今回の旅は竹中労さんご存命の頃、沖縄で竹中労さんの取材をサポートされた小浜司さんから3月の段階で連絡をいただき、竹中労さんの二十回忌に沖縄の方々を集めてコンサートをやるという電話が入ったことにはじまります。別ルートで竹中労さんの元アシスタントである石原優子さんからも、このコンサートを主催される琉球新報社からの資料を送ってもらっていたので、開催日が平日であることはわかっていたもののちょっと行くのは無理かなと思いつつ、まず静岡から飛ぶ飛行機の格安チケットが取れるのかどうか調べて、格安チケットが手に入れば仕事の都合を付けて行くと答えました。で、静岡空港から一日一便のみ飛んでいるANAの予約ページを開いたら、まだ時間的に余裕のあるせいか、往復とも早期割引プランで見事に空きがありまして(^^;)、19日木曜に沖縄入りで22日の日曜に帰るという形で参加することになりました。宿泊の方も事前に申し込むことが条件なら通常料金よりも安いプランがあり、一泊4千円弱で朝食付プランのあるホテルを予約し、あとは当日まで何もないことを祈るばかりでした。
何とか無事にその日を迎えたのですが、出発当日はあまりにゆったりと構えすぎていたせいか、12時35分発の飛行機なのに空港に着いたのは12時に迫る勢いでした。しかし、静岡空港の特徴として、駐車場は空港ロビーのすぐ前に無料で停められ、歩いて一分で行けてしまう立地条件があります。そんなわけで、こんなのんびりな状況でも余裕でしたが、そのあとの搭乗手続でエライ目に遭いました。
私はセカンドバッグにモバイル機器などを詰め込んでいたのですが、当然ながら保安員の方には中に怪しい金属物が満載と映ったようです(決して疑われるようなものを入れていたのではありません(^^;))。とりあえず中のものを全て説明しながらトレイから出し、後に待っている人に多大な迷惑を掛けながら何とか搭乗手続を完了しました。やはり飛行機に乗る前にはきちんと対応しておかなければなりませんね。
沖縄へは定刻の15時5分よりだいぶ早い14時45分頃には着いてしまいました。今回のコンサートのために鎌倉から久しぶりにやってくることが急遽決まった、アシスタントの石原さんが到着すると聞いている16時前にはかなりの時間的余裕があります。ホテルのチェックインは16時からなので、すぐにホテルに直行というわけにも行かず、まずは遅めの昼食をという事で、那覇空港の1階奥にひっそりと存在するセルフサービスの「空港食堂」で沖縄そば500円をいただきました。もう少しお腹が空いていたら定食類を頼んだのですが、昼食時間からずれた店内にはほぼ空港関係者しかいないようなお店なので、観光客風の人たちと一緒になるのはいやな私のような観光客にはおすすめのお店です。
食事を終えとりあえず空港ロビーでウロウロしていると、突然電話が鳴りました。コンサートのリハーサルの関係で空港までの迎えは無理だろうと言っていた小浜さん、竹中労さんが最後に書かれた「たまの本」の影響で沖縄に移住してしまったという尚子さん、そして今回のコンサートを企画された琉球新報の新垣さんの3名が石原さんを(私ではありません(^^;))迎えに来てくれていたのです。状況によっては私が石原さんと落ち合い、コンサートの会場まで引き連れていく予定だったのですが、出迎えが来てくれたことでかなり肩の荷が下りました。しばらくしてひょっこり現われた石原さんと合流し、琉球新報の車で会場まで向かいます。
やはりこういうことがないとなかなか会うことも難しい方ばかりなので、自然と車の中で話が弾みます。とりあえず私は会場近くのホテルを確保しておいたので、途中で下ろしてもらいました。ホテルにチェックインし、とりあえず那覇空港へ着いたとたんのあまりの蒸し暑さに参っていたのですぐに着替えをしてから会場へと徒歩で向かいました。琉球新報入口には、今回初めて沖縄入りされたという、甲府の竹中英太郎記念館の館長さんである竹中労さんの妹の金子さんがいらしたのでその場で簡単にご挨拶。今回の沖縄行きはご主人と一緒との事ですが、私が会った時にはご主人の姿は見えず、富山のラジオで音楽の番組を持っていて、琉球新報にもコラムを書かれていた竹中晃さんとご一緒でした。金子さんらはこの後、開場前までいったんホテルに戻るか食事に行くということだったので、私の方もリハーサルの邪魔になってはと思い市内をふらふらすることに。国際通りの入口付近まで歩くと「パレットくもじ」という商業施設があるのでそこで時間を潰しました。最上階まで上がって那覇市内の様子を見、そのまま地下の食料品店なども覗きながら会場へと戻りました。
