2001年4月のテレビ
- ETV2001
「ボスニア民族共生への道」1つの国家で2分割された3つの民族(NHK教育・2001.4.26)
日本の教科書問題も、この地域で暮らす人にとっては取るに足らない問題かもしれません。ボスニア・ヘルツェゴビナは、セルビア人勢力のセルビア共和国と、クロアチア人勢力とイスラム教徒勢力が一緒になったボスニア連合に分かれましたが、ボスニア連合の中でもクロアチア人の独立運動が盛んで、現地では小競り合いが続いているとか。つまり、この小さな地域には3つの異なる勢力が存在し、そこで使われる教科書は3つあり、歴史観もそれぞれ違うというわけ。
それにしても、『民族自決』という言葉が声高に語られ、米ソの冷戦崩壊後はあちこちで堰を切ったように火の手が上がりました。チトー大統領を指導者に据えたユーゴスラビア共和国もその中の一つで、それまでは共産主義の旗印の下に民族共生を教科書が教えていたのでしょうに、結局一代限りでは過去の怨念を消滅させることはできなかったということでしょう。
現地でのレポートでは、経済活動を通じて異なる勢力の人たちが手を結ぶ様子を紹介していました。その際に過去のことを話したり、政治的な話をするのはダメという決まりを作ったそうです。戦火で荒れ果てた都市の様子を見ましたが、怨念はあっても長く続く戦争によって疲弊し、平和を望む声というのは多いことでしょう。果たして平和は民族自決の手段以外には来ないものなのでしょうか。
はっきり言ってこういうときこそ歴史に学ぶべきでしょう。我が日本では室町時代後期から安土桃山時代というのは、現在のボスニアのような内戦が勃発していた時代です。京の都も焼け野原になったなんてこともありましたし、それが徳川時代が200年続くことによってあたかも日本はずっと前から単一民族国家だったかのようにまとまってしまいました(^^)。歴史に「もし」は禁物ですが、ソ連の崩壊がなければユーゴに限っては、日本のような国民意識というのが長い時間をかけて芽生えたかもしれません。ただ、悲観してばかりもしようがないですし、スタートの時点を決めて長いスパンで共生への道を考えなければどうしようもないでしょう。現実問題として、強制的な居住地域分割ということがあって、以前住んでいた自分の家に戻ることができないという問題が発生しています。民族自決して独立したらそれこそ、イスラエルとパレスチナのような泥沼の抗争に陥るような気もしますし、そのような選択は避けてもらいたいものでありますが。
- 水戸黄門スペシャル
(TBS・2001.4.2)
新しい石坂黄門様の記念すべき第一作目は気合いが入っていましたね。しかし、いつまで経っても旅に出る気配もなければ、印籠か出てきてみんながひれ伏す場面もなし。定番の時代劇を期待していた人にとってはがっかりしたかもしれませんね。
でも、あの黄門さま漫遊記はずっと後になってから作られたもので、以前のドラマの作りの方があまりにも史実を曲げすぎていたと言えるわけで。ドラマの中でふれられていましたが『黄門』と言う言葉だって、あれは朝廷から授けられた『中納言』という官位の別名であり、初期のドラマでは『天下の副将軍』ではなしに『さきの中納言』と言っていたのですから、そういう細かいところをしっかり押さえたところには今後のドラマの波乱に満ちた展開を予想させます。
細かいところはいくらでもあるのですが、今回注目しておきたいことは、以前のドラマでは五代将軍綱吉のことを周辺の側近に騙されていると寛容に見ていたのですが、このドラマではれっきとした敵役です。これも現在の自民党批判、首相の森批判と関係があるのかもしれませんね。ドラマのようなしっかりした人物に国政を助けて欲しいという想いを今後具現化する作りになってしまうかもしれません。
今後は印籠を出す場面を出さない回もあるということですが、実際のところそれで視聴率がどのくらい伸びるのか。以前にも戦略的な時代劇の試みがなされたことがありましたが、ことごとく失敗しているのが気がかりではあります。でも、以前のような諸国漫遊を繰り返しているとネタが堂々巡りになるのは避けられず、それを打開するためには黄門様一行の乗った船が嵐で難破してハワイに着いたとか(^^;)、そういう突拍子もない発想しかなくなりますからこれはこれでやるしかないのでしょう。とにかくこの、新しい黄門様にはしばらく注目してみることにしましょう。
2001年のテレビへ
私のテレビ批評に戻る
ホームへ
ご意見、ご感想をお寄せください
mail@y-terada.com