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地元民の郷土意識は?

 今年の初めに、現在全面リニューアル整備されている登呂遺跡構内で、かなり大規模な復元住居の損傷事件があったのですが、本日のニュースでようやくその犯人がつかまったとのこと。補導されたのが中学生ということで、子供の遊び程度のことでと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、産経新聞のニュースソースによると、作られたばかりの竪穴式住居ののかやぶき屋根に上り、かや材約500本を引き抜いたり、屋根を支える木材約35本を折るなどして壊した疑いがあるそうです。かやぶき屋根というと、旧家の大掛かりなものを想像する方もいるかも知れません。合掌造りのかやぶき屋根の葺き替えは、材料の確保や職人さんを集めるのにもなかなか大変で、一回葺き替えると数千万という話もあるものです。今回の被害額も数千万まではいかなくても、数百万くらいはかかっているかも知れません。

 ただし、今回の事件は金銭面のことだけでなく、現在リニューアル中の登呂遺跡について、その文化的価値を全く理解していない地元民がいるということに情けなさを感じます。犯人の中学生が通っている学校では登呂遺跡についてどの程度教えていたのか、そういうところも気になったりします。続き

 元々、登呂遺跡はその場所に軍需工場を作ろうとしていて昭和18年に発見されていたものでしたが、本格的な調査は戦後の昭和22年から始まりました。東京大学に「静岡市登呂遺跡調査会」が組織され、歴史・考古学、人類学はもとより、土木・水利・河川工学、建築、地理学者等も参加する大掛かりなものとなり、そのニュースは全国的な関心を呼んだのです。国会では超党派で予算を可決し、昭和25年まで続いたといいます。かなり大規模な遺跡とはいえ、これだけの注目がなぜ集まったのか。それは神武天皇より前の弥生時代に人々が生きていた証としての遺跡だったということがあると思います。

 当時としては世界でも初めての水田跡ということで、敗戦にうちひしがれていた人たちの希望として、登呂の発掘は戦前の歴史観や世界観を決別させるものとして多くの人たちが明るいニュースとして受け取っていたのでしょう。縄文・弥生時代の遺跡は、現在は佐賀の吉野ヶ里遺跡や、青森の三内丸山遺跡などの規模の大きいものに教科書の主役の座をゆずっていますが、登呂の遺跡はむしろ、戦後の一時期を彩ったという意味でも次世代に語り継いで行くべきものだろうと思います。リニューアル作業は現在進行中で、博物館は今年の秋、全体は来年度に完了するということですが、その際中に起こったのがこの事件だったのでした。

 何の史跡でもそうですが、地元にいるとその有難みというのは意外とわからないものです。今回事件を起こした中学生も、戦後の一時期にこれだけの民衆の熱狂を呼んだことがわかっていたら、これだけの行為をしたかどうか。今後同じような事件が起きないためにも、しっかりした郷土史を学習する機会を増やしていただきたいものです。

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