テレビノート

 

その8 ハードディスクレコーダーでテレビは変わる

 新しく、ハードディスクレコーダーを買いました。この機種は企業とは無関係なフリーソフトを使うと、ハードディスク内の番組をパソコンに取り込め、編集やDVDに焼くなどという使い方もできますが、何と言っても気軽に録画できるというのが一番のメリットという感じもします。

 そして一つ気が付いたことには、テープのようにからまる心配がないということから、気軽に倍速再生が行なえるということがあります。今使っている機種では、だいたい2倍速くらいはそれほど違和感なく見ることができます。民放の場合コマーシャルがありますから、それを見る時には飛ばすとして、単に内容の確認をしたいだけのような番組の場合、リアルタイム視聴の時と比べると半分以上見る時間を節約できるということになります。

 テレビというのは利用するには実にいいメディアですが、ここで何回も書いてきたように、私たちの貴重な時間を奪う悪魔のような存在でもあります。だらだら見ることによって思っても見なかった発見があるのも確かですが、それなら番組表を見て、ちょっと引っかかった番組はとりあえずハードディスクに録画してしまえばいいわけで、使い方によっては今までよりももっと別のことに費やせる時間が増えてくる可能性があります。

 こういうことが一般的になってしまうと番組を提供するスポンサーは困るでしょうが、あくまでテレビに時間を奪われたくないと思っている方々は、ハードディスクレコーダーの購入を検討されてみてはいかがでしょうか。時は金なりといいますが、こういうことへの出費というのは今考えると時間をお金で買うことと等しいのではないかと思います。(2005.5.1)

 

その7 テレビがスポーツイベントを滅ぼす?

 

 ソルトレークオリンピックが終わりました。様々な問題が噴出した大会でありましたが、その陰にテレビが関わっていたと言うことはここではっきりと指摘しておきたいと思います。

 スケートのショートトラックで様々な抗議をしたのにもかかわらず門前払された韓国と日本ですが、抗議は受け付けないというルールはこのオリンピック特有のローカルルールだったとか。なぜそんなことをしたかというと、現地でのテレビ中継を円滑に進めるためにとられた処置だという話があります。確かに、スポンサーにがんじがらめになって放送時間が決まっている中で中継しなくてはならない場合、定刻に終わってくれないといちばんいいシーンが中継できなくなってしまいます。まさに、日本の民放によるプロ野球中継状態ですね(^^;)。

 さらにテレビには巨大な放映権料がかかっています。それだけのお金を投資して放映権を買った以上、中途半端な中継では放送局も納得しない。結果運営現場にしわ寄せがやってくるわけです。

 さらに問題となったフィギュアスケートも、場外での盛り上がりによって軒並み視聴率は好調(アメリカの場合)だったそう。ある意味、他の競技と比べて実にお金になる競技であるといえるわけで、それがオリンピックでの規定演技(コンパルソリー)の変更へとつながっていった流れもしっかり押さえておかなくてはいけないでしょう。

 もともとコンパルソリーとは、芸術性などとは関係なく、あくまでも正確な図形を氷の上で描くことにより優劣が決まっていました。その図形というのは参加者が同じ図形を描くのではなく、前日の抽選によって41ある図形の中からランダムに選手ごとへの課題として決定されるという、実に技術的要素を要求されるものなのです。当然地味な競技ですから、私は以前のコンパルソリーをテレビ中継で見た記憶がありません(^^;)。どこの局でも結果のみの告知で、それがどんなものなのか、実のところ札幌オリンピックの映画で初めてわかったというくらいでした。でも結局のところ、きちんと規定演技をこなせるだけの選手が(試合ではどの図形も完璧に描けるように、すべての図形を習得しなければならない)メダルを取るんですね。それがテレビが入り込むことによって、課題の技術は必須なものの、フリーの演技に限りなく近い形に(ということはその分テレビのソフトとしての魅力も持つということ)変わってしまいました。フィギュアスケートだけでなく、これからはテレビのためにスポーツのルールまで変質することがますます増えるでしょう。

