99年1月
- 土曜特集 この一曲が元気のもと!(NHK総合・99.1.30)
はっきり言って見かけ倒しでしたねえ(^^;)。横浜ベイスターズの38ぶりの優勝には、ある音楽のパワーが隠されていたなんて声高らかに言っているんでなんだと思ったら、権藤監督が好きな歌手が松山千春だったというだけ(^^;)。後も、元気を付けるにはアップテンポの曲を、落ち着きたいときにはゆったりした曲をだなんて、誰でもそんなことは知っているのよ(^^;)。
そんな風にケチを付けていけばきりがないのですが、やはりNHKは無理にバラエティー番組なんて作らない方がいいですよね。出演者の田代まさしは、民放で見ていても食傷気味なのに、NHKでは更に寒いですから。
さて、本論に戻りますが、番組内で「いとしのエリー」に元気づけられたということが紹介されていました。まあ、それはそれでいいのですが、どうしてあの曲をわざわざクラシックの室内楽に編曲して聴かせるかなあ(^^;)。アレンジの違いによってテンポや聴いた感じも変わるし、言ってみれば全然別のものになってしまうことはよく起こること。例えば正月のデパートなどでかかっている、ビートルズの曲を琴で弾いているという奴なんか(^^;)、ビートルズファンとしたら、気が落ち着かないことおびただしいでしょう。モーツアルトの音楽にはこんな効果があるなんてことも、この番組では言っていましたが、テンポを早くしてテクノのパターンでアレンジしても、同じ結果になるかね(^^)。一時間半も見なくても、十分なのですが、細かくかみ砕いて見せるのがテレビという側面もあるわけで。まあ、こんなもんかなという感じではあるのですが。
- ETV特集 エイゼンシュテインとスターリン(NHK教育・99.1.21)
エイゼンシュテインとは誰か。ロシアの映画監督で、『戦艦ポチョムキン』を作ったといっても、わからない人はわからないでしょうね。知っている人も、「あれって、古いんでないの」と言い出す人もいそうです。戦艦ポチョムキンは、無謀な独裁者へ対する抵抗の物語です。彼は、社会主義革命が成功した祖国のために映画を作り続けたのですが、成功したかに見えた革命の後に座ったのは、またしても独裁者のスターリンだったのです。
スターリンは、将来的には自分の伝記映画を作らせるつもりで、歴史的にロシアを統一したイワン雷帝の伝記映画の制作を命じます。エイゼンシュテインも、三部作ということで承諾するのですが、プロローグである第一部は絶賛されたものの、イワン雷帝の孤独を表現した第二部は上映禁止の憂き目を見ます。ある日、スターリンから呼び出されて、エイゼンシュテインは、第二部の改作と三部までの完成を指示されます。しかし彼は、改作も新作も作らずに突然死去。いかに国際的とはいえ、一介の映画監督に過ぎないエイゼンシュテインが時の権力者・スターリンにふっかけた喧嘩ですよね。インターネットの掲示板などで糾弾されるのを恐れて発言しない人もいる今日、彼の戦う姿はすごい。まったく私も見習わなくてはいけません。ドキュメンタリーの中で紹介されていた彼の言葉で、印象に残った一言。
「すべてを知っていれば、事実を変えることができる」
まさに、言い得て妙ではありませんか。でもそのためには、誰よりも勉強していく必要があるのですけれど。私もまだまだですね(^^)。
- クローズアップ現代「見知らぬ相手となぜ・匿名ネットと若者」(NHK総合・99.1.18)
やはり、この話題については書かなきゃならないでしょう。番組で募集した「若者」の範疇には入っていない私ですが(^^;)、番組の感想などを書いていきましょう。この文章を読んでいる人の中にも、私のことを全く知らない人もいるかも知れません。でも、私はここでは本名で通しています。匿名でやってもいいんですけど、匿名というのは結構大変なんですよ。
こう書くと、匿名だから好き勝手にできるんだ何て思う人もいるかも知れませんが、一連の事件も匿名だからこそ問題が起きたのです。匿名はつかの間の自由とコメンテーターの人が言っていましたが、まさにその通り。匿名というのは自分の人格ではないわけだから、そこでいくら主張しても、それ以上にはなりません。お山の大将は、なっている本人は気持ちがいいですが、外から見ると情けないものです。いつでも勝手にいなくなってもいい関係というのは、自分からうち切れる自由もある反面、相手からもあっさりと関係を切られる場合もあるわけで、のめり込んでいくと思わぬ悲劇となります。
インターネットでも、それが日常になりつつありますがあくまで自分の生活の延長として私はやってます。技術は進歩しても、人間の欲求は限りがありません。インターネットは、そうした欲求を叶えてくれる打ち出の小槌のようではありますが、どこかに限界はあるのです。そうして起こった問題が、匿名の元に行われたとしたら、それは個人の問題ではなく、社会的な問題となります。個人的な問題だったら、せいぜい新聞の三面記事で紹介される程度でしょうが、社会的な問題となったらそうはいきません。このような番組が作られて、広く一般に知られることによって、新たな偏見が生まれてくるのです。
