2003年のお話

 

 

地方発の話題曲(2003.4.15)

 

 これだけインターネットが発達してくると、とりあえず流通経路だけ確保しさえすれば、ローカルなものもメジャーになり得ます。北海道発のローカルバラエティ番組、『水曜どうでしょう』は、インターネットや流通の発達とも無関係ではありません。

 この番組、不思議なことに、私のいる静岡で過去の再放送ともいえる『どうでしょうリターンズ』がネットで放送されていました。別に知っているタレントが出ているわけでもないこの番組がなぜこれだけ売れているのか。それは、番組のホームページの存在と無縁ではないでしょう。これは何だ? という気持ちがホームページでわかり、さらにはまっていく部分があるのでしょう。そして今回紹介する、番組のエンディングテーマ、樋口了一さんの「1/6の夢旅人2002」がいよいよ全国発売になったのでした。

 前後して発売されたDVDは、何とオリコンで初登場7位に出るほど売れたとか。そのわけは、予約自体を全国のローソンの端末から購入することができたからなのです。さらに予約状況をインターネットで煽るんですね。これで多くの人がはまってしまったということなんですが。

 知らない人にとっては、この曲、不思議な題名だと思う人がいるかも知れません。ちょっと説明しますと、サイコロを振って行き先を決める旅というのが番組の看板とでも言うものなので、それにあやかっているのですね。更に言うとこれは単なるタイアップなのではありません。作詞作曲の樋口さんがたまたま地元ラジオ出演の際、この番組のことを知り、旅人であるタレントにエールを送るために作詞したといういわくがあります。ちなみに、2002という年号がついているのかと申しますと、最初はこの曲、別の曲に乗せて歌われていました。V6の「always」という曲がそれですが、残念ながらこの曲は著作権がらみで使用が不可能になり、2002年にリニューアルされたのです。

 これが東京発のバラエティということになると、深夜枠の番組でも売れてくるとすぐにゴールデンへ移動し、そこで人気がなくなればすぐに終了ということにもなりかねません。さらにいろんなところとタイアップしたりとか、スポンサーの意向も無視できなくなり、それが結果として番組の質を落としかねません。主題歌だって番組の内容と全く無関係な、タイアップで売り上げを少しでも伸ばそうというものでは、視聴者が番組に愛着がわくわけがありません。

 これは、今の中央のテレビに対する実に明確な意見の投げかけでもあるでしょう。これからテレビもデジタル化が進み、優れたソフトとそうでないソフトの差はしだいに明らかになっていくでしょう。何でもスポンサー・視聴率といった中からは、少なくとも独得な番組主題歌というのは生まれない気がします。願わくばこの曲が多くの人に聴かれ、認知されるといいのですが。

 

「運命」の不思議(2003.3.30)

 

 プロ野球があまりにつまらないので、チャンネルを変えてみたところ、ありし日のカール・ベーム指揮のウィーンフィル来日公演の模様が放送されるとのこと。で曲はベートーベン交響曲第五番の「運命」とくればもう聴かないわけにはいかないでしょう。おそらくクラシックなど聴いたことがないという人でもあの冒頭のフレーズはいやでも耳に残っているはず。でも実はそれ以外にも他の楽章のメロディーも十分聞き覚えのあるフレーズがあるんですが。

 運命については以前から気になっていたことがありました。確かテレビのバラエティー番組でまったくの素人が指揮をやりたいということで、何をやりたいかというと、「運命」だったんですね。でも、専門家に言わせると、素人にはとても運命のタクトなど振れないという。試しに合唱隊を集めて、口で(^^;)楽器をしながら振ってみたところ、全く音楽にならない。で、簡単なものに変更したような記憶があるんですが、なぜ難しいのか。その理由がカール・ベームさんの指揮を見たらわかるんじゃないかと思ったのですね。

 というわけで、第一楽章の最初の動きにじっと注目しておりました。ところが意外にあっさりと振り、そのまま何事もなかったかのように演奏は進んでいったのでした(まあ当り前ですが)。でも、なぜあんな振り方をしてあの有名なフレーズが出てくるんだろうと思いました。で、改めてインターネットで運命とベートーベンについて検索をかけてみたところで、はっと気が付いたのです。もっとも、しっかり音楽をやっている人にとってはそんなことは知っているよと言われるでしょうが。でも、楽器もやらず楽譜も読めない私としてはまさしく青天のヘキレキでした。

 私と同じような素人のレベルだと、あの第一音は「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」だと思うでしょう。でも、そうではないのです。ベートーベンは最初の音をあえて無音にし、そこに八分休符を置いています(実際にはン・ジャ・ジャ・ジャ・ジャーンが正しい)。演奏開始直後に一呼吸置くことで、実にスリリングな音の出を実現するわけです。ですからタクトも普通に振っていれば、その後を奏者が追いかけてくるような感じになるという。そういうことを知らないと、音の通りに腕を振ろうとして目茶苦茶になってしまうという。これでようやく合点がいったというお粗末。

 まあ、こういうのを耳学問と言うのかも知れませんが、でも、こういうことは事前に知っていないと全然わからずに流されていくだけということにもなってしまいます。みなさんもベートーベンの交響曲第五番「運命」を聴く機会があったら、ぜひぜひ気を付けてみて下さいね。

 

記録としての意味(2003.3.8)

 

 テツ&トモのネタに過ぎなかったものが、売れるだろうということで週刊少年ジャンプ未だに連載中の「こち亀」のエンディングテーマとして発売され、大ブームになっています。でも、「ブーム」ということは必ず終わりがあるわけで。そういう意味では今の時期に売れてよかったの? という感じもするわけですが。

 彼らの芸はテレビでしかなかなか見ることができません。テレビがあったからしつこいくらいに耳に残るフレーズがはやりまくっているわけで。これを音楽として扱ってどうかという気がしますが、単なる「お笑い」であれば、ブームがあったとしても忘れ去られるのも早い。例えば、北野武さんは今では映画監督としての知名度の方が高く、最近物心ついた人にしては漫才のツービートを知らない人もかなりいるのではないでしょうか。北野氏はそういう「テレビ文化の一過性」というものを察知し、永遠(とは私は思いませんが)に残る映画というメディアに自分の才能をぶつけたのでしょう。

 話をテツ&トモに戻しましょう。例えば今から十年後、ほとんど間違いなくテレビは「あの人は今」というような番組で再登場させられることでしょう(^^;)。その際、現在のVTRが使われることでしょうが、それを見てもう一度私たちが追体験したいと思った時、CDとして残っているのといないのとではかなり違います。CDはあくまでCDであって、実際耳にする雰囲気とは別物ですけれども、予備知識があればそれなりに楽しめます。もっとも、今のブレイクを知らない人にとっては何でこんなものが面白いんだろうと思うんでしょうけど。

 彼らのネタは偉大なるマンネリズムですし、先日歌番組で観客が見えない中、二人で空しく(少なくとも私にはそう見えた)歌っていたのには思いっきり違和感を持ってしまいました。何か、ザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」を思い出しますねえ(^^;)(今調べたら、スタッフは作詩, 近田春夫. 作曲, 近田春夫. 編曲, 鈴木慶一というすごい面子だった)。細く長くやるんだったらまた別の道はあったと思うのですが、今のテレビ界ではちょっと目立つと放っておいてくれませんからねえ。ブームが去った後、どんな活動をするのかというのが今の私の興味だったりします。 

 


 

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