私の乗る飛行機は20時30分発のもので、時間通りなら22時過ぎに羽田に到着する予定でした。その後は横浜まで行き、翌日の0時11分発の夜行「ムーンライトながら」で静岡に午前2時半頃着き、自宅には午前3時という強行スケジュールだったのですが、飛行機の到着が遅れているというアナウンスが流れ、待合室は騒然としています。しばらく経って状況がわかってきたことには、羽田から飛ぶはずの飛行機にエンジントラブルが起き、整備したものの駄目なので、代替機を準備中とのこと。しかし、私の日程だと一時間くらいの遅れなら、むしろ横浜駅で長々と待つこともないから大丈夫だとたかをくくっていたところ、最終的には21時50分出発と、1時間20分遅れとなってしまいました。
こういう場合、アナウンスの内容をよく聞いてすぐに反応することが大切です。まず航空会社側が行なったのは、遅れによる夕食補助のため、売店で使えるという1000円分のクーポンを配ったことです。多くの人はそれよりもなぜ遅れるのかと現地職員を問い詰めたり、その場に留まったままどうしようと言っているばかりで、すぐに動いた人というのはそれほどいませんでした。私の方は一人だったということもあり、とっととクーポンをゲットし、弁当だけでなくおみやげ品でも購入可能だと聞き、不足していたおみやげをクーポンで購入しました。その後、もたもたしていた人たちがクーポンをゲットしていた頃には土産物屋さんにも行列ができている始末です。こうなることはすぐに予想できたことですから、やはり早く動いて正解でした。
そうした騒ぎを横目で見ながら、改めてこれからどうなってしまうのか考えてみることにしました。定刻の20時30分発なら羽田着が22時ですから単純計算で21時50分発になると、羽田に着くのは23時20分になります。この23時20分というのはあくまで空港着の時間ですから、そこから電車に乗り換えて横浜に0時11分までに着けるのだろうかと不安になってきました。この段階でまだ飛行機は新千歳に到着していませんから、最悪の場合、何とか横浜まではたどり着けるとしても、そこで始発を待つ羽目になってしまいます。そうこうしているうちに、航空会社の方でも最終電車に間に合わない人のための救済措置というのを打ち出してきました。
以前、聞いた話によると羽田に着いた段階で自宅までのタクシー代として現金を配ったなんて事もあったらしいですが、今回の場合はそうではありません。公共交通機関が動いているうちは行けるところまで行ってもらい、これ以上行けなくなった場合にタクシー代を事後精算するための用紙を配るということになりました。タクシーの領収書を取り、用紙に記入して振り込み先(自分の)を記入し一週間以内に郵送すれば実費を振り込むというものです。その用紙をもらうためにまた行列ができそうだったので、こちらにも早めに並ぶことにしました。こちらとしてはとりあえず用紙をもらっておき、何とか横浜のインターネットカフェあたりで始発までやり過ごそうと思っていたのですが、たまたま取っていた帰りのムーンライトながらの指定券を見せながら交渉していたら、とりあえず羽田に着いた時点でどういう風にするか説明するということで、結局用紙はもらえずじまい。ただ、ちゃんとした航空会社が面倒を見てくれるということで安心し、お世話になった先輩宅と家に電話だけはしておきました。これが新幹線の遅延だったら、車内を列車ホテルのように開放してくれればいいのですが、空港の場合はどこかの待合室を開放するというわけにはいかないそうで、いろいろと大変な事もあるのですね。