 実際、テレビ介入によってサッカーの試合もせわしなくなりました。ボールが外に出たら間髪入れずに新しいボールが入ってくる。見ている側からするとスピーディーな試合運びですが、やっている選手にとってはそこまでする必要があるのか。時間を故意に稼ごうとしてイエローカードやレッドカードを受ける選手も沢山いますが、あれも極端に露骨なことをしなければ、審判が細かくタイムを計り、以下に引き延ばしてもその時間を試合時間に換算しなければ済む話です。さらに、力を持っている国の意見によって、試合の開始時間まで決められてしまうということもありますね。ゴールデンタイムに自国の試合を見るのも大事でしょうが、自国の最高のプレーを望むなら、コンディションのいい現地時間で試合をさせてあげた方がいいのになと私は思うのですがね。やはりなんというか、テレビで見る観衆のために大会運営側が協力させられていると見るのが正しいでしょう。確かにテレビを使うと、世界中のどこで行われているスポーツでも自宅にいながらにして見ることができます。ところがいつの間にかスポーツが選手のものではなく、テレビのためにスポーツをやっているようなことになっていないでしょうか。テレビのデジタル化で多チャンネルになったら、オリンピックやワールドカップの時などは種目ごとにノーカットで中継をすれば多少は改善ができるのではと思いますが、放映権の問題もありますし、今ではテレビ業界とスポーツ機構側がべったりですから、可能性は薄いということはわかっているのですが、このままテレビという怪物に巨大スポーツイベントが蝕まれていくというのは何か哀しくなります。(2002.2.28)

 

その6 スポーツジャーナリズムを叱る

 

 世の中テレビがすべてではないとはわかってはいるものの、サッカーのワールドカップの準備にあれだけのお金と人が動いているのを見ると、ちょっと憮然としてしまいます。現在大阪で開催されている世界卓球選手権に対する無関心ぶりはちょっとひどすぎるのではないでしょうか。

 スポーツとはやって楽しむものでもあるけれど、見ていても結構楽しかったりします。特に世界一流のレベルでの試合ということになると滅多なことでは見られないものですし。ごく一部の愛好者のためだけに招致してきたのでもないのに、世界の一流選手とはどんなものなのかもっと紹介してもいいのではと思っていたら、なんと放送日程は各種目の決勝だけとのこと。つまり結果を淡々と伝えるだけということに過ぎないのですね。そこにはスポーツを、世界と日本を繋ぐ窓口という観点が見事に欠落しているといわざるを得ません。

 特に卓球という競技は、政治的に利用されてきたといえば聞こえは悪いですが、スポーツという民間外交としての役目を立派に果たしてきた優等生的スポーツだと言えます。公式なルートだけに頼った外交は進めるにつれてどうしても手詰まりになるものですし、そこを補完して最大限の効果を上げた実績が卓球にはあります。俗に言う『ピンポン外交』というやつ。

 今回の大会でも男子団体の優勝は中国、3位に韓国が入りました。女子に至っては優勝が中国で準優勝が北朝鮮でした。前回千葉で行われた世界卓球選手権で南北朝鮮合同チームが実現したのはなぜでしょう。それは韓国と北朝鮮がどちらも世界のトップクラスにある競技だからに他なりません。特に日本としては、今回の大会で中国や北朝鮮にアプローチをかけたり、ある種の実績づくりをするチャンスは十分にありました。しかし、今回新しく外相になられた田中真紀子氏が大阪入りしたという話はとんと聞かないし、一連の報道で卓球の中国チームや北朝鮮チームにスポットライトが当たったこともありません。今回の大会で18年ぶりに銅メダルを獲得した日本女子団体では、実は元中国国籍をもつ選手が二人エントリーしていました。中国との準決勝では完敗しましたが、そのへんを突っ込んで取材し、日中の架け橋になろうと努力しているその選手たちの気持ちをレポートしようとする人たちはいなかったのでしょうか。

 特に国際試合ということになると、世界一流のプレーというのにも興味がわきますが、その人たちの人となりというのもにも興味がわきます。それはサッカーや野球だから偉いとか、そういうものではないはずなのに。それもこれも、視聴率に直結しているから悪いのでしょうね。生中継の面白さというのはやはりスポーツなのですから、今後チャンネルが増えた際、一つの競技に集中しないでたくさんの競技、そしてその周辺にまつわる話なども織り交ぜて報道してくれるスポーツマスコミの進歩を期待するものであります。(2001.4.30)

 

その5 放送ビックバンは起こるのか

 最近の深夜番組を見ていてちょっと気になるのですが、日本テレビのNNNネットワークで、爆笑問題の出ている番組は北海道、ヒロミと飯島愛が出ているのが愛知県、和田アキコと久本雅美が出ているのが福岡県と、それぞれの地方局が番組を作っているようです。せっかく地方局が作る番組なのだから、地元のパーソナリティを登場させてもいいのにと思うのですが。特に番組放送枠は以前日本テレビと大阪の読売テレビが競って放送していた時間ですから。

