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他人の事にも気を掛けてみよう

 悪い事をして、しかも人を殺した犯人ということがはっきりしているのであれば、これはもう、誰からの誹りも覚悟しなくてはなりません。そうした想像力を欠如したまま、凶行に及んだ40代の男性がまた出現してしまいました。

 この日記では以前、30代から40代の男は、10代よりも危険な年代ではないかと書いたことがあります。私自身、いい年をした大人がこうした事件を起こすことについて、責めることすらあれ、弁護しようとはさらさら思いません。しかし、今回のように何の落ち度もないのに犠牲になった人が存在する以上、今、なぜいい年をした大人が危険なのか、改めて書いてみることにしましょう。続きを読む

行動することの意義

 私個人的な事でいえば、学生時代にデモに行くような周辺の盛り上がりは皆無でした。セクト抗争などというのも表面的にはなくて、多くの学生は政治的な事を全く考えることなく学生生活を送っていた時代だったと思います。その後、反原発運動の盛り上がりが一時あったものの、今の10代、20代と同じように、国の政策に対して行動を示すデモというのは「非日常」の何か危ない行為のように感じるとともに、あんな事をやっても何も変わらないと思っていた人も多くいたでしょう。

 この日記でもしばしば話題にしている電気安全法での、PSEマークのない一部の電化製品が中古で販売・買取りもできない問題について動きがありました。当然、まだ完全な決着はついていないと思いますが、ネットから発信された抗議行動に、経済産業省はたじたじで、後手に回った一応の対応策を出してきているという感じです。抗議の声がネットで挙がり、多くの人が電話などで問い合わせをした時には絶対変えないとかたくなな態度だった経済産業省がどうしてああも及び腰になったかというと、世界的にも知名度があるミュージシャンの坂本龍一氏などがテレビカメラの前に立って堂々と抗議行動をしたということもあるかも知れませんが、多くの人がデモをすることにより、それ自体は限られた場所での抗議行動に過ぎないにしても、テレビや新聞を通じて日本中に知らされた事もあるのではないかと思います。

 また、今のフランスでの大規模な若者を中心としたデモにしても、ああした映像が世界に配信されることにより、ここ日本でもフランス政府が行なおうとしている法律の問題について考えることができます。元々フランスの人たちは自らの権利意識に敏感で、ごく普通に抗議の声を挙げているということは、もっと多くの人が関心を持ってもいいような気がします。

 為政者の側は反対運動を起こすと、「地域エゴだ」というような公に配慮すべきような発言をしますが、政府が国民の生活権を犯すような事をするならば、私たちはもっと声を挙げてもいいのではないでしょうか。そして、あらゆる行為はやり方を工夫することで、世論を変える力にもなり得ます。

かくして、日本社会は変わらない

 昨日からずっとテレビはWBCの事しかやっていないという感じですが、早くもそれに便乗している人たちがいて、何だかなあと思ってしまいます。それと、試合終了後のシャンパンファイトを見ていて思ったのですが、改めて日本の政界財界、プロ野球界というのはご都合主義も甚だしいということです。

 テレビではイチロー選手がかはりはじけていることに注目しているところが多かったですが、私が一番興味を持ったのは読売ジャイアンツの上原選手のはしゃぎっぷりでした。

 テレビを見た人はおわかりかと思いますが、あれは中学生というよりも小学生のガキの仕業です(^^;)。あんなに純真で、楽しい男であるのに、私が上原選手に持っていたイメージというのは、自分の契約交渉に代理人を立てようとして拒絶され、憮然とした対応でしぶとく交渉を続ける姿であったりしました。また、メジャー挑戦を頭ごなしに拒否され、憮然とした表情も記憶に残っています。

 つまり、元々あれだけ楽しく野球をやりたい人であるのを、さまざまなしがらみによってがんじがらめにするのが、今のプロ野球機構であり、ひいては、今の日本にはびこる社会のあり方ではないかと思うのです。

 今回活躍した川崎選手や西岡選手はともに20代前半の選手で、おやじたちに言わせれば「今どきの若い者」です。しかし彼らはしっかり自分の事を認めてくれて、そこそこ自由にやらせてあげることによって驚くべき力を発揮しました。今回の事例を社会のすべてに当てはめることは無理があるのかも知れませんが、若者に限らず、本来、自由であるはずの人間をがんじがらめに縛り付けることでいい結果が出るということはないと思います。それでいて、自分とは関係ないところで活躍し、結果を出したところで持ち上げるんですね。政府が表彰するなんていうのは、選手のためではなく、むしろ国の方がそれを利用して自分たちもえらく見せたい事に過ぎないと思うのですが。

