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水戸黄門

 先週の日曜日、京都まで行ったのですが、現在にわたって続いている山上伊太郎忌に昨年から呼んでいただけるようになったので昨年に引き続き参加してきました。山上伊太郎という名前を知らない方もいらっしゃるかも知れませんが、日本映画黎明期の脚本家・映画監督として御活躍された方です。41才の若さでフィリピン・ルソン島で行方不明となり、京都のお寺にお地蔵さんをたて、毎年心ある方々が故人を偲んでいます。数多くの傑作時代劇を作られた氏を偲び、今回は殺陣師である中村和光氏が参加され、数々の興味深いお話を聞くことができました。続き

 中村氏の経歴は1952年に映画界(宝プロダクション)に入り、東映剣会を経て足立伶二郎氏に師事され、殺陣師として活躍されました。1964年に東伸テレビに移籍し、16ミリで撮影されたテレビ時代劇のお仕事をなさいます。東伸テレビは1965年1月に倒産してしまったので、以後、松竹京都映画などでフリーの殺陣を担当されました。さまざまな巨匠と呼ばれる監督、有名俳優との裏話などをたくさん聞くことができすばらしい時間を過ごさせていただいたのですが、参加者もちまわりの挨拶の中で、

「私の世代ではまず時代劇といえば『水戸黄門』で……」

 と言ったのを気になされていたようすで、一息ついた時に、

「今の水戸黄門の、里見浩太朗についてどう思う?」

 と尋ねてこられました。ここを読まれている方の中には里見氏を贔屓にしている方もおられるかも知れませんが、先代の石坂黄門があまりに今までのパターンを崩した影響もあり、その結果としてキャスティングされた里見氏は、やはりどこからも文句が来ないように演じられているようにしか思えなかったので、

「どうにも優等生的なところがあってちょっと……」

 と言葉を濁したのですが、中村氏はそこから歴代黄門の評価を述べられました。水戸黄門という人物は、お忍びで旅をしていてもれっきとした武士であり、やっている役者もそうした威厳を出した方がいいように思える。そういう事からすると、やはり東野英治郎氏よりも、月形龍之介黄門が一番で、毛色の違った黄門様としては西村晃黄門を推すとのこと。現在こちらでは夕方、水戸黄門の第二部が放送されているのですが、回によってはすでに印籠が出てきます。なぜ毎回印籠を出さなければならなくなったのかというと、画面からみる黄門様(この場合は東野黄門様)は、その存在だけでは悪代官を平伏させるだけの迫力に欠けている(月形黄門でも印籠ではなく葵の御紋の袋を出すシーンはありますが)と制作側の方々もだんだん感るようになったからなのではないでしょうか。もちろん、東野黄門様にはいわゆる田舎爺として見事に気配を消し、お忍びでの旅をしているとも言えるのですが、その存在だけで只者ではないと皆に感じさせ、この方が誰あろう水戸光圀公であると一喝したら皆が平伏するだけの迫力が月形黄門にはあることは確かです。ただ、今では印籠を出すこと自体を多くの視聴者が待っているわけですから、いくら里見黄門様が威厳ある黄門様を演じようと思っても、にわかには許されないでしょう。その点ではいくらか差し引いて里見黄門を評価すべきだとは思いますが。

 その後ネットなどで調べたら、中村氏が参加していた東伸テレビでは、多くの人がテレビ時代劇での初代水戸黄門と認知している東野黄門様より前に同じTBS・ブラザー劇場で放送された月形龍之介氏が演じる水戸黄門に関わってこられたことがほぼ間違いないということがわかりました。そういう経歴の方だからこそ、そんな話になったのだなと今になって思うのですが、良くも悪くも今の時代劇を支えているのは水戸黄門であるわけで、今日は改めて新シリーズを見てみることにしました(前置きが長くて申し訳ありませんm(_ _)m)。

 いつの間にか風車の弥七が復活し、今シリーズではうっかり八兵衛も「ちゃっかり」と名を変えて復活しています。そうした永遠なるマンネリ化を踏襲する非の打ち所のない内容でした。しかし、視聴率は低迷しているようですね。水戸黄門といえば、本放送のない曜日の視聴率で、TBSの全番組の視聴率で全て10パーセントを切った日があり、その日の最高視聴率が何と水戸黄門の再放送だったという笑えないニュースがありました。今回の放送の視聴率も下手をしたら10パーセントを切ってしまう可能性があるかも知れません。お年寄りには鉄板だったこの時間帯でなぜ水戸黄門の視聴率が下がっているのでしょう。さまざまな要因はあるかも知れませんが、私は水戸黄門のドラマそのものに原因があるとはにわかには信じがたいのです。

 TBSが社を挙げて番組の改編を行なったのは記憶に新しいですが、丁度年度が切りかわる際に行なわれた「ドミノ倒し」には見ているこちらが引いてしまうほどの社員のテンションの高さと赤いTシャツばかりが(参加者の社員が全員赤いTシャツを着ていたのです)記憶に残っています。お昼のドラマ枠を全てやめ、かわりにドラマに比べるとお金のかからない生のバラエティー番組をぶち込み、夜は夜で夕方からずっとニュースの枠としてしまっています。夜七時代の人気番組があらかた移動したため、ゴールデンタイムにそもそもTBSの番組を見ていない層が増えたのではないかと私は想像します。すると、従来は東京フレンドパーク2を見ていて、その流れで水戸黄門を見ていた人たちは当然見なくなりますね。そうした影響があって、私は水戸黄門の視聴率が10パーセントを割ったのではないかと睨んでいるのです。

 時代劇イコール水戸黄門とまで認知されたTBSの看板番組で、テレビ時代劇としても民放では唯一残った週一回のレギュラー放送を維持していますが、このような惨状が続くようでは、いくら長年続いているといっても、番組の存続そのものについて危機感が出てくるのは自然な話でしょう。今さら水戸黄門が終わったってと思われている方もいるかも知れませんが、水戸黄門が終わってしまったら、ある意味日本の時代劇は終わってしまうかも知れないという危機感を私は持っています。今でも時代劇が少なくなることによって、専門の俳優さん、スタッフの方々は窮地に追い込まれています。他の民放のようにスペシャル枠の放送だけではとうてい続けられないでしょう。将来的には時代劇を撮りたいと思っても役者・スタッフが揃わずに企画を断念せざるを得ない状況も想像されます。NHKの時代劇があるじゃないかと言われますが、大河ドラマを含めて、その制作現場はお金の掛け方からして違うとは言うものの、殺陣をコンピューターグラフィックやスローモーションで解決しているようでは、昔からの時代劇をとても残すことはできません。時代劇を愛してやまない方々には不本意な事かも知れませんが、今ある時代劇を何とかして守るためには水戸黄門を守る事が何より重要だと私は思います。TBSには何としてもこの枠の時代劇を守る気概を持っていただきたいものですが。

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