99年5月
- NNNドキュメント99(99.5.30・中京テレビ)
日本テレビ系列の地方局制作のドキュメンタリーを毎週放送してくれる、結構貴重な番組です。今回はヤマギシの子供たちについてのレポート。ヤマギシとは、この資本主義の世の中に、共産主義の考え方で運営されている農業を元にした団体です(間違っていたらごめんなさい(^^;))。私などは毛沢東時代の人民公社を連想してしまいます。確かに、共産主義に魅力を感じている人にとっては素晴らしい集団に見えることでしょう。単に商品を購入するだけの私から見れば、農薬などのない安全な食べ物を自宅近くまで来て売ってくれるので、ありがたい存在です。でも、そこで生活しなさいと言われると(^^;)。第一休みもなく一日中働き詰めというのは駄目だし、朝6時から仕事なんて、今の私の生活からすると考えられません(^^;)。
今問題になっているのは、5歳から親と離れて暮らす子供たちが通う学校を施設内に作ろうと三重県に申請を出したことです。その学校を認可するのかしないのかという話し合いに現在なっています。番組によると、施設内で体罰があったとか、外界との自由な接触ができないとか、そんな状態の所に学校まで施設内になってしまってはということらしいですね。まあ、親がよしとして育てているのだから、どうしようもないことでもあるのですが。
一つ気になったことは、ヤマギシをオウムと同様の危ない団体ととらえられてしまう可能性があることでしょうか。子供と親・親族との関係というのは個々の家族の問題なので、自分に関係が及ぶならば正面に向き合って意見も言いますが、単に眺めているだけですからね。本当にいやと感じるならば辞めればいいし、実際に辞めている人もいるみたいですし。これはヤマギシに限らず、様々な集団についての報道についても考えなければならないことでしょう。
- 朝まで生テレビ(99.5.29・テレビ朝日)
今月はオウム真理教がテーマで、教団関係者が出てきての糾弾大会になりました。最後まで見て、こんな事を言うのもなんですが、はじめから結論がわかっているのに、何と無駄な話し合いをしているのかという事を強く感じましたね。信者に押し掛けられ、住民登録を認めない自治体の首長は、そこに住んでいる住民の想いというものがあるから、オウム側に譲歩した発言をしたら、すぐに批判の矢面に立たされることは想像に難くありません。とりあえず次の選挙では勝てないでしょう。そういう立場と、教団側の事実を認めたくなくて、謝罪は幹部の刑が確定するまでしないという立場は、そう簡単に相容れることではありません。
この問題は日本における民族紛争と考えればいいかもしれませんね。例えば、彼らは無益な殺生をしないという教義に基づいて、近辺の草刈りをしなくて、それが現地の人間のかんに障っているようですが、こうした意識の違いというのはお互いの根本的な考え方の対立であり、血で血を洗うような抗争に発展していく可能性も、わずかではありますが秘めています。一つ言えることは、こうした反対運動が全国に広がっていったとき、オウムの信者たちはどこへ行くのかということです。民族自決じゃありませんが、閉め出された人たちが一所に集まれば、共和国のような状態になるかもしれません。そうなったら、破防法適用もあるかもしれませんが。
できることなら、そんなシナリオ通りに事が運ばないようになってほしいものです。そもそも、どうして宗教法人格を剥奪されたオウムに新たに人が流れるのか、その入り口の部分で議論がなされていないような気がします。オウムに入信する人は、それこそ現在の社会に不満があるから出家までするのです。折角信者をスタジオに呼んだのだから、そういうことも聞いてほしかったなと思ったのですが、ちょっとあの雰囲気では無理のようでしたね。
- 映画『アンダーグラウンド』(99.5.22・NHK衛星第二)