 今回出場した選手たちは、これからいろんなところでちやほやされるでしょうが、ファンからの暖かい声援は受けても、今回の騒ぎに便乗して利用しようとする輩に対しては、それに飲み込まれないようにして欲しいものです。これから開幕するプロ野球は、同じ選手が出ているにしても、大きな力により選手個々が首根っこを押さえつけられているような状況でプレーしている事を忘れてはいけません。

何が例外か

 今日になって経済産業省は、電気製品安全法について修正すると発表しました。今までは例外を認めると法律そのものがだめになってしまうから認めないという立場であったので、多くの中古ショップは残り少ない期間に売ってしまうため、仕入から考えるとかなり損をするような価格を付けて売りに出していた事を考えると、見事に政府に振り回され、多額の被害を生じたショップもあったのではないかと思います。

 今回例外措置とされたのは、一番社会に影響のある層から反対が出たいわゆるビンテージ楽器や音響機器などです。経済産業省の出してきた要件は以下の通りです。

特別認証制度(いわゆるビンテージもの関係)
以下の要件を満たす場合には簡単な手続で売買できるようにする。
1)電気楽器、電子楽器、音響機器、写真焼付器、写真引伸機、写真引伸ランプハウス又は映写機のいずれかであること。
2)既に生産が終了しており、他の電気用品により代替することができないものであって、かつ、希少価値が高いとみとめられるものであること。
3)旧法(電気用品取締法)に基づく表示等があるものであること。
4)当該電気用品の取り扱いに慣れた者に対して国内で販売する物であること。

 果たしてこんな制度をどう適用しようとしているのでしょうか。そもそも「ビンテージ」とは誰がどうして決めるのかわからないですし、「生産が終了しており、代替ができないもの」はこれらの製品以外にも数多く存在しています。なぜ上記製品だけが選ばれたのか。それは抗議する力が強かったからだけではないかとも思えます。楽器ということでいえば、はっきり言って音が出るものは何でも楽器になるということもあります。ターンテーブルは、今ではそれ自体が楽器のように使われていますが、それと同じように今の私たちの常識では全く楽器だと思われないものを使ってものすごいパフォーマンスをする人たちが今後出てくるかも知れません。その手法が一般的になった時、それと同じものはこの法律によって売ることができないという場合だって有りえるのです。

 はっきりいって、今回の「例外措置」によって更なる混乱が出てくるに違いありません。いったん売ってしまったものを取り戻すことはできませんから、安く売って損害を出したところの中には、国に対して損害賠償請求を上げるショップもあるかも知れません。まあ、コロコロと発言を変えて市場を混乱させたのですから、当然賠償請求には応じる考えもあるのかも知れませんが、さらにまた「例外」の品を増やすような事をするならば、とっとと中古品に対する規制を撤廃した方がいいと思うのですが。

地域の声を開かないと……

 住民投票で地域が変わるのかどうか。以前、新潟県の巻町で東北電力による原子力発電所の事業化が明らかになったとき、地域の原発反対の立場の人たちはしぶとい運動を続けていく中で、住民投票を実現させ、そこで反対の結果を得ました。その後、ついに東北電力はこの地での原子力発電所の計画を棚上げしました。発電所の建設というのは単なる一企業の判断だけではなく、国の電力政策ともからみますから、こうした反対運動をやっている中で、「単なる地域エゴでの運動はやめろ」というような批判もあったことでしょう。

 本日、山口県岩国市で行なわれた米軍基地における、空母艦載機部隊移転受け入れについての住民投票では投票率が50パーセントを越えて住民投票そのものが成立しただけではなく、米軍空母受け入れ反対という結果が出ました。しかし、その結果を見て与党自民党の代議士は、すぐにこういう事を住民投票にかける事自体適当ではないとし、一種の地域エゴイズムだと切り捨てています。

 沖縄の基地反対運動への政府の対応もそうですが、そこに住んでいる人の意志というものは考慮されなくていいのかと思う人もいるでしょう。国として決めた事は絶対だと言いたい気持ちはあるのでしょうが、国会で決まっていっている事に十分な議論が尽くされたのか、はなはだ疑問です。そう考えると、ライブドアのあの一連の騒ぎというのは、うまく政府の進めたい事を有無を言わさず遂行するために役に立っているなあと(^^;)。