コンサートのチケットの方は前売を直接買っていたわけではなかったのですが、小浜さんにお願いして自分の分のチケットを前売で確保していただいていたので、前売分の料金で中に入ります。会場はフロア部分にテーブルが出ていて、入場すると1ドリンク券を受けとり、売店で好きな飲み物と引き換えることで、コンサートを見ながら飲めるようになっています。追加のドリンクや食事メニューもあり、会場の飲食がこれほど自由にできるコンサートというのは野外以外では経験したことがないので、純粋にびっくりしました。琉球新報という今回主催されたところが持っているホールだからこそ可能な芸当でしょう。
私自身厳密に言うと関係者ということではなかったのですが、つい流れで開演前に会場に入ってしまったので、しばらくリハーサルの様子を見ていたのですが、ほどなく開場となりました。琉球新報の担当の方が、前日までのチケットの売り上げが悪く人がどれくらい来るか読めないと不安がっていたのですが、いざフタを明けてみると、かなりの方が当日券を求めてやってきました。そう言えば、以前沖縄の方の動向について聞いたことがあります。前売りと当日でチケットの値段の差が付いていても、その日にならないと行くか行かないか決まらないため、どんなコンサートでも前売りはそれほど売れないということは実際にあるそうです。今回のコンサートの場合は沖縄の二大紙である琉球新報の記事でさんざん宣伝されていたということもあり、多くの方が本日そうそうたるメンバーがこのホールに集うことがわかっていたので、これだけの人出があったのでしょう。一階部分は元より、上の椅子席も満杯で、階段になった通路にも人が座っているような状況まで膨れ上がりました。そもそもこのコンサートは小浜さんと琉球新報の担当の方が飲んでいる時に盛り上がって決まったような話らしく、不入りになった場合はコンサートを決めた琉球新報の担当の方もかなり気が滅入ってしまったのではないかと思います。しかしそのような事もなく、これだけの入場があったことでほっとされたことでしょう。ただ、これらの人がすべて竹中労さんを偲ぶためにやってきたかというとはなはだ疑問で(^^;)、やはり普段はまとまって聴くことなどとてもできない民謡界の重鎮が見られるということで出てきた人たちが多かったでしょう。ただ言えることは、これだけの出演者が集まったのはやはり竹中労という存在なくしてはあり得なかったわけで、単にこれだけの豪華なメンバーが揃ったので見に来たというような方も、間接的に竹中労さんに感謝しなければならないということですね。改めて竹中さんの神通力というのは未だ衰えずということを実感できた瞬間でありました。
コンサートの方は大工哲弘さんのオープニングで始まり、大工さんが声を掛けたら出演の快諾をいただいたという元たまの知久寿焼さんもソロで出られました。知久さんだけは今回のコンサートにおいて毛色の違った出演者だったわけですが、たまがイカ天の一週目で最初に演奏した曲(「らんちう」)を最初に歌われたというのは、聴くほうとしても実に感慨深いものがありました。聴衆のほとんどが地元の音楽を聴くために集まってきたためにやりにくいところはあったのかも知れませんが、無難にこなされていたという印象です。
