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多数決で決まる教育基本法

 以前、学校におけるいじめの一因に、社会全体の風潮があるのではないかと書きましたが、良くも悪くも、政府が何をするかということに今多くの児童・生徒たちが注目していることだけは確かでしょう。そうでなければ、先生や教育委員会を飛び越して、文部科学大臣に手紙を書くようなことは起きないのですから。続き

 昨日から今日にかけて、政府は教育基本法を野党が本会議を欠席したまま可決してしまいました。強行採決のような騒々しいさわぎは起きませんでしたが、話し合いは尽くされたという論理で、野党との歩み寄りを拒否して数の論理でごり押ししたということは小学校高学年の子たちならわかるでしょう。果たしてそうして決まった法律について、どこまで子どもたちは従順であるのか。そういう影響も考えずにこのまま法律が決まってしまったとして、現場はいじめも学級崩壊も終息の方向に向かっていくのかと考えた時、暗澹たる想いを巡らせずにはいられません。

 私はむしろ、こうした決め方がまかり通ることを子どもたちに知らしめることで、今以上に少数者の意見が学校内で採り上げられなくなるような感じがしてなりません。少数者というのはいうまでもなくいじめられる側であり、そうした子どもたちの意見が聞く耳を持たれないということになれば、その子たちは学校教育そのものを拒否するしかなくなります。国会内の論戦の中、議論が尽くされたと与党側の議員が考えているのは実感としてあるでしょう。しかし、国会というのは子どもでさえも今注目しているのですから、そこで誰がどう動くかということは、それこそこれからの教育現場においての影響について考えるべきではなかったかと私は思います。

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耳成法市 2006年11月16日(木)22時37分 編集・削除

国家が教育に介入すればする程、義務教育は政府機関による洗脳の場と化してしまいます。お上のやる事に、無批判で従順な、下僕を量産するだけ。朱子学的な「滅私奉公」は北朝鮮や中国の様な、個人崇拝的な独裁体制を産み出す下地と成りますし、カルト的な宗教団体への入信者を増やしてしまう結果を招きます。

山本五十六は長岡の母校に「自由奔放な発想こそ、一番大切に守っていくべきもの」旨の言葉を残しておられます。

管理人 2006年11月18日(土)08時41分 編集・削除

私の住んでいる静岡県は、富士山があるせいか、さまざまなカルト宗教が出ては消えということをくりかえしているような気がします。先日、繁華街を歩いていたら、一時期テレビでも有名だった福永法源という教祖が唱えた「最高ですか」というお題目を道で叫び続けている輩を見掛けました。もうすでに教団自体が解体されているにもかかわらず、まだ教団の依存から抜け出せずにいる哀れさを感じつつも、今の日本には心の拠り所をなくした精神的難民を受け入れる場所がないのだということも実感した次第です。

オウムについても、彼らが教団を辞めた場合、どこへ行けばいいのかという問題があります。失業対策とともに、社会から弾き飛ばされたこの種の人たちをどうするのかということも徐々に考えていかないと、これからの日本は土台から崩れていくような気がしてなりません。

東行 2006年11月19日(日)13時00分 編集・削除

 今から半年ほど前ですが、esの電話帳移行を検索してこちらにたどり着きました。用は済んだのでほとんどの検索結果は消去しましたが、こちらは管理人さんの記事に惹かれていまだロムさせていただいておりました。初のカキコです。よろしくお願いします。

 2元論的な国家のあり方は、アメリカが代表的な例で、己の正義のためなら殺人も仕方なしという風潮は確実に日本にも定着しつつあるのでしょう。これが力こそ正義、強行採決、いじめにつながっているというのは言い過ぎではない気がします。まことに憂うべき事態で、悲しい現実です。

 過日の記事に関連したことをお書きになっていましたが、いじめ問題を考えるとき、まずは自殺そのものについて考えてほしいと思います。個人的には自殺を否定しません。ひとつの選択肢として認められるべきものだと考えます。しかしながら、「死」を道具として扱うことは許せないことです。それほどまでに命は軽くないし、道具としての死は、以後他人の手によってどのようにも変化させられる。
 小泉氏が戦時中の特攻隊員を例にとり、日本の礎となったという類のコメントを多々残していますが、これも同様に気持ちのよいものではない。実際に美しい死だったかどうかは別問題としても、それを政治の道具にすることは気持ちのよいことではありません。そして、いじめの訴えや改善を求めるために死を道具にすることも否定したい。そもそも小学生や中学生にしっかりとした死生観はないでしょうが、どちらにしても命は道具ではないことをわかってほしい。2ちゃんで見かけた「教育長の首と交換か。安い死に方だ」という冒涜は、それでいて真理をつく言葉として私の中に残っています。

