はっきり言って、今だにクーデターなのか何なのかわからないのがタイで起きた一連の政変です。軍が憲法を停止し、首相の追い落としをはかるのをクーデターというのならあれはクーデターなのでしょうが、大きな混乱が起こることなく、整然と権力委譲が行なわれているように見えます。東南アジア諸国の中でもタイは比較的治安が安定してしていると言われていますが、それでも軍の介入なくしては政権の移譲ができないのだけは確かなようです。
ただ、今の日本を考えてみるとき、もし政府が暴走していると多数の国民によって思われた場合、その政権を変えるようなことができるのでしょうか。常に現政権のやることが善であるという人たちが多数派を占めるようなら、それこそ選挙で通った人は後で何をやってもいいということになってしまいます。個人的な見解を書かせてもらえば、民衆の側から何をやったとしても、あの安倍晋三氏の祖父である岸信介氏の言葉である、
「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである」
という意識を今の自民党も持っているでしょうから、むしろ日本の政治状況はタイのそれよりも閉塞状況にあるのかも知れません。
更に、次期首相の安部晋三氏は憲法改正や自衛隊の再編に積極的な感じを受けますので、政府の中における自衛隊の力が増大し、もしかしたら将来の日本の自衛隊(その頃にはもはや自衛隊とは呼ばれていないのかも知れませんが)の中で、それ以外方法がないという閉塞感を社会の空気が作り出してしまったりして、政府が腐敗したと思い込んでしまった勢力が、今回のタイのクーデター実行部隊のような「世直しのためのクーデター」を引き起こす可能性がないとは言えません。さらに言うと、その時、権力を掌握した人たちはタイのようにすぐさま権力を移譲するのか、あくまで権力にしがみつくのか、流血の悲劇が起こるのかそれはわかりません。
まあ、自衛隊云々というのはこちらの取り越し苦労と言われればそれまでですが、少なくとも日本はタイのように、いかに現政権に不満があったにしても暴力で変わるような流れを作るべきではないでしょう。しかし、選挙制度の改革によりこれだけ権力移譲がしにくくなってしまった社会制度をみていると、このままの制度を続けていっていいのかというのを痛烈に思います。ここのところ日本のマスコミのタイのクーデターに対する反応は、かなり冷めているように感じます。あんなことは日本では起こりっこないとたかをくくっている人が大部分かと思いますが、そうした驕りが考えられないことを引き起こす可能性もあると私は思っています。
耳成法市 2006年09月23日(土)22時19分 編集・削除
日本史の中でクーデターと言えるものは、645年の乙巳の変、南北朝、明治維新。成功すれば正当化され、改新・維新・革命などと美名が付けられる。マルクスの言葉を借りれば、「社会的な諸矛盾が、修復不可能な状況まで進展した場合、其処に革命が起きる。」この法則は、ソ連崩壊も予言していただけでは無く、これからの中国にも言える事。若者の労働環境が劣悪化を極めれば、今春のフランスの様に、都市機能を麻痺させることは出来ましょう。其れが、内閣退陣まで行くかどうか……。
『きくちゆみ』さんのブログで読みましたが、昨年末に安倍晋三と前原民主前代表が、日本と中国を如何にして戦争に突入させるか、の研究会に出席していたとの事。
黄色人種同士を争わせるのがWASPの手口。