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竹中労さんの命日に想う

 今日、5月19日は竹中労さんの命日です。1991年からもう17年も経ってしまったということになります。時の流れとともに忘れられていくというのが世の常ではありますが、書かれたものであったり、出演したテレビ番組が残る限り、そしてそれらが今に生きる人たちに支持される限り残っていくものです。ただ、「たまの本」あたりで初めて竹中労さんの文章に触れた人たちも、若い人たち(当時小学生?)で30前後くらいでしょうか。しみじみと時の流れの早さを感じます。続き

 竹中労さんの仕事は、命の締め切りを告げられてから、極端に仕事の量が制限されることになりました。沖縄への取材旅行の後、病院にワープロを持ち込んで原稿を書くという可能性も考えられていたようですが、とてもそんな状況ではなかったと言います。竹中労さんの生前最後の単行本は、上記の「たまの本」だったわけですが、昔からのファンとしては、ライフワークとしてきたさまざまな仕事をせずになぜ「たま」という新人アーティストの本を書くのだろうと思われた方も多くおられると思います。今改めて「たまの本」をめくってみると、竹中労さんが次の世代に託したような意味あいの記述をかいまみることができます。

「きみたち少年少女は、変なおじさんの寝言と考えてよい。だが本はとって置いて、思い出したら読みかえしてほしいのである。」(「たまの本」あきがき から)

 「たまの本」を傍らに置き、時たま思い出したように紐解いた人たちがどれだけいたのかわかりませんが、竹中さんの「呪文」はしばしば私たちを覚醒させます。左右が入り乱れ混沌とし、一体何がよりよい方法なのか迷った時、竹中さんの本にはその解答そのものは書かれていませんが、その記述を基にして考えるためのヒントはあちこちに散りばめられているのではないでしょうか。そのような事を必要とされる方がいる限り、竹中さんはこの世に何度でも復活してくるに違いありません。生前の竹中さんを知る人の世代は、竹中さんが「たまの本」を書かれたことで劇的に下がりました。ご本人が計算されてやられた事ではもちろんないでしょうが、竹中さんが「たまの本」を書いてくれたからこそ今につながっている部分も大いにあると思っています。まだまだ竹中労は終わらないのです。

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