カンヌ映画祭の過去のバルムドール受賞作品を放送している中で、この作品は大いに話題になったのですが、私の住んでいる静岡市ではロードショー公開がなくて、今回初めて見ました。映画の最後に、この映画はまだ終わりではないというテロップが出ましたが、その言葉通りユーゴスラビアの内戦から現在はNATO軍のベオグラード空爆までに発展し、ますます終わりが見えなくなっています。
それでも救われるのは、この映画では音楽がふんだんに使われて、その勢いでストーリーが進んでくれていること。あれがなかったら、3時間弱座っているのに耐えきれなくなってしまったかもしれません。映画の中ではチトー大統領の葬儀のニュース映像が流れている部分があるのですが、各国首脳の顔が映し出される中、日本は全くでした(^^;)。それがヨーロッパ諸国が日本を見ている目だと気づかなくては。今回、北野武監督の『菊次郎の夏』が、バルムドールを取るかなんて事で盛り上がっていますが、どうなのでしょうね。確かにこれが取れば、今までのように時代物で受賞し、神秘的な国・珍しい国というレベルで判断されなくなるきっかけになるとは思いますが。
それにしても、もう一昔も前に戦争は終わってしまい、過去のことを語るようにしている所もあれば、同じようにその昔戦火に襲われて、未だにその影響を引きずっている国が存在しているという事実。国家や国旗にこだわることよりも、もう少し前に色々考えなくてはいけないことが多いのではないかなと、当事者の作った映画を見ながらしみじみとした心持ちになりました。
- 筋肉番付(TBS・99.5.22)
この番組の司会をしている古館さん、タレントの仕事ばかりでなくて自分で番組をプロデュースしてるのです。友人の旦那さんがこの事務所の放送作家をしているそうで、つい応援してしまうのですね。
で、今回新たに登場した種目が『ヒズ・セクレタリィ』というもの、このページでも紹介しているワープロでの入力の早さを競う競技だって(^^)。最初は一般公募ではなく、個人的なつてで出場者を捜してきたようですが、すごいルールのいい加減なものになっていました。
見ていない方のために説明すると、出場者の前には、たぶんシャープのものだと思うのですが3台のB5薄型ノートパソコンが置いてあって、歌の文句やナレーションを文字に起こしていくのです。漢字変換とかはなしで、とにかく制限時間内に正確に内容を打っていればOKなのですが……。
出てきた出場者は、パソコン経験だけはある割にローマ字変換でもうまく打てない人や、ローマ字より有利だとカナ入力で(当然JISカナ入力ですが(^^;))打っているものの、キーボードを見ながら二本指で打っている人など、ひどいものです。それはいいとしても、キーボードというのは個人の指にあったものを使うべきで、出場者が使うキーボードを決められてしまうとしたら残念なことです。だいいちあれでは個人の指の大きさにあまりにも無神経だし、高速入力が可能な親指シフトが使えないではないですか。これでは入力のプロが出てきても、賞金を獲得するまでいかないのではないでしょうか。
いっそのこと、キーボードは持ち込み可にして、様々な入力方法が入り乱れたバトルロイヤル形式にしたらいかがでしょう。ただ、そうなったら親指シフトやTRONキーボードの一人勝ちになってしまうから、スポンサーがうんと言わないでしょうけど(今あるパソコンで早く打てないことがわかってしまうのはさすがに困るでしょうから)。
- ミッドナイトチャンネル『上々颱風ライブイン秋田康楽館』(NHK総合・99.5.16)
まだ梅雨に入っていないので、本格的な夏の到来にはまだ時間がありますが、この上々颱風というバンドはすかっと晴れ上がった夏の青空のようで、とっても気持ちがいいですね。この放送のライブは、もともと東北地方だけで放送されたものを紹介するというシリーズだそう。康楽館とは、明治時代にできた芝居小屋で、秋田音頭もレパートリーに入っている(ボーカルの女性が同じ東北の酒田出身だとか)彼らの音楽にとっては、まさに打ってつけの場所という感じがします。
