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勝つ事だけが全てなのか?

 日本には「勝てば官軍」という言葉があるものの、いにしえの戦の作法として不意打ちはせずにお互いに名乗りを上げてから正々堂々と戦うことをしていた時代もありました。そして戦いが終わればお互いに尊重しあうような状況もありました。「昨日の敵は今日の友」という言葉もあります。サッカーのワールドカップが日本で開催された時に、なぜ日本のサポーターは直接試合をしたロシア・ベルギー・チュニジアですら大歓迎したのか訝しがった海外の声もありましたが、こうした精神を重んじる伝統が現代までに受け継がれていると言えるでしょう。

 こうした思想に近いものとして、こんな話があります。東京大学の前身である第一高等学校は、当時の日本の野球をリードしている存在でありました。とある試合でクロスプレーになった際、審判は第一高等学校の選手側(確か走者であったと記憶しています)に有利な判定を出しましたが、それを聞いた選手が自ら自分はアウトだと自己申告し、審判の判定を覆したという事があったそうです。この話が事実なのかちょっとわかりませんが、昭和初期の少年少女向けの読み物の中で、自分に正直であれという事を諭すために例示された物語として出ているのを読んだことを覚えています。さすがに今の時代、こんな甘い事をやっていたのではどうにもならないでしょうが、ついこのような話を思い出してしまいました。続き

 2010年ワールドカップ決勝トーナメント一回戦、イングランド対ドイツでの世紀の大誤審は、恐らくドイツのゴールキーパーにはラインを割って入っているのはわかっていたと思われます。うまく審判の目をごまかして得点は認められませんでしたが、テレビでを見ていた人はボールがゴールラインを割ったのをしっかり見ています。これがサッカーだと言われれば確かにそうですが、恐らく日本チームがこのような疑惑のゴールで勝利を収めたとしても私個人はちっとも喜べないでしょう。

 今回のワールドカップは予選の段階でもフランスのアンリ選手が、決勝ゴールはハンドの反則だったことを自覚しつつも、自国の勝利に何の疑いも持っていない様子でした。フランスは1次リーグで敗退しましたが、もし惜敗したアイルランドが出場していたらもっと違った大会になったかも知れません。そういう意味では、世界のサッカーというのはどんなに汚名を着ようとも結果のみがすべてであるということになってしまうのかも知れませんね。

 このゲームを見るまで、日本チームには次のパラグアイ戦にはどんな事をしてでも勝ってもらいたいと思っていましたが、勝敗は時の運として、フェアプレイをして全力を出し尽くしてくれればそれで満足です。今は大変失望しています。

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