 こうした状況は視聴者の側から見ると、別に何の意味もないことで、それによって東京キー局より面白いものを作ろうというよりも、とりあえず全国に流せるものをという感じにしか見えません。地方局で独自性を出しているのは関西系の局やネット配信をしないUHF局やケーブルテレビ局などに限定され、どんどん地方局としての個性を失っていくことになります。

 パソコンもテレビチューナーがついたものが売れ行きがいい時代です。今後インターネットで東京キー局が自分の番組を配信したり、どうにもならなくなったBSデジタルが封印を解き、地上波と同じ番組を放送しだしたら、深刻な地方局の危機が訪れます。地方ニュースならNHKを見ればよし、何事も中途半端に行っている地方局はこれからどうなるか予想もつかない時代になってくるのではないでしょうか。

 そうした危機を乗り切るためには、有名なタレントに頼らずに面白い番組を作る力量が求められるのではないでしょうか。テレビ東京はまさにそのいい例で、『TVチャンピオン』などは、素人だけで結構な視聴率を稼ぎます。アイディア一つで面白い番組をゲリラ的に作ることは十分可能なのではと思うゆえんです。

 そういう番組の一つに北海道テレビが制作している『水曜どうでしょう』があります。このリンク先を見ていただいてもいまいちその面白さがわからないというのがつらいのですが、この地方局の番組を私の住んでいる静岡でネットしていることから、その面白さを類推してみてください。デジタルビデオを持った出演者とディレクターの一団が一帯となって北海道だけにとどまらず、日本はおろか世界中を駆けめぐる奇想天外さは、個人ではとうてい体験できない憧れでもあります。地元スタッフのみで女性も出てこない番組(^^;)なのに、これほど面白い番組も他には知りません。ほんと、インターネットによる同時放送を実現してくれればいいのになあと思いますが(こちらでは北海道と比べるとかなり内容が前の放送になってしまっている)、こういうソフトを持っている放送局は強いです。さてさて、東京の放送局が作ったソフトばかりを買って放送している地方局はどうなってしまうのでしょうか。(2001.3.18)

 

その4 勧告より必要なもの

 バラエティ番組は攻撃されるためにあるということは確かにあって、私のページでもさんざん攻撃しているんですが、それによって放送を自粛するということはありません。しかし、政府が直々に意見するなんてことになると話は別。今回やり玉に挙がったのはフジテレビ系『めちゃイケ』とテレビ朝日系『おネプ』。前者は「しりとり侍」というコーナーで、敗者に行う罰ゲームがいじめを助長するということで、結局このコーナーは今後中止。後者の方は一般視聴者を巴投げで投げるコーナーで、ミニスカートをはいている女の子も投げてしまうので、それが『のぞき』につながるとのこと。

 個人的にはテレビというものはそういうもので、問題はその映像を受けて行動をとる視聴者の側にあると思うのです。いじめにつながるというのは、テレビではどんな出演者も必ず負けたら罰ゲームを受けるというルールがあるのにも関わらず、罰ゲームをいじめのターゲットだけに集中して、罰を受けるのはターゲットだけにするというような企画意図の曲解を平気でするからでしょう。ただ同じ事をテレビでやったとしたら完全にしらけます。先日テレビのパチンコ対決で、自分たちが負けそうになったものだから半ば強引にルールを曲げて勝負を続行したとあるタレントを見ましたが、そもそも18才未満はやってはいけないパチンコをゴールデンタイムのバラエティで堂々と放送し、射幸心を煽りまくるのは問題ないのかということはこっちに置いておいても(^^;)、完全に勝負事自体をつまらなくしたということからも明らかでしょう。

 後者の問題についてですが、もっとひどいものは掃いて捨てるほどあります。そんな中で何故あの番組だけをねらい打ったのか。それは、前者と共通する事柄ですが放送する時間が問題なのですね。恐らく今回の問題を指摘した人たちは、私ほどテレビを沢山見ていないのではないでしょうか(^^;)。

 実に断片的な情報と、これも断片的にしか番組を見ないで抗議する人たちによって今回の勧告に至る意見が出てきたような感じもします。こうしたことでテレビ番組の編成を変えなければならないと言うのは、私たちが番組を選択する前に検閲されてしまうようで気分のいいものではありません。これからBSデジタル放送が開始され、本格的に放送する時代、私たちの番組を見る目というものが以前よりも増して必要になってくることは間違いありません。ほんと、テレビの見方というものを学校で教える必要の方があるのではないかな。(2000.12.1)

