2001年10月のテレビ
- ETV2001
「アフガン戦乱の30年を読む」(NHK教育・2001.10.11)
手っ取り早く歴史を学習するためには何がいいかというと、本を読むより人の話を聞くこと(^^;)。でもそういう人が身近にいない場合は、テレビで学習するのが手っ取り早い。ということで番組を参考にしてみることにしました。
元々アフガニスタンの地域は山に囲まれた交通の難所。アジアとヨーロッパを繋ぐ地域ということもあり、アフガニスタン民族とかいうものは存在せず、モンゴル系とかペルシャ系とか、多くの部族による連合国家であったわけです。その後、ザヒル・シャー国王が国民議会を招集、部族制からの脱皮をはかったものの、国王が国外遊説中に、ソ連の影響を受けたダウド王子をまつりあげる共産クーデターが起こることとなります。当時は東西冷戦と言って、米国とソビエト連邦の対立がありましたから、米国もソ連もアフガニスタンの国内紛争を資本主義対共産主義との代理対立という風に考えていたふしがあります。共産主義を基本にした当時の政府の政策に、部族主義・イスラム教徒が反発したのは、共産主義憎しということではなく、アラブの大儀・イスラムの世界観に反する者との戦いであったわけです。米国はそんな彼らに武器を送り、戦闘訓練を受けさせたのであります。イスラム教徒でサウジアラビアからはせ参じたビンラディンも、そうしたイスラム義勇兵の一人だったわけです。
内戦の激化とともにソ連がアフガニスタンに侵攻し、それに反対する意味で日本を含め西側諸国がモスクワオリンピックをボイコットしたというのは、今から考えると見当違いもいいところ。むしろ資本主義も共産主義もなく、イスラムという価値観と真摯に向き合わなければいけなかったのです。ソ連撤退のあといったんまとまったかに見えた共産主義への抵抗勢力ですが、部族や宗教上の立場の違いによってまた内線に。その状況を打破し、強い指導力を持ったのがタリバーンだったという。で、そのタリバーンに対して国内のもめ事が収まった頃を見計らうようにでてくるのが米国なのですね。タリバーンにとってはよけいなお世話だったでしょうし、自分たちの価値観を押しつけて、それが援助だというやり方が気に入らなかったということもあるのでしょう。ここにおいて米国とタリバーンの対立は決定的となります。
こう考えると、アフガニスタンという地域は、周辺の国々からいいように使われたというか、もう少しイスラムの事情がわかっていたらこんなことにはならなかったのではないかという感じもします。そう考えると、歴史を学ぶということは大切ですよねえ。今回はこの文章を書くためにメモをとりながら見てしまいました(^^;)。まるでテレビを見ているというよりも、学校の授業を受けているようだったりして(^^;)。
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