私は、ネットでの争いはあくまで個人的な問題にとどめておきたいし、ニフティやインターネットプロバイダを巻き込みたくはありません。そんなわけでの実名主義なわけですが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。そういう側面があるので、私は匿名で発言する際は、後々問題にならないように、実名で書くときよりも数倍気を使います。新聞の書名記事と無署名記事の差のようなものでしょうか。記者の名前が書いてあれば、文句はその記者に言えばいいけど、普通の記事だったら、その新聞社自体を訴えねばならなくなる。匿名というのは、そういうものなのですよ。
- 特捜!芸能ポリスくん(TBS・99.1.13)
田宮高麿、じゃなかった(^^;)、田宮二郎さんが司会していていた『クイズ・タイムショック』。一般から出場者を募り、そのレベルの高さは半端じゃなかった。いすに乗って高いところにあがり、一問に要する時間は五秒というんですから。この番組は、全くクイズの形式をこの番組から引き継いで、バカ芸能人全員集合というバラエティ番組に変化してしまいました。この種のクイズ番組を見ていると思うことに、こちらはCMの入る放送を見ているのにも関わらず、ギャラプラス賞金をなぜ出演する芸能人にやらなくてはならないのかということです。面白ければいいといういかにもテレビ的な番組づくりとも言えなくもないけど、一回見たら十分という番組でありますね。しかし、番組というのは理屈だけで割り切れるものではなくて、裏番組に面白いものがない場合などは、それなりに視聴率を稼いじゃうんでしょうね。別に見たくなくても流れで見てしまうというのはテレビというメディアの持つ恐ろしさであります。見る番組を選んで、テレビを見ない時間を大切にすることが大切だと言うことがこの種の番組を見るとよーくわかります。
- トゥトゥアンサンブル(NHK教育・99.1.9)
この、まか不思議な名前の番組は、リコーダーを中心にした合奏の番組らしいのですが、とんでもない人が出ていたのでちょっと紹介したくここに書きます。
まず男の子と一緒に出てくるのは、オカリナ奏者として知る人ぞ知る本谷美加子さん。実は彼女、このページのジャズのところで紹介しているアケタさんのところで作っているオカリナを使っているのですよ。だから彼女はリコーダーを持たずにオカリナで演奏しているようです。
あと、もう一人リコーダーでない笛で有名な男優と言えば、田中健さんですよね。彼はケーナをリコーダーに持ち替えて、女の子と合奏していました。しかし、何かあまりびしっと決まってない気がするのは私の気のせいなのでしょうか(^^;)。
- テレビが記録した知性 近代文学の意味とは(NHK教育・99.1.5)
テレビで文学が語れるかと、ここを読まれる方は思うかも知れませんが、確かに昭和初期から現代の大家まで細切れにしか登場しないのでそんな感想を持つ人もいるでしょう。しかし、作家が何を考えているのかはその人の書いたものを読めばいいので、ここでは話の内容には触れません。いかにもテレビ的だと思ったのは、この番組の意図は時代時代の作家の顔の特徴から文学の本質を語ろうとしているということです。これは、案内役の関川夏央さんのヒットでしょうね。確かに、時代時代の顔というのはあり、現代の作家が面白くないと感じるのは、私たちと同じものを食べ、同じような顔をしているからかも知れないと三島由紀夫氏の顔を見ていると思ってきました。志賀直哉氏なんて、どこかの道場で剣術指南をしている武士みたいな風貌で、現在の世界には絶対いなさそうな雰囲気ですからね。関川さんは、未来の文学者はここで取り上げたどんな顔にも似ていないだろうと言っていましたが、確かにそうかも知れませんね。最近は本を読む人より書きたいと思っている人が多いとのことですが、手っ取り早く有名になるためということではなく、特徴的な容貌を身につけることは必要ではないかとつくづく感じた次第です。でも、頭を丸坊主にしたりスキンヘッドにするのはもうやっている人がいるのでだめです。個人的に、出てきた多くの文豪の中では、普通のおばさんという感じがテレビの画面を通して伝わってきた幸田文さんがとってもチャーミングだったのが印象に残りました。
- 朝までミスタービーン(NHK総合・99.1.1)
年明け最初は、並み居る正月特番を抑えてコメディのシリーズについて書きます。人気のシリーズですが、なかなか通して見ることができなかったので、正月休みさまさまですね。基本的に最小限の言葉しか喋らず、表現力豊かな表情で笑わせるということで、よく考えて作ってあります。例えばこれが、何十年か経ったにしてもそれほど違和感なく見ることができるのではないでしょうか。マルクス・ブラザーズの映画と同じような感じです。逆に日本の喜劇というのは、世相を反映させたり、その場の雰囲気で作った喋りの芸だったりするので、長くは残っていかないのですね。古典落語のオチなども、現代の私たちからしたら、ほとんどわからなくなっていたりしますし。そんな笑いのお国柄の違いを感じることがなく、現代の私たちはすべてを飲み込んでしまっている感じがします。こうして、だんだん私たちは文化侵略を受けていくのですね。ドラマを見て笑ってばかりもいられないかも知れません。
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