関連書籍紹介
ここでは、竹中さん本人の著作ではないものの、著作が引用されたり論評されている書籍や雑誌について紹介していきたいと思います。ただし、こっちが見逃していたりして、逃しているものの方が実は多いかも知れません。その際はこっそりメールでいいですから、教えてくださいね(^^)。
- 河出ブックス 竹中労 左右を越境するアナーキスト(鈴木邦男 著)
河出ブックスの新刊である「竹中労 左右を越境するアナーキスト」を読みました。評伝とはいいながら、著者である鈴木邦男氏が実際に竹中さんと付き合っていく中での話を中心に竹中労という人間がどのように映ったか真面目に書かれている本だと思います。最初に「全ての竹中信者、竹中ファンを敵に回して書くつもりだ」とありますが、私にはどんどん読めてしまいましたし、そこまで悪い印象は感じませんでした。むしろ、右の方が左の人物を書くに及んで、かなりナーバスになったであろう事は十分に想像できましたが。
ただ、鈴木氏自身の真面目さゆえに、ご自身の思い込みがどうしても先行してしまう感じになってしまっているのは感じました。
まず、高田馬場での騒動についてですが、芝居自体のシナリオを書かれたのは鈴木氏も書いておられるように竹中さんではありません。個人的には筋書きにおいて東郷氏および、東郷氏周辺の方々の意向が強く反映されているのではないかと思っています。その事とは別に、騒動自体のシナリオを書いたのは、鈴木さんの推測通り竹中さんの企てなのかも知れません。しかし、あの騒動は東郷健氏の横っ面をひっぱたくために鈴木さんが竹中さんにまんまと利用されただけのことという解釈もできるでしょう。右翼の方々と付き合っていく中での心得というのを荒っぽく諭したという可能性も考えてみる価値はあるように思います。そう考えると、なおさらその後の東郷建氏の引き起こした事件の悪質さが際立つわけですが。
もう一つ個人的な話として書かせていただければ、野村秋介氏が選挙のために立ち上げた「風の会」とは別に、それ以前に竹中労さんが中心となって作られた「風の会」があり、二つの会が同時に存在していた時期があったことを書いていただいたのは素直に有難かったです。鈴木氏は竹中サイドから会の名称についてのクレームはなかったと記述されていますが、私は竹中事務所の方で野村氏の事務所側に連絡を入れた話を聞いています。ただ、その際に野村氏側から返ってきた答が、まさに鈴木氏が書かれているように全くこちらの会をご存じないような感じだったそうです。とりあえずは、意図的に風の会の名称を使ったのではないことは向こうの事務局の対応によっても類推できましたし、こちらもそれ以上の話についてはしなかったのは事実です。ただ、野村氏の風の会が騒動を起こしたことにより、こちらの会の告知が全くマスコミから取り上げてもらえなくなったということもありました。恐らく野村氏の方と間違えられたのだと思いますが、勘弁してくれとその当時は正直なところ思いましたね。
そうした状況から考えてみると、当時の野村氏周辺の方々には竹中労の認識はあっても、風の会という竹中労さんが中心となって主催する月例セミナーがあると知っていた方は皆無だったと思います。それこそ、こうした事情を知っていたのが唯一鈴木氏だったという感じだったのでしょう。右と左の付き合いというのはこういったナーバスな面も含めて慎重にやっていかないと常にトラブルの芽が吹き出てくるように思います。しかし、そうした事を気にするあまりちまちまやっていてもダメなわけで、付き合いというのは本当に難しいものだということも考えながら読んでいくと、また違った感想が出てくるようにも思います。(2011.12.14)
- KAWADE 道の手帖 竹中労 没後20年・反骨のルポライター(河出書房)
今回紹介する河出書房の「道の手帖」というのは、雑誌というよりも単行本に属する分け方を本屋さんではされているようで、見付けるのに苦労しました。いわゆる文芸雑誌やムック本の置かれているコーナーには置かれていなかったのです。逆に言うと、増刷されるのかどうかはわかりませんが、長く本屋さんに置いてもらえそうな雑誌形式の本だということです。
恐らく今回の企画は没後20年の区切りということで、今までの竹中さんを特集したものよりも書き手やインタビュー・対談で登場する人たちがバラエティに富んでいるのも面白いところです。また、巻末に年譜とともに主だった著作の解題が載っているので、名前を聞いたことはあるがどんな内容か全くわからないという方にとっては有益な内容でしょう。
