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受験ユーモアの思い出

 春は卒業の季節でもあります。ラジオからは卒業に関する歌が流れ、自分の時の事を思い出すわけですが、今回は学生生活以外の卒業の思い出について書いてみようと思います。皆さんは雑誌「蛍雪時代」に連載されていた「受験ユーモア」というコーナーをご存知でしょうか。ふと思い付いてネットで検索を掛けてみたのですが、ほとんどその内容でヒットしなかったのには驚きました。

 蛍雪時代とは今も発売されている旺文社の大学受験のための情報を満載した月刊誌ですが、その前身である「受験旬報」という雑誌がありました。創刊は昭和7年といいますから70年以上前から続いているわけですね。「受験ユーモア」というのは創刊翌年の昭和8年から始まった受験生による投稿によって成り立っていた笑話のページです。ただ、このコーナーは少子化や大学数の増加による受験生自体の減少による投稿数の激減もあったとかで、2000年前後あたりにひっそりとその姿を消したそうです。今のようにパソコンや携帯でさまざまな情報を入手できる時代には、受験専門誌のユーモア欄など無用だったということなのでしょうが、私にとっては今だに忘れられない思い出が残っています。ご存じない方にとってはどうでもいいような話かも知れませんが、少々お付き合い下さい。続き

 当時の旺文社(蛍雪時代の発行元)は大学受験のためのラジオ講座も行なっていまして、そのためのテキストも売られていました。今は現役高校生でも当然のように予備校に通いますが、私の受験した地方ではよほど気合いを入れている人以外は自力でやっていた人が多かったように思います。本屋さんで毎月「大学受験ラジオ講座テキスト」を買い、以前から持っていた短波ラジオから流れる講師の講義を時々雑音に悩まされながら聞いていました。テキストはそのすべてが講義のためのテキストとなっているのですが、その中にところどころ存在したのが「受験ユーモア」と同じ選者による同じコーナー「笑いの電波」でした。

 これは今でもそうなのですが、すぐにやらなければならない事がある時、つい全く違ったことをやりたくなってしまうクセが私にありまして、勉強のためのテキストを読むよりも、ところどころにある笑話を探してしまうような事をついついしてしまうのですね。テキストを編集している方は、あくまで笑話は勉強の息抜きのはずなのに、ついついはまって自分から投稿するようになってしまったのでした。

 蛍雪時代の受験ユーモアで投稿が採用されると図書券がもらえました。通常の掲載の場合は500円のもの、題名の前に「★」の印が付いた優秀作品には2千円くらい(この部分はうろ覚え)にちょっとグレードアップしました。トップ作品はまた別のスペシャル賞品があるとは思いますが、さすがにそこまで優秀ではなかったので私にはわかりません。当時の「蛍雪時代」はちょうど500円くらいだったので、掲載されればその月の分は只で手に入れることができたので気合いが入りました。今考えるとそれだけの余力があるのならその分受験勉強に費やせばよかったのですが、そうしていたら今この文章も書けていないわけですから、それはそれでよかったのかも。

 今考えると連続で作品が掲載され、おかげでほとんどお金をかけずに蛍雪時代を読んでいたのですが、中には選者である早稲田大学の三浦修教授のお情けで採用されたとしか思えないような時もありました。三浦教授はできの悪い投稿でも自分で添削してそのまま掲載してしまうクセがあったようで、自分はこんなネタを投稿した覚えがないものが、自分のペンネームで初めて自分の作品がオリジナルとは全く違ったものとして掲載されるというような事が起こっていたのでした。掲載された事自体はいいとしても、そうした時にはまるで試験の答案を大幅に添削されて掲示されているようなバツの悪さを感じました。

 そんな受験生活でしたが、何とかかなり受けたうちの一校に何とか拾われて、浪人することなく晴れて高校を卒業できました。進路が決まってからは投稿はストップしましたが、受験ユーモアは読んでいました。同じように毎月投稿していた人たちの進路が三浦教授によって明らかにされていたからでした。私の投稿者としての実力は対したことはありませんでしたが、常に優秀賞やトップ賞を取りまくっていた人が東京大学など一流大学に合格したなどということを読んでいると、さすがに気恥ずかしくて蛍雪時代には自分の進路を知らせることもなく新しい生活へと入っていたのです。しかしながら、まだ私は受験ユーモアを卒業することはできなかっのです。

 新年度に入り、世代的には来年の入試を目指す人たちの投稿が掲載されている中に、当然のように私のペンネームによる過去に投稿した作品があるのを見て、最初は悪い冗談かと思いました。ただ考えてみると、何のリアクションもしていない自分に向けて「君は一体どうなっているの?」という三浦教授のメッセージが含まれていたことははっきりとわかりました。しょうがないなと思いつつ、他の卒業生と比べるとかなりの引け目を感じながら、何とか現役で大学に受かって新しい生活を送っていると葉書を書いて編集部へと送りました。そうしたら、翌月の蛍雪時代に私の送った内容が紹介されているではないですか。

 そこにはご丁寧に私の本名が書かれ、合格後は投稿を停止している(つまり、新年度に掲載された作品は過去のものであるということ)まで添えられていました。これでようやく受験ユーモアを卒業したなという思いとともに、かなり出来の悪い単なる一生徒に過ぎない自分の事を気にかけてくれる三浦教授の思いやりに感謝したのでした。

 結局それから、三浦教授や同時に投稿していた数多くの同窓の方々とは何の接点も持てませんでしたが、このような暖かい空間を一年間持てたというのは、実は受験勉強で得たものよりも大きかったような気が今になってします。今私の手元に、創刊当時から55年の受験の歴史とともに「受験ユーモア傑作選」が載っている『日本国「受験ユーモア」五十五年史』という単行本がありますが、この単行本も今は絶版になっているので、古書として入手するしかなくなってしまっています。蛍雪時代は今も雑誌として存在しているものの、ユーモア欄がないというのはやはりさびしいですね。

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