 上の話だけでなく、国会ではどんどんいろんなことが決められていきます。人権擁護法案にしろ共謀罪の適用問題にしろ、下手をしたら今のインターネットコミュニティの雄、2ちゃんねるやmixyなども、ちょっと本音を出して書き込みをしたとたんすぐに身元を洗われて、多くの人が刑事罰を受けてしまうようになっていくかもしれません。そんな事件が増えれば、そうしたサイト自体ももはやコミュニケーションの場として機能するはずもなく、場そのものがなくなってしまう可能性さえあります。ブログにしても、あまり本音を語りすぎたり、交友関係をばらしたりしていると、自分だけでなく人にも迷惑(つまり逮捕されるということ)がかかってくるので、そうした場も徐々になくなっていくという。

 そうなったら、今インターネット上で俎上に乗せられている人たちはほっと一息つくことになるのでしょうか? 残念ながらそう世間というものは甘くはないでしょう。ネットで自由に発言できるというのはある意味ガス抜きであるとも言えます。そういうものをすべて押さえ込んだところで、そこに生きている人の数は変わらないのですが鬱積されたエネルギーが私の想像を超えたところで次々に爆発するような社会が近い将来生まれていくでしょう。つまり、過激派でも何でもない普通の人たちが、今より多くの事件を起こすようになると私は思います。秩序が壊れた殺伐とした社会が生まれる余地が出てくるわけですが、そうした社会こそ、実はテロリストが暗躍しやすく、テロ実現可能な社会なのですね。警察官や軍隊といっても、今のままでは普通の人たち(政府に見放された人たちも多く出るでしょう)の相手をするだけで手いっぱいになってしまうでしょうから、下手をしたら政府そのものの危機すら感じます。国というのはまずそこで暮らす人たちの幸せをどう実現するかというのがないといけないと私は思います。そういう意味でも、今回の岩国市の結果についてどういう風な見解を出すのかは重要な事だと思うのですが。

個人はそれほど悪くない?

 ここのところ、会社や役所・警察や自衛隊まで、組織内の情報流出が止まらなくなっていることが盛んに報じられています。で、報道の流れを見ていくと、情報を持ち出した個人および、パソコンソフトのWinnyが悪いという感じがありあり。


 このWinnyというソフトについては、その作者も逮捕されるなど、最初から狙われていた感じがあります。しかし、これら一連の情報流出の裏には、実のところWinnyというソフトとは関係ない問題をはらんでいると私は思っています。


 まず、いともかんたんにパソコンがウィルスに感染してしまうのはなぜかということです。パソコンはインターネットに繋いでいなければ、こんなに大きな問題になることはないでしょうが、今はADSLや光ケーブルなどにより常時接続が当り前になってしまっています。ウィンドウズのパソコンを使うのならば当然、毎月一回のアップデートは必ず行ない、日々のウィルス・スパイウェアチェックを行なうとともに、添付ファイル付きメールやマクロ付きエクセルファイルを開けないなど、最低限の自衛策ができなければすぐにウィルスに感染してしまうことは明らかです。多くの人はそうした危険性を認識しないで、全てのファイルを一台のパソコンに詰め込んでいます。ウィルスに感染するだけではなく、もしハードディスクがクラッシュしてしまったらどうするのでしょうか。しかし、メーカーは単に高性能になったパソコンを売るだけで、日々のパソコンの使い方というのは使っている個人が積極的に学習しない限り顧みられないのです。以前全国で、パソコン初心者に公費での講習会が無料で開かれましたが、その後のフォローはどうなっているのでしょうか。とりあえずウィルス駆除に自信がない人は、中古でもいいですからWinny専用のパソコンを買って、見られたくないデータにアクセスするパソコンと用途を分けるべきです。


 ただ、私が問題にしたいことは個人の範疇を越えたところにあります。そもそも、なぜ多くの人が会社や学校・役所の資料を持ち出し自分のパソコンで作業をする必要があるのでしょうか。全て職場内のパソコンで作業が完結していれば今回のような問題も起こらなかったわけで、それを許さざるを得ない職場の環境こそが一番の問題であると私は思います。


 職場に残って作業をすれば残業代が付きますが、あまりに長く仕事をさせていると、雇用状況自体が問題にされます。家に持って帰ることで、個人は家族と一緒に過ごす時間さえ、仕事にあてなくてはなりません。正社員であればこそ、このような仕打ちに耐え、今回のように情報流出になったらいともかんたんに首を切られるような感じになってしまうのでしょうか。まず報道されなければいけない事は、情報流出したところの労働環境がどうなっていて、日常的に仕事を持ち帰るような事になっていなかったかどうかというところなのではないでしょうか。


 私はこのままこの問題があくまで持ち出した個人の問題とされ、やはりファイル交換ソフトはけしからんという風になる事を懸念しています。まず非難されるのは、情報持ち出しを許す職場の環境にあり、全てを個人の問題とすべきではありません。

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