基本的に、多くの方の書かれた内容について、私ごときが言えることなどないと思うのですが、気になった点を数点指摘しておきたいと思います。まずは、「特別対談」と銘打たれた巻頭の佐高信×鈴木邦男(目次と同様に敬称を略させていただいております)について。この本の中で井家上隆幸さんのコラムの中で、竹中さんの書かれた文章を引用して、『対談形式というのはね、楽なようでいて実はしんどい』と紹介なさっておりますが、まさに今回の対談もそのような感じがしてしまいました。佐高さんが鈴木さんに対して、(鈴木さんが)竹中さんと揉めたことはあるかと尋ねられたところで、東郷健氏の芝居の件について鈴木さんが語った場面が紹介されます。マッカーサーが天皇陛下のオカマを掘る内容に鈴木さんが激高して、舞台に上がって抗議したのを竹中さんが止めたというエピソードがあり、そこで佐高さんの「それは竹中労脚本だった?」という質問に答える形で、竹中労脚本だったと紙上では言っています。鈴木さんは東郷健の本に書かれているとも言われていたのですが、この部分については、私はその後の「新雑誌X」編集部襲撃事件の後に書かれた竹中さんの文章を読んでいたので、鈴木さんが竹中さんに確かめないで東郷氏の言い分だけを信じたのかと疑問に思いました。というわけで、新雑誌X1984年9月号に「義理と人情を秤にかけりゃ オカマの東郷健氏へ」と題された文章がありますので、この事件に該当する箇所だけ引用しておきます。
(引用ここから)
鈴木・野村の立場をあなたが知らないはずはない。げんに数年前に、高田馬場の小劇場でのオカマ芝居・『悲しき人類』、天皇がオカマを掘られる場面で、鈴木君が舞台に上って抗議したとき、仲裁したのは私であったとあなた自身が言っておる。事のついでに竹中労脚本であると、ウソも吐いているがそれはまあよい。それから、鈴木君と親しくなり(誰とでもすぐ狎れてしまうので)、民族派については多少は学び知ったと思っていたのだが、またぞろ同じアホをしでかした。
(引用ここまで)
竹中さんご自身が竹中労脚本とされてもそれはいいと言っていますので、そこまで細かく言うこともないとは思うのですが、鈴木さんご本人があの芝居の脚本が竹中労だったのだと思っていると今回の対談を読むと思えてしまうので、こうした竹中さんの文章もあるということであえて紹介させていただきました。
そして、最後にもう一つ。木村元彦氏の論考の中で、竹中さんの父親の名前が「英太郎」ではなく「栄太郎」となってしまっています。この本の中の森達也さんの論考の題名が「竹中はこの本を引き裂くはずだ」とありますが、まさにその通りでしょう。誤植のうちでいちばんやっていけないのは人の名前を間違えることだという事を改めて確認し、私自身も十分に気を付けなければと思った次第です。(2011.7.22)
- 『島唄レコード百花繚乱 嘉手苅林昌とその時代』(小浜司 著 ボーダー新書004)
私のページでもたびたび紹介させていただいています、沖縄・那覇市で島唄カフェ「いーやーぐゎー」を開かれている小浜司さんの書かれた一冊です。
小浜さんの収集した島唄のレコードの数は膨大で、そのコレクションはお店で聴く事ができますが、そのコレクションの中から選びぬかれた名盤がその写真やデータとともに紹介されています。コレクターでない私にはその全てを伝えることはできませんが、こうして文字に起こしてあるエピソードを読むだけでも面白く、実際に小浜さんのお店へ行き、リクエストしてみたくなります。
また、副題にある通り、島唄の神様と呼ばれた嘉手苅林昌さんの没後10年ということで、嘉手苅林昌さんについての記述も豊富です。生い立ちからさまざまな人との交流の様子など、もちろん竹中労さんとの関係についてもページを割かれています。嘉手苅さんのレコードも主にデジタル化されていないものを中心にして紹介されています。(2009.10.29)
- 『日本禁歌集の宇宙』(邑楽舎・ビレッジプレス)
CDとして復刻された「日本禁歌集」5巻すべてを発売前に予約した人に予約特典として特製ブックレットが出るという発売元の商魂たくましい誘いについつい乗ってしまい(^^;)、というか、ここで紹介するためにということもあって入手権利を手に入れました。当初は昨年(2008年)12月に発送の予定が、お詫びのメールが来たのが2009年3月末でした。当初はオールカラーを予定していたそうですがカラー図版が揃わず、4月末発送でモノクロの形で出すとのことで、しばらく待ったのですがその後音沙汰なく、ようやく総ページ数188の本書が8月頭に届きました。この話があった当初は、あくまで日本禁歌集の予約特典ということで、期日までに全巻注文した人のみに発送されるということで、ここで紹介してもここを読まれて初めて気が付いた方が入手できないのではしょうがないなと思っていたのですが、いつの間にか裏表紙を見たら定価1,500+税の表示とISBNコードがあるではありませんか(^^;)。つまり、このブックレットが欲しいというためだけにダブって買った方には大変残念な結果になったわけですが、おかげでここでもこの本を紹介できます。ちなみにISDNコードは、978-4-89492-152-8
