2001年6月のテレビ
- にんげんドキュメント
「光れ! 泥だんご」(NHK総合・2001.6.20)
まず最初に文句から書いてしまいますが(^^;)、ドキュメントの場合ナレーションと一緒に流れる音楽というのは結構重要のような気がします。この番組のテーマソングは加古隆さんの作品で、人間のやさしさというか、そんな感じを与える曲ですが、取り上げる題材によっては非常に違和感を感じるものでもあります。なにしろ、イメージが限定されてしまうのが音楽をかぶせるときの問題でしょう。今回のテーマはもっとあっけらかんと楽しみたかったのでつい愚痴が出てしまいました。
泥だんごというのは実に奥が深いものです。砂場の砂を丸めて並べているのだけがだんごではないのです。光るだんごというのはやったことがなかったのでなおさらでした。
たまたまこの番組の本放送の前に、民放の深夜番組で同じ泥だんごが取り上げられていました。それが、深夜番組中の深夜番組、やる気のないことには右に出る者はいないという『タモリ倶楽部』だったからわからないものです。あのいい加減なタモリさんが、最後まで熱中して何時間もだんごを光らせようと努力している姿こそ、だんご作りの魅力を雄弁に語っている証明ではなかったのでしょうか。
だいたいにおいて、子供の遊びというものは大人にとって退屈なものです。子供と遊んでいて、最初のうちは面白がって相手をするものの、時間が経つにつれ全く飽きずに同じ事を要求する子供に嫌気がさしたという経験を持っている人は少なくないのではないでしょうか。どうして子供は一つのことに熱中するのか。というか、泥だんごを見る限りでは子供も大人もそう変わらないような感じがしますから、何かそこを隔てているものがあるはずです。
結局、大人は学習をすることによっていろんなものの限度を知っているので、飽きてというより諦めてしまうのですね。でも、今の泥だんごの盛り上がりを見ると、大人でもちょっと、その限界というものが見えてきません。で、もっとうまく作ろうと熱中してしまうと(^^;)。なんといっても国内での第一人者である、今回出演した京都教育大学の加用文男教授でさえ、満足がいくものを作り続けているのですから。
今回の番組を見て思ったのですが、泥だんごによって私達の周りのいろんなものが見えてくるような気がします。泥だんごでさえにわかにはわからない奥義がありました。泥だんごでなくても、他に熱中できるものを大人も持っていいのではないか。子供さんがいる家庭では、一緒に楽しめるものであるのが理想ですが、くだらないと切り捨てる前に楽しいものを大人も探してみたいですね。(2001.6.21)
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