2000年11月のテレビ
- 地球時間
「救出は不可能だったのか・ロシア原潜”クルスク”の惨事」(NHK教育・2000.11.17)
以前はその名の通り『海外ドキュメンタリー』という番組ではなかったでしょうか。ロシアの潜水艦の痛ましい事故について、ノルウェーのテレビ局が実際に潜ったダイバーに取材し、その際の改定の映像を織りまぜながら、全世界に配信された画像で謎の看護婦に注射を打たれ気を失った遺族の母親がメインで登場していました。
一説では彼女は精神を病んで、精神病院にいるという情報を日本のマスコミでも流していましたが、番組での冷静な受け答えを見る限りではそんな感じは全くありません。更に、あの抗議をしたときの事で、あの時にヒステリックに騒ぐよりも、最高責任者の胸の飾りを引きちぎってやればよかったと悔やんでいました。そこまで過激な事を喋った彼女ですが、例の注射を打たれた事については『夫が自分の体を心配して、看護婦に頼んで打たせた』と、何とも歯切れの悪い答えでした。まあ、そうした説明をする事がノルウェーのテレビに出演する、ロシアから提示された条件なのかもしれませんが。結局その家族は、救出活動に当たったノルウェーのダイバーと会い、最後にはお礼を言って別れたところでメデタシとはいかないまでも、まとめにはなっていたのですが。
それにしても、この番組で見た映像は初めて見たものばかりで、日本での報道は細切れになったためか、実際問題潜水艦の中はどうなっていたのかとか、救出作業はどのように行われたのかということについてはほとんど見ていません。衝撃的といえば、船で現場に着くまでには3日という時間があるにもかかわらず、潜水艦のハッチを開ける事ができず、結局そのための工具を新たに溶接して作ったりするなんてのはすごい絵でした。まあ普通ならロシア政府何をやっているのかという感じを受けるのですが、私はそれよりも、機密をぎりぎりまで保持しようというロシア海軍の執念を感じましたね。今回の番組では遺族の中にスポットを当てたのですが、遺族の感情の昂りはわかるものの、そうした感情に流されず考える事も大切ではないでしょうか。。
こうした事故で命を落とすという事は軍人となり、潜水艦に乗るという事になれば覚悟をしなくてはならないし、人の命よりも軍の機密を守るというのは、その威を誇示したいロシア軍としては常識的な対応で、もしノルウェーの軍の機密が世界に向けて開かれそうになったときには、同じような事をやるかもしれません。それが戦争であるし、戦争のための軍隊なのですからね。今回の遺族の住む町は、町に入るだけでも調べられるような軍人の家族が住む町らしく、住民は今までのそうした生活に違和感はなかったのか、当然長引く不況で公共事業的に緊張を作り出し、そうした流れに載って軍隊という仕事にありつこうとした庶民もいたはずで、そういう計算もあったのではないかと突っ込んでくれればよかったです。ということで、海外のドキュメンタリーにまでダメ出しするようでなんですが(^^;)、遺族の心情にもう少し迫って欲しいような気がしましたが。
- そんなに私が悪いのか(テレビ朝日・2000.11.13)
先週から始まった討論番組バラエティ。古舘伊知郎さんが司会をする番組ではこれがダントツに面白いのではないでしょうか。出演者の人選が面白いのは分かりきっているけど、この番組を作っている前提には、今のテレビ番組の枠組みを外れた面白さがある事は確かです。
例えば今回の放送で俎上に載せられた三田佳子ですが、同じ局のワイドショー枠ではボロボロに貶しているのに、ここでは逆に擁護してますからね。それがテレビ的だといえば正にそのとおり。でも、正面切っての批判とか敢えて擁護するというスタンスは圧力をかけられやすく、今までこうした番組は成立しなかったのでしょうが、やはりこれもインターネットのおかげかなという感じもするのです。
インターネットは便所の落書きという人もいますが、たとえばこの人は実はテレビで報道されている様な人ではないとか、そういう事も多く書き込まれています。その多くはガセネタでしょうが、普段外に出てくる事のない内部の話が漏れる様な事も多くありますし、完全に情報をシャットアウトできないなら逆に面白くしつつ編集し(実はここが重要だったりする。一種の自己規制ですね)出してしまおうじゃないのというのがこの番組なのかなと。
番組の内容についてはそんな事ですが、司会の古舘伊知郎氏の煽りにも今後は期待したいですね。テレビ朝日は久米宏の後任に彼を考えているのかなと番組を見ていてふと思ったりして(^^)。
- スーパースペシャル’00神秘と怪奇の謎を探れこの先撮影禁止…の先
(日本テレビ・2000.11.11)
引田天功のイリュージョンから、ミステリーサークルまでその謎の究明に着手したという以前スペシャル番組で一世を風靡した日本テレビらしい番組でした。そのなかでも大変興味ある題材とコメントがありましたのでここで紹介しておきます。