です。
内容については日本禁歌集の1枚1枚について、ゆかりの方々による解説や当時の事などの紹介や、竹中労さんについての原稿も多くあります。30名以上の方が原稿を書かれているので、そのすべてを紹介できないのですが、傑作だったのが加川良さんの聞書きでした。日本禁歌集のレコードはたくさん持っているとのことですが、内容についてはこのインタビューの時でも一度も聞いていなかったとのこと(^^)。でも、同行されたレコーディング風景など貴重なお話が紹介されていました。個人的に残念だったのが、今回執筆されている中村よお氏のブログで事前情報を得ていた小沢昭一氏、笑福亭鶴瓶氏らの原稿を拝めなかったことです。これはあくまで私の推論ですが、原稿をお願いした方の中には、非売品のブックレットならOK、発売前提の本ならだめという方もいらしたのかも知れませんね。(2009.8.4)
- 『「たま」という船に乗っていた』(石川浩司著・ぴあ)
竹中労さんを語る時、やはり避けて通ることができないのが「たま」というバンドであると思います。1990年のあの騒ぎの後も彼らは活動を続け、2003年に解散するまでおよそ19年バンドとして活動をした集大成をメンバーである石川浩司さんが書いているということで、手にすることは必然であったかも知れません。
彼らは竹中労さんの「お別れの会」に出て演奏してくれましたが、人気絶頂期であったということもあり、コンサートスタッフとして裏の仕事をしていた私にはほとんど近ずける隙さえなく、いつの間にか会場へ入り、いつの間にかいなくなっていたということしか覚えていません。テレビ番組「イカ天」でグランドチャンピオンになったとは言え、おそらく竹中労さんがこれだけ肩入れしたから聴いた人も多かったはずで(1990年の風の会では政治問題を差し置いて「たま」について語る会というのがあり、どう見てもこういう音楽に縁のなさそうなパネラー全員にたまのテープを送って聴いてもらっていました)、そういう状況を作り出したことにたまのメンバーは実は迷惑していたのではないかと思いつつ手に取ってみたのですが。
そこでの石川氏の竹中労さんに対する印象は、「たま」を冷静に見て評価してくれる人とのこと。『「たま」の本』を作るためのロング・インタビューについても、今こうやって当事者の筆から書かれているのを読むと、あの状況の中なんという仕事をしていたんだろうと恐縮することしきりです。彼らは竹中さんの予言した通りタレントとしては一過性のものとなりましたが、今も地道に活動を続けており、この本も「たま」を懐かしむだけではなく、これからの活動についてもいろいろ書かれていて、まだまだこれで終わりではないということを感じることができました。
この本を読んで改めて石川氏が群馬の前橋にいたということを思い出したのですが、彼が歌というものに目覚めるきっかけとなったのは三上寛であるというところを読んで、群馬・埼玉北部あたりの音楽状況について思うところがあります。やはり東京に近いということもあるのかも知れませんが、前橋・高崎・新町・本庄あたりにはちょっとしたプロモーターのような人が点在していて、いろんな魅力的なコンサートが行なわれていたのでした。私が山下洋輔さんを最初に聴いたのも前橋でしたし、もしかしたら石川氏が三上寛を聴いたのは高崎の大学祭コンサートだったのではないかとふと思ったりしました。「たま」とは全く音楽性は違いますが、BOOWYも前橋周辺で集まっていたものですし(氷室京介氏は1960年生まれで、石川氏は1961年)、北関東から東京へという流れはなかなか面白いものがあったんですねえ。(2004.3.8)
- ダカーポ2001年7月4日号(通算471号)
マガジンハウスの雑誌、『ダカーポ』はかつて竹中労さんの連載・『テレビ観想』がありました。テレビについて語るうち、いつの間にかTBS系列の深夜番組『イカ天』に入れ込んでいったのですが、今の時代こうした話自体を知らない人が増えているのではないでしょうか。
今回の小特集『なぜか、竹中労』は、主に生前の竹中労を知らない世代がなぜ手にとって氏の著作を読むのか? という疑問に基づいているかのようです。最近の新刊の出版が後押しをしているようにも見えますが、この特集でも語られているのですが、活字だけで触れると先入観なく読めるのかもしれませんね。これだけ今の内閣の支持率が高い時期、長いものに巻かれろではなく、言うべき事はきちんと言うというごく当たり前のことをやっていた竹中労さんが支持されるのは当然ではないかと私は思っています。
ただ、先日発売されたばかりの『芸能人別帳』のことに全く触れていないというのは、この特集を読んで興味を持った人には不親切な感じがします。できたら現在古本以外で入手可能な著作リストをつけて欲しかったところ。復刻された『ビートルズ・レポート』は今でも入手できるのでしょうか。(2001.6.20)