しかし、地方でのライブということで観客も若い人がいなくて、のど自慢を見に来ている人たちみたい。でも、逆に考えてみれば、そういう人たちにしてみれば音頭は日常的に聴いているものだから、やっている方にしても結構プレッシャーになるのでしょうね。そんな感じが画面を通じても伝わってきました。
で、最後のアンコールで演奏したのが日本語詞の『Let it
be』。観客の物静かな拍手が東京ではない地方でのライブの良さなんでしょうね。変にドキュメンタリータッチにしないで、単なるライブとしたのはよかったです。今回はたまたま見ることができましたが、これを東北の人たちだけに見せるのはもったいないなあ(^^;)。
- 知ってるつもり『三木のり平』(日本テレビ・99.5.9)
ちょうどこの前に、神々の詩という海外ドキュメンタリーで、アフリカのマリ共和国のグリオという音楽家族のことを扱っているのを見てました。彼らは生まれたときから歌のリズムに触れ、先天的ともいえるリズム感を持っているのですね。そこで一人、6歳の子が太鼓をたたいたり踊ったりしていたのですが、人間はやっぱり環境だという感じがしました。のり平さんも、待合いという花柳界で少年時代を過ごし、浅草へ通っていたことによって自然と芸事が身についていったのでした。
本人は否定なさるんでしょうが、凡人と違って何でもこなしてしまう人は飽きっぽいのですね。萩原朔太郎だったかな、『天才は怠惰である』と言っていたのは。ラジオもテレビも映画も飛び出したのり平さんが、毎日やることが違う舞台にのめり込んだのは必然だったのかもしれません。常に何をやるかわからない、いわゆる即興のおもしろさに満ちあふれていたんでしょうね。ああ羨ましい(^^)。
私、というより多くの人がのり平さんといえば思い出すのが桃屋のコマーシャル。15秒のスポットで笑わせる声の芸は、どうなってしまうのかなと思っていたら、長男の小林のり一さんが引き継いでらして、芸を引き継がれたのにはほっとしました。しかし、のり平さんの芸自体を引き継いでいく人が現れるのか。ハプニングやいじめでない喜劇を見せてくれる人を待ち望みたいですね。
- 映画『クイズ・ショウ』(NHK衛星第二・99.5.1)
実話に基づいた脚本による映画で、今から約40年前の1958年に起こったクイズ番組のやらせを告発した話です。でも、結局テレビ局と番組スポンサー、番組のプロデューサーまでもきついおとがめを受けるわけでもなく、トカゲのしっぽ切りのごとく制作者の意のままに動いていた出演者がやり玉に挙げられただけで映画は終わります。
アメリカの真似をしたのが日本というのなら、日本もアメリカの番組をそっくりコピーして、八百長まがいのことをたくさんやってきたのですね。このページでも紹介している竹中労さんが審査員をやっていた人気番組『全日本歌謡選手権』で不正が行われたときも、その後竹中さんら一部の審査員が番組を降りてもなお番組は続き、数多くのスターが生まれていきましたから。
アメリカと日本で何がいちばん違うかというと、こうした映画を作るだけの気合いを持った映画人がいないということですね。映画でも触れられているように、テレビの力は強大です。この映画の監督はロバート・レッドフォード、高名な俳優です。やはりマスコミやテレビの内側からのじめっとした横暴に対して、自分から何らかの意思表示をしていく態度はすごい。ここで、アメリカと日本の違いというものは明らかですね。つまり、俳優やタレントが自分で状況を変えようとしていること。日本のタレントが自分の意志で何かやったのか、また芸能ジャーナリズムは、こうしたテレビ局や大手芸能資本の横暴を告発したことがあったのか。はっきり言って40年前と全く同じことを繰り返すだけなのです。
今ではさらに、番組制作は下請けに出され制作者も首を切られる運命にあります。北野武さんなんかが、こんな現状を映画にしてくれないかしらん。まあ、テレビに出まくっている今ではちょっと無理でしょうか。
99年のテレビへ
私のテレビ批評に戻る
ホームへ
ご意見、ご感想をお寄せください
mail@y-terada.com