で、これでハプニングも終わりかと思ったら最後にもう一つありました。無事に乗り込んだ飛行機が離陸状態になったところで、いきなり私の席の少し前のご婦人が席を立ったではありませんか。その時は客室乗務員たちもシートベルトをしていましたから、そのご婦人は隣の席の人に諭されて席に戻っていました。しかし何か周りの乗客たちが落ち着かずに上ばかり見ているのが気にかかりました。天井といえば、酸素マスクが下りてくるところで、代替機だけに、何らかのトラブルがまた起こったのかと不安な予感が浮かびましたが、なぜご婦人が席を立ったのか、身をもって体験することでわかったのでした。何が原因かは今もってわかりませんが、ちょうど私の席の真上から水滴がこちらめがけて落ちてきまして、慌てて両手で受けたもののちょっと服を濡らしてしまったのです。恐らく私よりもっとすごい水漏れがあったのでしょう。離陸を無事に済ませた後、前のご婦人を気遣う客室乗務員の態度に、とりあえずまだ水滴が残っている天井のところを何とかしてもらおうと言ったところ、遅れのこともあったのかかなり恐縮しているご様子。この件についても羽田に着いてから対応しますということで名前と連絡先を書かされ、私にとっては二重の受難となってしまったのでした。ただ、水をかぶったことよりも、気流の関係で機体がかなり揺れたことと、耳がツーンとして痛くなった方が個人的には大変でしたけど(^^;)。
そうこうしているうちに何とか機行機は無事に羽田に着きました。ただ、到着時間はもうすぐ12時といった感じだったので、これで完全に翌日の始発を待たないと帰れなくなってしまいました。出口のところで私の名前を連呼しているのでそちらの方に行ったところ、羽田空港内のエクセル東急ホテルを取ってくれたとのこと。機内での件はクリーニング代の実費を渡されましたが、これは翌日の新幹線代の一部に化けました。ともあれ、案内の社員の後ろにしたがって、ホテルにチェックインしましたが、翌日の朝食も出してもらえることになり、さすが空港内のホテルらしく朝食は5時半からということでした。それなら朝食を食べてからでも明日の仕事に間に合うということで、チェックアウトを6時頃と指定し、用意してもらった部屋へと落ち着くことに。その部屋は窓を開けると滑走路が見えるところで、恐らくこんなことでもなければ泊まらないと思うほどいい部屋でした。ツインルームのシングル利用ということでも贅沢でしたし、こちらのホテルにもインターネット用のLANジャックがあったので、そこでテレビの選挙番組を見ながら多少体を休めることに。ただ、ベッドに横になったら6時出発は無理なので、何とか寝ないで起きていました。
後は予定通り5時半に朝食のバイキングを取り、6時前にチェックアウト。ロビーを出たらそこはすぐ出発ロビーという事に驚きつつも京急に乗って蒲田〜横浜〜東神奈川〜新横浜とかなり複雑に乗り継ぎ、ぎりぎりで静岡着7時55分というこだま号に間に合うことができたのです。
さすがにその日の午後からはヘロヘロになりましたが(^^;)、何とか仕事に穴も開けずに戻ってこれたということで良しとしなければならないでしょう。最初は最長の一泊二日の旅だったのが、最後のハプニングのおかげで、最短の二泊三日旅行になってしまったというおまけまで付いてしまいました。今回は最後になってハプニングに見舞われてしまいましたが、こういう時でもハプニングそのものをしっかりと受け入れる事が大切だと思います。楽しめとまでは言えませんが、こちらは常に最悪の状況を頭に入れながら旅をしているので、むしろ航空会社の至れり尽くせりのクレーム対応に頭が下がる思いでした。もちろん、こうした余裕は一人で旅に出ているからこそのものなのかも知れませんが、今回のように人為的なトラブルではなく、台風のような自然災害の影響をもろに受ける場合だってないとは言えません。その際、最終的には自分達で何とかしなければならないのですが、旅行会社でも航空会社でも、どうにかならないのか尋ねてみる余地はあるでしょう。今回の私の場合、自ら何の行動も起こさなかったら、一枚の紙をもらって空港から追い出されたままどうしようもなくなってしまったかも知れませんし。そんな、今回の私の体験がこれを最後まで読んでいただいた皆さんの参考になれば幸いです。
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