- 『君は小人プロレスを見たか』(高部雨市著・幻冬舎アウトロー文庫)
著者の高部さんは風の会にもしばしば出席されていて、本文中でも竹中労さんのことをルポライターとしての師と書かれています。この本の元となった現代書館『異端の笑国』の書評を労さんがされていて、その時の記述にも触れられている『汝、プロレスを武器とせよ』が追録されています。
『異端の笑国』発売当時、たまたま全日本女子プロレス(小人プロレスは彼女らと一緒に興行しています)がやってきたので、この本を持っていって、表紙を飾っているレスラー、リトル・フランキーさんにサインをもらってきました(^^;)。そういう意味でも私にとって印象深い本でもあります。
内容には筆者である高部さんの人柄がにじみ出ていて、何ともいえない感傷的な気分にさせるのですが、十年という時の流れがさらに厳しい状況を写し出していることを実感します。本は残りますが、小人プロレスの状況は十年前と比べて確実に悪くなっている。伝統芸能なら残そうと考える人が多いが、素晴らしいエンターテイメントである小人プロレスが消え去って行ってしまうのは仕方のないことなのでしょうか。(2000.1.28)
- 『竹中労・無頼の哀しみ』(木村聖哉著・現代書館)
筆者である木村氏は大阪労音で竹中さんと出会い、その後雑誌『話の特集』で竹中さんの原稿を担当した人です。一連の文章は雑誌『雲遊天下』で連載されたものを再構成したもので、『あくまでも「私の竹中労」メモであり、デッサンである』とあります。
まあ、そういう事情はあるにしても読んでいてあまりにも『……らしい』とか、『……ではないか?』というような曖昧な表現が多かったのでこの辺りについて無謀にも竹中労事務所に問い合わせてみました(^^;)。で、受け取ったのが以上のような見解(公式な)です。
『お問い合わせの書籍については、取材が杜撰で間違いが非常に多い。それらのことについて、細かく論ずるには値しないものである』
とまあ、かなり手厳しいことになっておりますが、特に生前の竹中労を知らないで、頼るべきは書物のみと言う人も結構います。そうした人たちにとっては、この本の記述がそのまま竹中労本人のイメージとして残ってしまうかもしれないわけで、その辺に対する危惧というものがあるのでしょう。そうなると個人的には正確な取材に基づく伝記というものを期待したいなと切に思ってしまったのですが、どうなんでしょうね(^^)。将来的には竹中労さんの研究をするような人も出てくるかもしれませんし。(99.10.11)
- 『小説TRIPPER1999秋季号』(朝日新聞社)
この号の特集が『方法としての小説とノンフィクション』ということで、竹中労の活字がそこかしこに出てきています。まず、野村進氏の文章の最初の部分に『聞書アラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは』の著者サイン本を持っているという記述が。浅草で『巷談の会』を開いていたころにほとんど欠かさず通っていたそうです。そして『日本ルポライターの系譜』と副題が付いた永江朗氏の文章ではルポライターの源流を探るとして、竹中労、梶山季之、開高健、の各氏(敬称略)をタイトルとし、新しい書き手の紹介までされています。特に竹中労さんについては『芸能人のスキャンダルの向こうに、国家権力の構造が透けて見える』、『ああ、こうして引用するだけでドキドキする、ワクワクする』なんて書いておられますが、まったくそういうところが、竹中さんの魅力であるわけですね。『山崎浩一が選ぶ「ノンフィクションライターになれるかもしれない30冊』という企画のなかで山崎氏は、このページでも紹介しています『決定版 ルポライター事始』を挙げておられますが、竹中さんを評して、『政治的ターボエンジンが備えられていた』と書いているのはその辺のことなのでしょう。でも、そんなターボエンジンが装備されているだけでは駄目で、足回りからボディから、すべてが揃っていないとなかなか人をワクワクさせるような文章は書けないんでしょうね。(99.10.11)
- 『スターの誕生』(吉田司著・講談社刊)
美空ひばり、萬屋錦之助、石原裕次郎、渥美清というそれぞれ一世を風靡したスターを、その時代を生きた筆者である吉田司氏の視点で語っているのですが、その節々に竹中さんの文章の引用があります。やはりというか朝日文庫『美空ひばり』の存在が大きかったということでしょうか。現在はちょっと入手が難しいかもしれませんが、この二冊の本を読み比べてみるのも面白いんじゃないかと思いますが。(99.10.11)
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