先日、愛知県で生後2ヶ月の子供を車内に残したままパチンコを続け、その子を死なせてしまった事がニュースになりました。毎年同じような事故が全国のいたるところで起こっているのですが、恐らく今回逮捕された両親も、番組で紹介した「パチンコ依存症」になってしまっていたのだと思われます。
私はほとんどパチンコをしなくなったのですが、先日、ちょっと興味深い経験をしました。インターネット上にあるゲームサイトの中で、さまざまなゲームをすることによってたまったポイントを景品に換えられるところがあり、登録してそこにあるパチンコゲームをやってみました。そうしたら、なぜかそのパチンコがなかなかやめられなくなってしまい(^^;)、おかげで他のパソコンを使った作業がしばらくできなくなってしまいました。単なるゲームならいつでも止められるのですが、それがなまじ実質的な利益をともなうことで人間は平常心を乱すようです。というわけで、やばくなってそれ以降そのゲームサイトには行っていません。
実際のパチンコの場合も、景品交換所の存在によって、お金を投資してお金を回収する場になってしまっています。個人的にはお店が魅力的な景品を提供してくれていれば、それを目当てに投資し、ネットオークションあたりで現金化するプレーモデルもありそうですが、今の時代、そこまで経営努力するパチンコ店というのはそんなにありません。となると、「勝つための方法」ではなく、「いかにして負けないようにするか」というのがパチプロでない素人の目標になるのではないかと思います。
依存症になる人は、残念なことに、自分が勝った記憶しかありません。負けたことを認めようとせず、その分はいつか取り返せると思っています。私の経験則として、月ごとに収支計算をしてマイナスが出ているようなら、その分を取り戻すことはまず不可能です。大勝ちすれば一瞬はプラスになるのかも知れませんが、収支明細書を一年間つけていれば、パチンコをどのくらいのペースで続けるのがいいのか、おのずと答えが出てくるところです。
ただ、パチンコの場合、もう一つ重要な事があります。パチンコで大当りを出すということはその人の人間性とも、社会的地位とも関係ないということです。さまざまな人たちがパチンコ店に出入りしますが、その中にはいわゆる「勝ち組」「負け組」が入り乱れています。もし自分に全く自信がなく、何の楽しみもない人が大当りを出し、その隣にはそこそこ社会的地位のありそうな人が全く大当りが出ずにはまっていたとしたら、その一瞬だけ「勝ち組」を打ち負かしたかのような錯覚をその人はおぼえているかも知れません。パチンコ店は全ての人に差別がない唯一の場であり、いつでも成り上がる(一瞬ではありますが)可能性を持った夢のような場であるということは確かです。問題は、多くの人はパチンコ店に変わるそうした場というのを持たないことです。社会が悪いと言ってしまうのは簡単ですが、自分で自分の道を切り拓かないと、パチンコ依存症から抜け出すことはできないこともまた確かでありましょう。今パチンコにはまっている方々は、パチンコ以外にストレスを解消できる趣味をお持ちでしょうか。依存症から抜け出すためには、まずはストレス解消法の分散化をおすすめしておきます。