安吾に関する映画・舞台というと、どうしても「桜の森の満開の下」というイメージがありますが、こんな映画も作られていたということで情報をいただきましたので紹介します。
1958年、安吾の小説から八住利雄氏が脚色し、豊田四郎氏が監督した「負ケラレマセン勝ツマデハ」(東京映画=東宝)が、東京・下北沢のシネマアートン下北沢で上映されます。
監督の豊田四郎氏の特集ということで一連の作品が上映される中の一本ということですが、出演者は森繁久弥、望月優子、淡島千景、伴淳三郎、乙羽信子というそうそうたる顔ぶれの喜劇ということです。詳しくはシネマアートン下北沢のページをご覧下さい。なお、「負ケラレマセン勝ツマデハ」は、
3/26(土)〜3/29(火) 14:40
3/30(水)〜4/1(金) 17:00
の日程で上映されます。(2005.2.28)
私自身もそうなのですが、多くの人は調べものをする時にインターネットに頼る度合が年々高くなっているような気がします。そんな中、決定版になりそうなビックニュースが飛び込んできました。
安吾さんの御子息、坂口綱男氏は写真家で、ご自身のホームページにおいて仕事のことやら、はたまた趣味の模型飛行機のことであるとか、かなりまめにホームページを作っておられます。本日の新聞で、坂口綱男氏が、遺稿や眼鏡、カメラなどの遺品、歴史小説執筆時に使用した取材ノートの中身や私的なメモなどをホームページ上で公開する用意があるという記事を発見しました(地方紙の「静岡新聞」の記事なので、おそらく共同通信が配信したものと思われます)。
公開されるのは、推敲された小説「肝臓先生」の直筆原稿や、新聞連載用に執筆したものの発表されなかった短編の原稿一枚一枚、蔵書のページに挟まっていた私的なメモ類など、画像にして数千に及ぶといいます。そういったものをデジタルデータ化して公開するというのは骨の折れる仕事かと思いますが、公開は記事によると来春ということだそうです。更に書簡の類いもできるだけ公開したいということですので、今まで想像しかできなかったことも明らかになるかも知れません。詳しいことはこれからの坂口綱男氏のページに紹介されることと思いますので(ネット検索で「坂口綱男」をキーワードにすればすぐに見つかります)、期待して待ちましょう。(2003.10.20)
今度は新選挙法実施直後の戦後の風潮を一流の皮肉で切ったエッセイが発見されたそうです。発見されたのはなんと2本で、来月(5月)7日発売の文芸誌「すばる」6月号に掲載されるそう。
題名は「インチキ文学ボクメツ雑談」が原稿用紙5枚(400字)、「わが施政演説」の方は原稿用紙7枚(前同)で未完成とのこと。雑誌編集者の遺族宅で発見されたということですから、その編集者は墓場までそうしたエッセイがあることを知らせずに来たということなのでしょう。ファン心理としてはそういう隠匿は是非ともやめてもらいたいとつい思ってしまうのですが。
内容の方は来月に改めて読んでもらうとして、面白いのが冒頭に1946年7月7日という記述があるそうで、「堕落論」や「白痴」の発表時期と重なっています。これらの原稿はボツになったようで、どうしてボツになったのかはこれも内容を読んで確かめたいです。安吾の文章が駄目でボツになったということはこのころの活躍ぶりを見るとにわかには考えられませんから、何らかの形で編集者の方が自粛したと見るのが自然な感じがしますが。
しかし、こうした疑問に答えてくれる編集者はもはや故人になってしまっているので、どこまでその当時の状況がわかるのでしょうか。個人的には墓場に持っていくような秘密ではない気がするんですけどね。(2001.4.15)
(追記)
今回、改めて「すばる」6月号を入手したところ、その編集者の名前は立野智子氏であることがわかりました。武者小路実篤氏の肖像画がありましたが、どこかで見たような気がしたのですね。で、思い出してみるとこれはテレビ東京で放映された『開運! なんでも鑑定団』に出ていたものでした。私の記憶が間違いない証拠に、テレビ東京の当該ページにはまさにその肖像を含む坂口安吾の原稿が登場していました。放送は1998年9月29日ということですから、公になるまで二年半もかかったということですね。(2001.5.9)
前回のラジオの朗読に続いての「風博士」ネタですが、今度はNHKBS2の『名作をテレビで読む絵本』で放送されました。構成・演出は数々のアニメーションの制作で有名な杉井ギサブローさんで、キャプチャーした画像を見ていただければおわかりの通り、非常に抽象的ながらも大変面白く仕上がっています。ちなみにタイトル左の怪物のような物体こそ『蛸博士』で、右側の小さな人物(?)が『風博士』です。
