
関連書籍紹介
ここでは、竹中さん本人の著作ではないものの、著作が引用されたり論評されている書籍や雑誌について紹介していきたいと思います。ただし、こっちが見逃していたりして、逃しているものの方が実は多いかも知れません。その際はこっそりメールでいいですから、教えてくださいね(^^)。
- 『「たま」という船に乗っていた』(石川浩司著・ぴあ)
竹中労さんを語る時、やはり避けて通ることができないのが「たま」というバンドであると思います。1990年のあの騒ぎの後も彼らは活動を続け、2003年に解散するまでおよそ19年バンドとして活動をした集大成をメンバーである石川浩司さんが書いているということで、手にすることは必然であったかも知れません。
彼らは竹中労さんの「お別れの会」に出て演奏してくれましたが、人気絶頂期であったということもあり、コンサートスタッフとして裏の仕事をしていた私にはほとんど近ずける隙さえなく、いつの間にか会場へ入り、いつの間にかいなくなっていたということしか覚えていません。テレビ番組「イカ天」でグランドチャンピオンになったとは言え、おそらく竹中労さんがこれだけ肩入れしたから聴いた人も多かったはずで(1990年の風の会では政治問題を差し置いて「たま」について語る会というのがあり、どう見てもこういう音楽に縁のなさそうなパネラー全員にたまのテープを送って聴いてもらっていました)、そういう状況を作り出したことにたまのメンバーは実は迷惑していたのではないかと思いつつ手に取ってみたのですが。
そこでの石川氏の竹中労さんに対する印象は、「たま」を冷静に見て評価してくれる人とのこと。『「たま」の本』を作るためのロング・インタビューについても、今こうやって当事者の筆から書かれているのを読むと、あの状況の中なんという仕事をしていたんだろうと恐縮することしきりです。彼らは竹中さんの予言した通りタレントとしては一過性のものとなりましたが、今も地道に活動を続けており、この本も「たま」を懐かしむだけではなく、これからの活動についてもいろいろ書かれていて、まだまだこれで終わりではないということを感じることができました。
この本を読んで改めて石川氏が群馬の前橋にいたということを思い出したのですが、彼が歌というものに目覚めるきっかけとなったのは三上寛であるというところを読んで、群馬・埼玉北部あたりの音楽状況について思うところがあります。やはり東京に近いということもあるのかも知れませんが、前橋・高崎・新町・本庄あたりにはちょっとしたプロモーターのような人が点在していて、いろんな魅力的なコンサートが行なわれていたのでした。私が山下洋輔さんを最初に聴いたのも前橋でしたし、もしかしたら石川氏が三上寛を聴いたのは高崎の大学祭コンサートだったのではないかとふと思ったりしました。「たま」とは全く音楽性は違いますが、BOOWYも前橋周辺で集まっていたものですし(氷室京介氏は1960年生まれで、石川氏は1961年)、北関東から東京へという流れはなかなか面白いものがあったんですねえ。(2004.3.8)
- ダカーポ2001年7月4日号(通算471号)
マガジンハウスの雑誌、『ダカーポ』はかつて竹中労さんの連載・『テレビ観想』がありました。テレビについて語るうち、いつの間にかTBS系列の深夜番組『イカ天』に入れ込んでいったのですが、今の時代こうした話自体を知らない人が増えているのではないでしょうか。
今回の小特集『なぜか、竹中労』は、主に生前の竹中労を知らない世代がなぜ手にとって氏の著作を読むのか? という疑問に基づいているかのようです。最近の新刊の出版が後押しをしているようにも見えますが、この特集でも語られているのですが、活字だけで触れると先入観なく読めるのかもしれませんね。これだけ今の内閣の支持率が高い時期、長いものに巻かれろではなく、言うべき事はきちんと言うというごく当たり前のことをやっていた竹中労さんが支持されるのは当然ではないかと私は思っています。
ただ、先日発売されたばかりの『芸能人別帳』のことに全く触れていないというのは、この特集を読んで興味を持った人には不親切な感じがします。できたら現在古本以外で入手可能な著作リストをつけて欲しかったところ。復刻された『ビートルズ・レポート』は今でも入手できるのでしょうか。(2001.6.20)
- 『君は小人プロレスを見たか』(高部雨市著・幻冬舎アウトロー文庫)
