか、ロリンズがソロを取るところは結構あったのに、年に似合わず吹きたがっているなあと思って嬉しくなりました。買わなかったパンフレットによると(^^;)、この日の公演は東京の後すぐということで、その次が名古屋でした。もしかしたら、客の入りも悪いことだし、手を抜かれてしまうのではないかなと心配したのですが、そうした心配は杞憂に終わりました。ソロを延々10分以上もとったり、最後の方などは連続して何曲も体を揺らしながら、サックスを持ちあげながら吹きまくるし、ほぼ全力でやっていたのではないでしょうか。開演が六時半で、休憩15分をはさんで、結局9時15分ごろまでやっていましたから正味2時間半です。私はこの場所で別のコンサートの裏方を経験したことがあるのでわかるのですが、だいたい主催者側からすると撤収の時間その他を見込んで、午後9時ぐらいには終演するようにしないと、結構後のスケジュールが苦しくなります。おそらく今回のコンサートのタイムテーブルでもそうした予定が組まれていたと思いますが、アドリブにのったソロが止まらないのだから仕方がない。平均年齢が高い聴衆たちも(^^;)、最後のほうにはスタンディングオベーションをして、今年70才になるロリンズに喝采を送っていました。しかし、なんという力強さか。もちろんバリバリの若手に比べればパワーの面では劣るのですが、存在感というのはやっぱりありますね。そして、MCに入ると必ず日本語を交えてリサイクルの必要性や自然の大切さを訴える熱意が凄い。今回の来日の目的はよく知りませんが、音楽に乗せてアフリカを自分のルーツとすることから、自然の保護ということに残りの人生をかけているからこそ、こんな日本の地方都市でも全力投球をしているのかなあと思ったりしました。

 終演後、お決まりの花束贈呈で女の人が客席のほうからロリンズに花束を手渡そうとしたのですが、なぜかロリンズはそれを受け取らず(^^;)、代わりにばつの悪そうなピアノのスコット氏が、受け取っていました。なんか、一途だとそれ以外に気が回らないのか、自分で言うことだけ言って、やることだけやったら、後はどうでもいいと思っているのか(^^;)、さすが巨匠といわれることはありました。ほんと、今回は動いているロリンズが見られたらいいという気持ちでやってきたので、これだけの演奏をされてしまうと、後からジーンと来ます。ただ、前半最後の演奏の時、ロリンズのサックスについていたマイクが外れたのかPAの調子が悪かったのか、サックスの音が聞こえてこなかったのは残念です。舞台に置かれたスピーカーも貧弱な感じがしましたし、もう少しそういうところにお金をかけて欲しいなあとも感じたのですが。


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