2005年3月のテレビ

 

NNNドキュメント05 ニート〜 働けない若者の憂うつ 〜 (日本テレビ ・2005.3.13)

 ドキュメンタリーを撮るということは個人的に経験はありませんが、さまざまな映像化されたルポルタージュを見ていて、作り手の質が問われる場合が存在するのではないかと思う時があります。ほとんど私たちの目に触れないものについて取り上げる場合、だれもが注目する人物や事件を題材にする場合などは、それほど作り手が工夫しなくてもそれなりのものは出来てしまいますが、そうでない一般的な事柄について取り上げる場合、作り手の差が如実に現われてしまいます。

 今回取り上げる働かない人たち「ニート」についても、ニートのカリスマというようなものがいない以上、どういう形で切り込むのかによって評価が決まってくるように思います。もっとも、30分しかない中でどう視聴者の興味を(深夜とはいえ)引くのかといったことも考えなければいけないかも知れません。そこで今回の番組の制作側はどういうことをしたかというと、男よりも何かをしでかしそうな女性をメインにして、カメラの前で何かハプニングが起こるのを待つというような、ある意味実にやる気のない、いいかげんな手法で「ニート」という問題についてそれらしく語ってしまおうと考えたように私には見えて仕方ありませんでした。

 年老いた母親に月25万も仕送りをもらながら全く働けないというA子さん(番組では名前を出し、本人がネットで特定できるような形で紹介していましたがここではあえて名前は出しません)が、途中でディレクター陣にキレて、自分たちは安全なところにいてカメラの前の素人の醜態を画面にたれ流す……などということを喋りまくるシーンがありました。しかし彼女の言ったことは、なぜか昨年11月に彼女自身がキーボードで打ったと思われるインターネットサイトの日記の中にもありました。彼女は自作自演の劇団を主宰していて、その題名やポスターなどをサービス精神旺盛に番組では紹介していて、これも調べてみるとかなり大がかりに公演をやっている人であることがわかります。芸能プロダクションに籍を置いていて、東京だけでなく大阪でも公演を(もちろんお金を取って)やる人がどうして「ニート」なのか。後から聞くとこの女性は別のテレビ局のバラエティー番組にも出ていたそうです。

 つまり、あくまでもそれらしい「引きこもり」「ニート」を演じることによって、彼女も自分の名前を売る場を提供する駆け引きを番組製作者側はしたのではないかという疑問が出てきたのです。本当にニートに関する取材を行うならば、まずカメラの前に立ってもらうまでに相当の話し合いをして説得させることが必要になるでしょう。そうして出てきた人物を追い掛けるドキュメンタリーならそれなりの感動はあったのでしょうが、ある意味天下の日本テレビが芸能人志望の若い人にいいように利用されただけの番組だったのではないかと思ってしまいます。

 さらに言わせてもらうと、いやしくも取材対象者というのは、説得して出てもらうわけなのですから、放送後に何らかのトラブルが起きたとしたら、それは制作者側の責任が追求されてもしょうがないでしょう。インターネット上では日本テレビへの憤りよりも、むしろ出演した女性本人についての非難であふれています。所属芸能事務所の掲示板は荒らされ、よりによって本人が公演の問い合わせ先として携帯電話の番号をネット上にアップしていたようで、彼気にとっても今回の出演というのはとんでもない不幸への始まりになるかも知れません。番組の内容からこういう行動が起きるのは何よりも制作者側がわかっていたことでしょうし、少なくとも放送前に問い合わせ先の電話番号はネットから削除しておけとか、そういうフォローすらなかったということなのかも知れませんね。そうなると最悪、その彼女から訴えられても仕方ないような状況になるのでしょうか。こういうドキュメンタリーをきちんとやりたいのなら、少なくとも小川紳介氏など、先人のドキュメンタリーをきちんと見て消化してからやって欲しかったですが。作り手の質が悪くなるとこうした「ドキュメンタリー模造品」が多く生産されるのかも知れませんが、少なからずこうして声を挙げることで、変わっていって欲しいものです。

 


2005年のテレビへ

私のテレビ批評に戻る

ホームへ

ご意見、ご感想をお寄せください

mail@y-terada.com