著者の高部さんは風の会にもしばしば出席されていて、本文中でも竹中労さんのことをルポライターとしての師と書かれています。この本の元となった現代書館『異端の笑国』の書評を労さんがされていて、その時の記述にも触れられている『汝、プロレスを武器とせよ』が追録されています。
『異端の笑国』発売当時、たまたま全日本女子プロレス(小人プロレスは彼女らと一緒に興行しています)がやってきたので、この本を持っていって、表紙を飾っているレスラー、リトル・フランキーさんにサインをもらってきました(^^;)。そういう意味でも私にとって印象深い本でもあります。
内容には筆者である高部さんの人柄がにじみ出ていて、何ともいえない感傷的な気分にさせるのですが、十年という時の流れがさらに厳しい状況を写し出していることを実感します。本は残りますが、小人プロレスの状況は十年前と比べて確実に悪くなっている。伝統芸能なら残そうと考える人が多いが、素晴らしいエンターテイメントである小人プロレスが消え去って行ってしまうのは仕方のないことなのでしょうか。(2000.1.28)
- 『竹中労・無頼の哀しみ』(木村聖哉著・現代書館)
筆者である木村氏は大阪労音で竹中さんと出会い、その後雑誌『話の特集』で竹中さんの原稿を担当した人です。一連の文章は雑誌『雲遊天下』で連載されたものを再構成したもので、『あくまでも「私の竹中労」メモであり、デッサンである』とあります。
まあ、そういう事情はあるにしても読んでいてあまりにも『……らしい』とか、『……ではないか?』というような曖昧な表現が多かったのでこの辺りについて無謀にも竹中労事務所に問い合わせてみました(^^;)。で、受け取ったのが以上のような見解(公式な)です。
『お問い合わせの書籍については、取材が杜撰で間違いが非常に多い。それらのことについて、細かく論ずるには値しないものである』
とまあ、かなり手厳しいことになっておりますが、特に生前の竹中労を知らないで、頼るべきは書物のみと言う人も結構います。そうした人たちにとっては、この本の記述がそのまま竹中労本人のイメージとして残ってしまうかもしれないわけで、その辺に対する危惧というものがあるのでしょう。そうなると個人的には正確な取材に基づく伝記というものを期待したいなと切に思ってしまったのですが、どうなんでしょうね(^^)。将来的には竹中労さんの研究をするような人も出てくるかもしれませんし。(99.10.11)
- 『小説TRIPPER1999秋季号』(朝日新聞社)
この号の特集が『方法としての小説とノンフィクション』ということで、竹中労の活字がそこかしこに出てきています。まず、野村進氏の文章の最初の部分に『聞書アラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは』の著者サイン本を持っているという記述が。浅草で『巷談の会』を開いていたころにほとんど欠かさず通っていたそうです。そして『日本ルポライターの系譜』と副題が付いた永江朗氏の文章ではルポライターの源流を探るとして、竹中労、梶山季之、開高健、の各氏(敬称略)をタイトルとし、新しい書き手の紹介までされています。特に竹中労さんについては『芸能人のスキャンダルの向こうに、国家権力の構造が透けて見える』、『ああ、こうして引用するだけでドキドキする、ワクワクする』なんて書いておられますが、まったくそういうところが、竹中さんの魅力であるわけですね。『山崎浩一が選ぶ「ノンフィクションライターになれるかもしれない30冊』という企画のなかで山崎氏は、このページでも紹介しています『決定版 ルポライター事始』を挙げておられますが、竹中さんを評して、『政治的ターボエンジンが備えられていた』と書いているのはその辺のことなのでしょう。でも、そんなターボエンジンが装備されているだけでは駄目で、足回りからボディから、すべてが揃っていないとなかなか人をワクワクさせるような文章は書けないんでしょうね。(99.10.11)
- 『スターの誕生』(吉田司著・講談社刊)
美空ひばり、萬屋錦之助、石原裕次郎、渥美清というそれぞれ一世を風靡したスターを、その時代を生きた筆者である吉田司氏の視点で語っているのですが、その節々に竹中さんの文章の引用があります。やはりというか朝日文庫『美空ひばり』の存在が大きかったということでしょうか。現在はちょっと入手が難しいかもしれませんが、この二冊の本を読み比べてみるのも面白いんじゃないかと思いますが。(99.10.11)
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