2001年1月のテレビ
- 知ってるつもり!?
「盲目の旅芸人101歳最後の瞽女(ごぜ)…小林ハル」流浪50万キロ魂の三味線(日本テレビ・2001.1.28)
世の中の人たちは瞽女{ごぜ}と呼ばれる目の見えない旅芸人のことはほとんど知らないに違いありません。で、最後に残った瞽女・小林ハルさんが101歳の今も健在と聞くとびっくりするという、作り手の狙いはそこにあるのでしょうが、私としてはどうして人間国宝に指定されるような芸を歌舞伎のようにどんな形であれ受け継がせる方向に行かなかったのか、そちらの方に興味が向いています。
瞽女たちは農閑期の農村を廻り、民家に門付けなど、傍から見れば物貰いのようなやり方で旅をしていました。そこには、目が見えなかったり弱視だったりした女性は農村の働き手として役には立たないから、三味線と歌を覚えさせ、自活の道を歩ませるという、ある意味では合理的な流れがありました。ここで私たちは、芸と労働ということについて考えることができます。労働歌として生まれた歌は芸能とは言い難い気がします。働くつらさをいくらかでも和らげようと歌の持つ特質に注目したもので、それは芸能というよりも庶民の生活の知恵でした。そうではなく芸事を専門にやるという輩は、瞽女の場合目が見えないという理由で働けず、その代わりとして働く人たちを喜ばせ、そこから食料やお金を貰っていたということになります。
歌舞伎は江戸時代から都市で興行されるこの世の花で、それとは反対に瞽女歌は山村を細々と廻り、また小林ハルさんがやっていたようにひなびた湯治場で披露されるに過ぎず、新しいメディアが山村まで入り込むことによって、急速にその需要が失われていきます。決定的になったのは昭和39年の東京オリンピックを頂点としたテレビの普及でした。外に出られない雪の夜でもテレビからきれいに着飾った歌手がオーケストラをバックに流行歌を歌っています。そんなときに三味線を持って歌う瞽女の歌を誰が聞こうと思ったでしょうか。残念ながら小林ハルさんの前に瞽女歌の名人がいました。彼女の死によって瞽女歌はもう再生することが難しくなってしまったのだと聞いたことがあります。たとえ小林ハルさんが今歌ったとしても全盛期の歌声には程遠いし、もっとうまくてその技術を伝承すべき歌い手はすでにいないのですから、今の小林ハルさんの弟子がいても、形式的に歌をなぞるだけにしか過ぎません。幸いなのは、消えかかる寸前の記録が残っていることでしょうか。でも、記録したとしても肝心の芸人が残っていないというのは、絶滅してしまった動物をビデオで見るようなものです。テレビが瞽女を取り上げるということなら、そういう伝承の消滅とテレビの関係について何らかの意思表示があってしかるべきであったと思います。
もはや絶滅している瞽女の姿を見て思うのは、今の世の中でも知らないうちに消えてしまういろんなものがあるのだということですね。特に形として残らない伝統工芸とか、方言なんかも最たるものでしょう。できることならこのインターネットというメディアが、そうしたものを潰すのではなく、何とか再生させるような方向に何かできればと思うのですが。
- にんげんドキュメント
「闘いはこぶし一つ」ボクサー徳山昌守の挑戦・世界王者を支える家族愛(NHK総合・2001.1.18)
ドキュメントの面白さというのは、対象へのアプローチの仕方にあると思っているのですが、今回はそれ以上に対象である徳山昌守さんのキャラクターがよかった。先日ニュース番組にゲストで出たときも、自分は全然喋らないと断りつつも、非常によく喋っていました。
徳山さんを語るときにはどうしても在日朝鮮人としての存在がクローズアップされます。この番組でもそうしたアプローチがされているのですが、カメラの前でも屈託なく自分を押し通す徳山さんの姿を見ていると、別に朝鮮人だろうが韓国人だろうが、日本人だろうが関係なくなってしまうのですね。昔のように、日本対外人という構図で盛り上がるという感じでもないですし(個人的には)、いいファイトをする選手を応援したいなと改めて感じさせてくれました。
次回の防衛戦は、ピョンヤンという話もあるようですが、政治的にその立場が利用されすぎて、選手生命が脅かされるようなことは止めて欲しいですね。実際、ピョンヤンで開催することで金銭的負担から開放されるとか(過去二回の世界戦では、大量のチケットを自分たちが売ることで経費を捻出しなければならないというジレンマがある)、あればいいのですが、今の状況ではそういうことも難しい気がするし。それよりも、ファイトマネーをチケットで払うような興行の仕方を早く変えていかないとと思うのは私だけでしょうか。
- ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート (NHKBS2・2001.1.1)
音楽と季節感ということで言うと、ベートーベンの第九交響曲合唱付きを聴いてもあんまり実感はないのですが、ここ数年ウィーンから生中継されるニューイヤー・コンサートを聴いていると、年が改まったんだなあという気になってきます。これは必ず最後に演奏されるヨハン・シュトラウス父の『ラデツキー行進曲』のせいでしょう。
最近ではなぜかバラエティーの『明石屋マンション物語』のテーマソングになってしまったので季節感もなくなってしまったのですが、やはり満員の観衆の手拍子で聴くのが毎年のことになってしまったのでこれを聴かないと正月になった気がしません。
今年は指揮に、ニューイヤー・コンサートは初というニコラウス・アルノンクール氏ということで、どういうラデツキー行進曲になるかと期待していたのですが、やってくれました。
観衆の拍手というのは、結構演奏者にとって厄介なものです。すべてがそうだとは言いませんが、曲の状況をわからないでいきなり大きな音を出す輩や、ここはもっと盛り上げて拍手しようと思ってもなかなか盛り上がらなかったりといろいろあります。
これは私の持論ですが、何も演台に立って演奏している人たちだけが音楽を作っているのではありません。積極的に聴き、さらには演奏者の潜在能力を引き出すのが演奏会に出席した聴衆の義務ではないかと。ですから拍手というものはそうした演奏者とのコミュニケーションのためにはこの上なく重要なものです。特に毎年手拍子の渦の中で演奏されるのですから、いったい指揮者の方でラデツキー行進曲をどう料理するのか、興味を持って見ていましたらニコラウス・アルノンクール氏は、なんとくるっと聴衆のほうを向き、手拍子の強弱や頃合を指揮しだしたのでした。聴衆もそれに応えてメリハリのついた手拍子を打ち鳴らし、感動的にニューイヤーコンサートの幕は降りたのでした。
こういう演奏会に行ける人たちは幸せです。日本の演奏会(クラシックだけにあらず)でも演奏者の方で積極的に聴衆と音楽を作っていこうとする人がもっと増えれば良いのにと思います。
それから、最後に一言付け加えですが、同じコンサートは衛星放送だけではなく教育テレビでも解説付きで放送されていました。しかし、音の質というかBモードステレオの音質というのはすばらしいものでした。こういう部分だけ見るとデジタルの衛星放送のアドバンテージがあるのですが、果たして今後どうなりますか。
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