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中村とうようさんの訃報に触れて

 テレビのワイドショーでは原田芳雄さんの葬儀の様子が延々と流れ、竹中労さんの事を扱ったムック本がようやく発売されるような状況の中、中村とうようさん自殺というニュースをどう消化すればいいのか。今の私の偽らざる気持ちです。

 直接お会いすることはなかったとは言え、ミュージックマガジンは買って読んでいましたし、その喧嘩早い評論のスタイルは良くも悪くも気になる存在でした。竹中労さんが亡くなってすぐの「とうようズ・トーク」ではとても追悼とは呼べない、とうようさんが竹中さんへの積年の恨みを晴らすような形での(ご本人がこのように文中に書かれています)竹中さんに対する弁明に終始していました。

 読んだ当初は何と大人げないと思いましたが、今実際に一人で住んでいて、その自宅から飛び降り自殺をしたという報道が真実ならば、こうした原稿を書いた後、ダメージを受けたのは常にとうようさん自身だったのではないかという感じがし、ふと坂口安吾が太宰治追悼のために書いた「不良少年とキリスト」というエッセイを思い出しました。安吾は太宰の事を不良少年だとしつつ、このように書いています。

『不良少年は負けたくないのである。なんとかして、偉く見せたい。クビをくゝって、死んでも、偉く見せたい。』

 とうようさんも何にかはわかりませんが、とにかく負けたくなかったのかなと思ってしまうのですが、安吾が書いているように「死の勝利」なるものは決してありません。私のようなとうようさんから見ればとるに足らない人間にも簡単に総括されてしまうだけでなく、とうようさんの事を全く知らないネットでの匿名人から的外れな批判を受けまくってしまうこともこれから起きてしまうのではないでしょうか。自殺という人生の終わり方を選んだために。

 こうして、さまざまなニュースに埋もれたままその人生を終わらせてしまうには本当に惜しい方だと思いますし、今の日本の音楽シーンを死ぬ気で切ってほしかったと思っています。ただ、やはり自殺という形で終わらせて欲しくはなかったですね。御冥福をお祈りします。

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