 

その3 改めてテレビの怖さを思う

 国会で証人喚問をされる人が、静止画の映像になり、その表情をそのまま映されることがなくなったのは、権力を持つ人たちが生放送で自分の表情からいろんなことを見透かされてしまうという恐怖を持ったためでしょう。これとは違いますが、以前国会での演説で、すでに故人となっている田中六助氏の演説が止まりました。カメラはすかさず彼の手元をアップで映しますが、彼の持っている紙にはものすごい大きな文字の書かれた紙があり、それすらも読めない状態の田中氏の手が震えている姿をカメラは捉えました。

 このように、カメラはその場の雰囲気までも克明に伝えてしまいます。ですから、テレビに出る人はその辺のことを十分注意する必要があるのです。バラエティタレントが生放送にでて説教を垂れるのも確実に見ている人の反感を買いますし、政治家がブラウン管の向こうの人たちを莫迦にするような表情をするだけで、それが再生産され、ひょっとすると政権を揺るがすような影響を与えることだってあるのです。

 今日(2000年9月22日)、シドニーオリンピック柔道男子100キロ超級の決勝戦で、日本の篠原選手への不可解な判定(これはあくまで日本から見た場合ですが)についてのコメントをした人たちはたった数時間ですっかり評価が分かれてしまったようです。特に象徴的だったのはNHKの有働由美子アナとTBSの番組に出演した田村亮子選手。前者の有働アナは、この事実を伝えている最中にあまりのことに涙声になってしまい、それでも堪えつつ用意された原稿を読み上げました。シドニーに出発した後にプロ野球の横浜ベイスターズの石井琢郎選手との熱愛が発覚し、評判を落としてしまっていた有働アナでしたが、これが計算してやったものではないのはその場面を見ていた人は実感できたことでしょう。むしろ、高感度アップというような状況にもなっています。逆にその後、テレビに出演した田村選手の表情は、試合会場で見せた険しい表情から一変し、むしろ笑顔ではしゃいでいるような印象を見ている人の間に植えつけてしまいました。自分さえ金メダルを取ればいいのかというような野次馬の感想もありまして、別に今回のことで田村選手は悪いことはないのですが、あまりにもテレビというものを甘く考えていたということだけは私にもわかりました。この、たった何分かの時間のために、マスコミはこぞって田村選手のバッシングに走るかもしれません。

 生放送は決して取り返すことはできません。テレビカメラの向こうで何が起こっているか、そういうことを十分に考えてしゃべることがいかに大切か、すでに試合の結果から離れてしまって盛り上がっている現状を見るにつけ、しみじみ思います。(2000.9.23)

 

その2 地方局とネットの問題について

 東京を含む関東に住んでいる人や、大阪、名古屋、福岡、札幌などいわゆる大都市圏に住んでいる人にはちょっとピンとこない話かもしれませんが、テレビにおいても地方との格差は存在しています。ちなみに私の住んでいる静岡県はそんな地域の中でも比較的恵まれているかもしれません。民放では日本テレビ系・TBS系・フジテレビ系・テレビ朝日系の放送はそのまま見ることができます。唯一だめなのがテレビ東京系で、土曜・日曜日の午後になると静岡のネット局はここぞとばかりテレビ東京系の看板番組を横並びで放送するので、東京から来た人に番組表を見せると物笑いの種になったりします(クイズ赤恥青恥の裏がたけしの誰でもピカソだったり、愛の貧乏脱出大作戦の裏がTVチャンピオンだったり(^^;))。まあ、そこらへんのことは笑い話で済むとしても、問題となるのがスポーツ放送などで東京では普通に生で放送されているものがネット局の問題によって放送がされないか深夜に回される時でしょう。

