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時代をどう伝えるか

 先日、どこかのニュースでパソコン雑誌が存亡の危機にひんしているというのを読みました。その種の雑誌にはかなりお世話になってきたのですが、それはどうしてかと考えると、ネットからダウンロードするには大きいソフトやデータがCD-ROMの中に入っていたりしていたからなのですね。今のような動画を全くストレスなく見られるくらいのスピードでの常時接続というのは、全く考えられず、ISDNで繋ぎ放題が実現したことでとてもびっくりした時から比べると、今やパソコン雑誌で読むべき情報はすべてインターネットのニュースサイトで手に入ってしまうというのが現実の問題としてあります。こうした流れというのはどこまで行くかとふと考えることがあります。パソコン関連でない雑誌や新聞というのは、全てネット上の情報提供だけで十分なのかということです。続き

 昨年、単三乾電池2本で動く、SDカードに記憶させたテキストのデータを本を読むように読むことができる「電子ブックリーダー」を購入しました。電子データを紙に打ち出さずに携帯することができるということで、便利なことは便利なのですが、文庫本と比べると大きくて重くなってしまうのですね。これなら携帯電話の機能にあるブックリーダーを使ってテキストデータを閲覧する方がいいくらいです。ただ、今の世の中では携帯電話に振り分けられた機能というのは本来の電話だけでなくインターネットやメール、そして音楽や画像記録など、あの小さいバッテリーで多くの事をこなすように求められています。そんな中、テキストデータやコミックを携帯で読むようなライフスタイルが普通になっていくのか疑問が残ります。

 何しろ紙媒体というのは電源がいらず、しおりや付箋を使えば、すぐに目的のページを探し当てることができます。大きな力を入れてもそうそう駄目にならないし、駄目になったとしても旅行に持っていく文庫本なら、数百円で手に入ります。水に濡れるとシワにはなりますが、読めなくなるということはありません。さすがに火が付いてしまったらどうしようもありませんが(^^;)。

 ただ、個人的には以前と比べて雑誌類はあまり購入しなくなってしまいました。家にある昔の雑誌と比べると、後々までとっておこうと思う物が少なくなっているような気がします。たまたま手元に、以前古本で購入した虫プロ(手塚治虫氏の会社)発行のマンガ雑誌「COM」1968年のもの(^^)があるのですが、月刊誌なりののんびりさはあるものの、今読んでも実に面白いのですね。評論家の石子順造氏と手塚治虫氏とのネチネチした論争があったり、時代の空気がひしひしと伝わってきます。今、日本にはいろんなサイトがありますが、こうしたサイトは10年後、20年後にも読むに耐えうるものであるのでしょうか。もっとも、多くのサイトは10年間さかのぼって古い書き込みを読めるようにしてあるのか疑問がありますが。

 これは、私を含めたインターネット上で発信している人にとって、もっと真剣に考えなくてはいけない問題だと思います。時代の空気をネットはどこまで後に伝えていくことができるのか。今も膨大に垂れ流されている多くのデータをどう残していくかということとともに、このブログでもいろいろと考えていければと思っています。

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