テレビで見る場合、どうしてもその映像を追ってしまうのですが、映像のせいもあるのかもしれませんが、これが1931年に書かれた作品であることはとうてい信じられず、名作というよりも現在の実験作という感じでも十分通用するような感じもします。
私が見たのは再放送分でしたが、もしかしたらこういう映像ソフトは後でNHKの方でもビデオ化するかもしれません。安吾といえば堕落論、さらに様々なエッセイという評価だけでなく、こうした馬鹿馬鹿しくも面白い物語を紡ぎ出す安吾の魅力に多くの人がふれることができればいいのですが。(2001.3.17)
(追記)
と書きましたが、この番組はかなり前に放送されたものの再放送だということが今になってわかりました(^^;)。全30巻の「名作ビデオ絵本」として、毎日EVRシステムより販売されているそうです。インターネット検索で試してみたところ、公共の図書館においてある可能性があります。興味のある方は是非とも調べてみて、このぶっ飛んだ風博士を体験してみてください。(2001.3.20)
新春・朗読への招待と題されたコーナーで、ドイツ文学者 池内 紀氏の解説の元、安吾の『風博士』の後半が朗読されました。朗読したのは男性の内藤アナウンサー。21世紀の文学を展望するというような大風呂敷を広げていらっしゃいましたが、池内氏は安吾のごくごく初期である一連の作品を評価していらっしゃるようでした。特に、朗読することによって作品の持つ味わいが増幅されるという風に強調していたのが印象的でした。
私としても活字で、特にアルファベットでかかれている部分をどう朗読するのだろうと(^^;)思っていたところ、かなりその部分に力を入れて読まれておりまして、こっちも夜中でなかったら半狂乱になりつつ作品を朗読してみたいと思ってしまったのですがさすがに夜中ではねえ(^^;)。
安吾の作品というのは、無骨で、力技で押し切るような感じを持っている人もいるかもしれませんが、今回の朗読を聞いた人がいたらそう言うイメージは少なくとも払拭できるのではないでしょうか。でも、この時間にわざわざラジオを聞いている人はいないだろうなあ。(2001.1.9)
今回見つかったのは『わが施政演説』という題がついた未完の時評で、八月十六日までに、東京都内の古書店で見つかったとのこと。軍国主義と共産主義の両方を俎上にあげるという内容だそうで、そうした手法は安吾のエッセイを読んでいる人にとっては使い古された感じもありますね。文芸評論家関井光男さんによると、文中に「小説書きの何人かゞ参議員に当選」したとありまして、山本有三氏や中野重治氏が当選した一九四七年の参院選直後に書かれたものではないかということです。早く本文を読みたいものですが、小説家が政治の世界に打って出るということについての安吾流の考えが書かれているのかもしれません。
本文は四百字詰め原稿用紙七枚に書かれ、結論の前に中断している模様。内容について、この事を報じた新聞(新潟日報と上毛新聞の記事を確認した上でこの文章を書いています)によりますと「人間の生活には、政治ではどうすることもできない部分があって」とか、「国民服といふものを着せ、精神の方にも、日本的な制服を着せる考へ」を持っていた「戦争中の軍人政府」と、「法則通りの精神服を着用しなければいけない」共産主義の両方を、政治でなんでもできると思い込んでいる「横車の政治」と批判。さらに、新時代≠フ到来を喜ぶ風潮には「いつ又そんな(戦中の)世の中になりかねないとも限らない権力思想の古い根がはびこって」いると疑念を投げかけているのだそう。さらに、政治に理想は必要だが、理想の早急な実現は考えてはならないとした後、「民族の未来のためとか、永遠の繁栄のため、とか、さういふ有りうべからざる」と書いたところで、文章は突然終わっているとのこと。
しかし、これで完全な全集と言われた私が今読んでいる筑摩書房版の全集も完全とは言えなくなってしまったということですか(^^;)。もう少ししたらどこかの雑誌にでも採録されるようでしたら改めて読んでみたいですが、あくまで新聞に載ったものから内容を想像しただけなので、その辺がちょっと消化不良なのです。できるだけ私もその時評を探してみるようにしますが、もしどなたか私が見つける前に読んだという方がいらしたら、そっと教えてくださいね(^^)。(2000.8.17)
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