 特に静岡でということで思い出すのが、サッカーのワールドカップアジア最終予選。カタールのドーハで行われた日本対イラクの試合が地上波で放送されなかったことです。それは、とりもなおさず、地上波の放映権をテレビ東京が取ってしまったためなのですが、それ以上に頭に来るのは地元の放送局がなぜ通常ネット局との関係におもねってどこも通常の番組を放送したのかということです。その時の試合では、その前の試合からラッキーボーイ的活躍をしていた、ジュビロ磐田の中山選手に注目が集まり、彼の父親のキャラクターにも注目が集まって(^^;)、各テレビ局が岡部町にある中山選手の実家にまでテレビカメラをかついで押しかけていたというのに。結局静岡県でこの試合を見るためには、お金を出して衛星放送の設備を買い、NHKに受信料の追加を払わなければなりませんでした。つまりそこには、お金を払わないと見られないという、理不尽な視聴者への押しつけというものが存在していたのです。サッカーのワールドカップを楽しみにしている人たちのために、今後のワールドカップは、どこの国でもペイテレビのような有料放送でなく、無料放送で(といっても企業の広告費がかかっているので完全に無料というわけにはいかないのですが)視聴できるようにするという方針があるそうです。今度のシドニーオリンピックでも、民放が独占中継する人気競技がある場合は、ネット局の少ない地域においては、それまでのネットの掟を崩してちゃんと中継はやるとのことですが、今日また静岡県でそうしたケースに遭遇しました。

 全国版の今日の番組表を見ると、6月11日午後3時半からはTBSにおいて、ボクシング世界ライト級選手権の中継が入っていました。畑山選手が2階級制はなるかという、ボクシングファンならずとも大変興味深い試合です。しかし、TBSのネット局であるSBS(静岡放送)の当該欄を見ると、午後3時からは『タクシードライバー咲坂都・走る密室に殺意の乗客(再)』となっているではありませんか。この件については早速メールで事情を問いただそうと思っておりますが、別の系列のネット局の番組ならまだしも、主要ネットの番組を差し替える編成のやり方を疑います。今後BSデジタル放送で東京の放送局の番組をそのまま見られるようになったら、こうした地方局はすぐさま経営的な危機に陥ることは必定でしょう。ともあれ、問い合わせの結果がわかりましたら、ここでお知らせしたいと思います。(2000.6.11)

 

その1 テレビの取材力とは

 事件自体が大したことではなかったからいいのですが、息子の口におにぎりをつめこんで殺したという静岡の事件は、同居していた交際相手の存在を隠すために母親が警察に嘘を言っていたことがわかったと昨日から今日にかけての報道でありました。たまたま、母親の供述で、子供と一緒に私の住んでいる静岡市周辺でも路上生活をしていたということでしたので、ちょっと興味があったのですが、残念ながら私は市内で子供を連れた母親の路上生活者にあったことはありませんでした。今目立つのは、数年前までは全く存在しなかった物乞いをするおじいさんの存在ぐらいで、周辺でもその親子を見たという話はほとんど聞かれなかったので、おかしいとは思っていたのですが。

 はっきり言って、あの報道は誤報もいいところで、これはテレビを含めたマスコミ各社があれだけ警察の不祥事を追求していながら、警察の発表をそのまま記事にするだけで、独自の取材をほとんどしていないことが証明されるような形になってしまいました。特に地元のテレビ局だったら、駅周辺の人や繁華街に繰り出せばすぐそれらしき証言を手にできるはずで、それすらも怠ったということです。ニュースステーションでは司会の久米宏が間違った報道をしてしまった事実を伝えただけで、別に謝罪をするわけでもありませんでした。感じとしてみれば、警察の発表を報道したのだから、私たちには責任はないよとでも言いたげな感じかなとも見ていて思いましたが。

 記者クラブの存在もそうですが、行政や警察にはりついて、それらの発表を鸚鵡返しに繰り返すのが取材能力のないメディアの常套手段であるということは今さらながら見ている私たちが確認しなければならないことでしょう。ちょっとした機転をきかせればこの事件の報道も、警察発表ではおにぎりを口につめて殺したということになっているが、独自の取材によると犯人の主婦が出没したと供述した地域では目撃例がなく、その真相には追っての捜査が待たれるぐらいのことは言えたはずです。ここで問題は『おにぎりをつめこんで殺した』というキーワードのユニークさがあります。このユニークな犯行の方法というのは、視聴者を一瞬でもテレビの前に張りつけるだけのインパクトがあります。テレビというものはやはり、やじ馬をいかにチャンネルを変えさせないようにするかというところに存在意義を見いだしています。ですから見出しにショッキングな言葉がたくさん使われています。

 言うまでもなく、事件報道は警察発表を繰り返すだけですから、テレビを見ていてその事件の裏を報道するということは全くないし、逆に警察や行政による情報操作に簡単に荷担してしまうのが今のテレビの現状だということを私たちは認識すべきでしょう。今回は大衆にそれほど影響がない個別の事件という形での誤報でしたが、それこそ、国民を動かすような情報操作が今後テレビを舞台にして引き起こされないとも限りませんので。(2000.5.13)


 

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