そして、改めてびっくりしたのが知久さんの次に登場した饒辺愛子さんの若々しさでした。嘉手苅林次さんを伴奏に歌うだけでなく、途中から客席に降りてお客さんにマイクを向けて歌わせたりと会場をぐるぐる移動しながらのパフォーマンスでした。ちなみに、事前に打ち合わせがあったのかどうかは不明ですが、饒辺さんが最初にマイクを向けたのがアシスタントの石原さんだったように思います。恐らく饒辺さんも客席を見渡して石原さんの顔を見付けびっくりしてついマイクを向けてしまったのではないかと推測したのですが。
その後、嘉手苅林次さん、大城美佐子さん、国吉源治さん、知名定男さん、八木政男さんが演奏されましたが、今回のコンサートの特徴として出演者が次の出番の方を呼び込んで登場を促すというスタイルで行なわれ、司会は特に準備されませんでした。そして、長丁場のコンサートで、終了までおよそ3時間も続いたのに関わらず、休憩も入りませんでした。追加の飲み物や食べ物を希望する際には一旦席を立って販売所に向かわなければならず、一人で席に座っている人にはちょっと大変な感じもしましたが、個人的には時間の経つのも忘れて楽しむことができたので、これはこれでありかなといった感じです。そもそも、途中で休憩を入れたらさらに終了時間がずれ込んでしまうわけで、そうしたことは主催者側でも避けたかったということもあったのかも知れません。そうこうするうち、コンサートはフィナーレを迎え、客席から人を呼び込んでのカチャーシーになりました。そんな中、恐らく地元の方々なのでしょうが冷静に帰り支度をされている方が意外と多かったのですが、それはそれで、それぞれお目当ての唄が聴けて満足されていたことでしょう。カチャーシーが終わり、知名定男さんがステージ上で、甲府の金子さんを竹中労さんの妹さんと紹介したところでコンサートはお開きとなりました。
普通のコンサートならこの後、セッティングをしたものを早々に片付ける必要があるのですが、自前で持っているホールというのは実に楽です。状況に応じては片付けの手伝いをするつもりもあったのですが、その必要はないということで簡単な打ち上げに行くことに。といっても出演された方々と一緒に行くということでもなく、この辺は沖縄の方々に任せっきりで案内されるまま向かったのがかつてあった「噂の真相」という雑誌の編集長で、現在は沖縄に在住されている岡留安則氏の経営されるお店(http://www.uwashin.com/kawarayabekkan/index.html)でした。当初は岡留氏のお店の場所が移転してしまったためわかる人が誰もいなくて、岡留氏の携帯電話も留守番電話になっていて連絡が取れず、さんざんその場所をいろんな方に聞きながら向かうことになりました。沖縄へ行かれた方ならおわかりかと思いますが、沖縄のタクシーは庶民の足として利用されてきたということもあり料金はかなり安めです。ですから夜の移動は全てタクシーを使うような感じになり、私たちもタクシーに便乗してお店へと向かいました。やっとの思いで到着し、店内に入るとお店の中には、東京での岡留氏の仕事がわかるように噂の真相関連本がこっそりと置かれています。その時集まったメンツですが、今回のコンサートには私のように沖縄以外から出掛けてきた人たちも多く、そういった人たちを小浜さんたち沖縄の方々がまとめてくれたという感じでしょうか。だいたい10人弱くらいだったと思いましたが、私自身は岡留氏とは直接の面識はないので、ほとんど仲間内の会話だけに終始していました。さすがにコンサートで3時間座りっ放しというのはきつかったですし、中には疲れたままのみまくってへべれけになってしまった方も出たため、二軒目以降は行かず、午前1時くらいにお開きとなりました。
その後、お店から石原さんの取ったホテルが近いというので歩いて皆でお送りし、翌日の予定を立てる中で私がホテルの方に迎えに行くということになり、その時間を打ち合わせした後タクシーでホテルに戻りました。部屋に戻ってすぐ、明日のためにすぐにベッドに倒れこんでしまったのは言うまでもありません(^^;)。結局のところ、チェックインしてちょっと荷物を置いただけでホテルでは何もできなかった一日目でありました。
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