 マスコミは視聴率を、政治家は政策として、自殺を好きに扱う。だからなんら問題は解決しない。私は学校現場を知っていますが、まったく前と変わらないどころか、ひどくなっている感さえあります。なんとも情けない世の中ですね。
 

管理人 2006年11月20日(月)00時57分 編集・削除

東行さん 書込みありがとうございました。

「死」を道具として扱う事について、別の例を稿を改めて書かせていただきましたが、ここでは少し、児童・生徒の自殺ということにしぼって書いてみたいと思います。

 ここのところ四国のお遍路に関する映画やドラマが数多く出ていまして、毎週土曜日の夜のドラマは面白く見ています。大人の悩みをそのドラマで採り上げていますが、私も十年以上前から少しずつお遍路を車で回っています。これは回り始めた10年以上前の話になりますが、とある宿坊とユースホステルが一緒になった四国霊場のお寺で、私はユースホステルの方に泊まっていたのですが、宿坊の方が年寄りばかりで面白くないとお坊さんの見習いのようなお遍路さんが私たちのいる部屋へとやってきて、そこでお互いにいろんな話をしました。そこには同年代の人たちだけでなく中学生くらいの子もいたのですが、「神」についての概念の話とか、死生観についての話など、とても中学生には扱いきれないところが多かったのか、彼との話がかみ合わなかったということを今でも覚えています。これらの年代の人では相当に興味を持っている人でもいわゆる「オカルト」止まりの知識になっていることが多いのですね。今ではそうした知識の源というのは、一昔前は少年週刊誌で、今のほとんどテレビのバラエティー番組が元になってのものだと思います。

 児童・生徒が自殺することについて、自殺する子たちは、死んでもすぐにリセットできると思っているのではないかという話がありました。いわゆる「生まれ変わり」「前世」ということですが、こうした事というのは今生きている人では到底結論が出せない問題であります。その昔、自分の前世をこと細かに語った人の一つの事例というのがあって、このケースでは、以前ラジオで聞いた歴史物語の人物が自分であると思い込んでしまったということが本人の記憶をたどっていく中で明らかになったといったことがあったといいます。もちろんこうした論理的にすべてが説明できることではありませんが、一つの意見を聞いただけで「前世」の存在を信じてしまう短絡性によって大切な命を亡くし、それを残った人によっていいように使われてしまうということになるというのは本当に不憫です。大人としては、テレビなどで派手に伝えられるものでない別の見方についてしっかりと教えてあげるべきだと思いますね。

東行 2006年11月20日(月)01時14分 編集・削除

 興味深く拝読させていただきました。

 私は無神論者です。いや、正しくは「神の定義は唯一絶対全知全能」としたときに無神論者となります。いわゆる八百万の神の精神は持ち合わせていて、なにより忝い、という言葉に価値を見出すようなしょうもない人間です。
 ちなみにHNの東行は、西行法師を慕った高杉晋作の法名のようなもので、無断拝借しているしだいです。

 横道にそれました。
 私は、昨今の自殺、いじめ問題の本質には、2元的なものの見方があると見ています。遠くそれは一神教を指す。そしてアメリカが代表的な例となります、特に原理主義にいたっては短絡的な結論を導き出し、己の正義の前に迷いはありません。唯一絶対の神の前に迷いはないように、でしょうか。
 マスコミもその路線を着実に歩いている。面白いか面白くないか。それ以外に重要な価値はなくなるつつある。日々画面に出現する偉そうなドレスの熟女や、着物姿で怪しげな話をし続ける番組を見ると悲しくなります。仮に彼らの話が本当だったとしても、メディアというフィルターはさらに過激に仕上げて流す。それはまさしく中高生にダイレクトに入っていくかもしれない。輪廻転生が何事かを説かずに、安易に生き返りだとか生まれ変わりだとか・・・・。まさに大人の常識を疑います。

 私は前世だとか生まれ変わりだとか、霊だとか神だとかは信じていません。しかし否定するつもりもない。もしもそれらが実在(?)するものだったとしても、そう人間に都合よくありえるはずもない。
 自殺に限らず、死に行く人はどの段階でそれらを悟るのでしょうかね。悲しいことです。

 なにか友人に語る愚痴のようになりました、大変失礼しました。