明治から大正期の日本において、『千里眼騒動』というものがありました。自分は超能力者であるという人たちの能力を科学者たちが立ち合ってその真偽を問うといったものですが、当時から手品の域を出る事はありませんでした(つまりインチキだったという事)。そんな中、念写成功例として紹介されたのが高橋貞子という人物が『妙法』と言う文字を今の印画紙と同じ仕組みの薬品を塗ったガラス板に浮き上がらせたというもの。当時東京帝国大学にいた福来友吉氏が実験を主催しました。番組で紹介された念写のようすをここに再現してみますと、まず、念写実験を行うとの貞子側の告知があり、福来氏が準備に入ります。ガラス板を厳重にくるみ、三枚を箱に入れて紙で封をします。封をしたところには自分の名前を書き、外部から手を着けられない様にして更に木の箱に入れました。その木の箱を信頼すべき書生に番をさせ、午後8時過ぎから実験が開始されました。監視役には文学者2名、彼らは貞子が箱に頭を押しつけ念写しているとき、また暗室にこもって文字が本当に浮き上がったかを確認するとき、福来に立ち合っていました。結果見事『妙法』の文字がガラス板から現れたのでした。
このVTRを見たゲストたちの反応は、この念写する文字を決めた経緯の疑問でした。実験開始の少し前、貞子が襖に『妙法』という字が浮きでていると言ったので、福来は念写の文字をそう決めたとの事。ゲストの吉村作治氏は、学者というのはなかなか思った様な成果が上がらない様な場合は思い余って何かしてしまうかもというようなことをコメントしておられましたが、恐らくこの収録は例の原人騒ぎを捏造した神の手を持つアマチュア研究家の嘘がばれる前だったのではと想像します。まさしく、現代の『神の手』になぞらえてみるとこうした超能力の正体というものがわかってくる様な気がします。
ここで、この番組を見た人たちのために(^^;)ちょっと補足しておきますが、この福来博士は理系の学者ではありません。当時、変態心理学(現代の感じでは異常心理学といった方が適当かもしれません)を研究し、それに関する論文を書いていた人だったのです。貞子の実験の前にも福来は御船千鶴子、長尾いく子という自称「超能力者」の力が本物であることを実証しようとしてさまざまな実験を行っています。自分が立ち合って彼女らの能力に自身を深めた福来は、名だたる帝大の教授たちを集めて改めて実験を主催しました。しかし、そこでの実験は超能力者と福来が結託しているのではという疑念を疑わせるに十分の結果となってしまったのです。新聞でもこれらの力は詐欺だという論調で報じられ、その後、精神的に追い詰められたのか御船千鶴子は自殺、長尾いく子はインフルエンザによる肺炎でこの世を去りました。そうした騒ぎの責任をとって福来は東京帝国大学を退官。その後の実験が高橋貞子の念写だったというわけです。
後がない研究成果の発表という事を考え、今回テレビで放映されなかった福来の超能力者に対する思い入れと、過剰とも思える協力の仕方。そこら辺を考えればすでに答えはでますね。テレビというものはこうした事実を時間の制約という都合のいいものによってひた隠しにし、この件では小説『リング』の貞子と結びつけて(事実、貞子のネーミングはこれら大正期の超能力者から取られたそう)神秘的なイメージを作り出す事に成功しています。これをトリックとしてみれば、非常に古典的ながら絶大な効力を発揮します。まさか実験の主催者がインチキに加担するとは思わないでしょうから。
- 日本温泉旅館大賞(TBS・2000.11.10)
温泉旅館について書きたいことはいっぱいあるのですが、とりあえず今回の番組の感想を通していくつか書いていきます。
まず、温泉旅館というのはなにをしに行くところかということ。もともと温泉といえば湯治場であって、体を癒し、直す事にその目的はありました。農業で疲れた体をいやすために、長い期間逗留する事で翌年へ向けての体力を養うというか、基本は生活用具持ち込みの安宿というのが多かったのですね。
それが長い事逗留ができなくなってくると、その分部屋の作りを豪華にしたり、食事にも思いっきりお金をかけ、多額のサービス料をとる事によって宿泊客の満足度を引き出す今回ノミネートされた様な一泊3万円前後の高級旅館が注目を集めてくるというわけです。しかし、ああした旅館は庶民にとっては高嶺の花ですね。年に一回は行けるかもしれませんが、個人的にはそれだったら一泊1万円の宿に3回泊まる方を選ぶでしょう。まあこれは庶民の負け惜しみにすぎないので、聞き流していただければ結構です(^^;)。
私が問題にしたいのは、今回強調されている様な宿のサービスを値段で捉える手法についてです。特に旅館の場合、例えば一人で泊まるときと複数で泊まるときでは一人で泊まるときの方が値段が高い。更に、利用率の少ない平日に比べて時には満室の場合がある休前日の料金、更に言うと正月・お盆料金はおしなべて高いという。実際問題として混んでいるときは空いているときよりもサービスの提供を受けにくいというのはほとんどの方が感じている事だと思います。誕生日にプレゼントを贈るとか、化粧品にはシャネルを新品で置くとか(^^;)、そういうものだけがサービスではないはず。盆・正月でも普段と変わらないサービスを提供できるのなら別ですが、忙しさにかまけて平日の様なサービスは提供できないというのなら、どうして割り増し料金を取るのでしょう。そうした料金設定の仕方は、館内にある自動販売機の価格にも似ています。今は飲み物などどんどん持ち込んでいる人が多いのも、そうした二重価格に宿泊者が毅然と拒否をしているのではないかと思うのですが。
先日ラジオを聞いていたら、有馬温泉の旅館の一つでは素泊まりで5千円前後、二食付きで1万円前後の料金設定をした旅館が人気を集めている様です。景気も持ち直したのか不確定な今、本当の旅館大賞は安くてもいいサービスを提供してくれる、今回受賞した旅館とは別の旅館であるという気がしてなりません。むろん、そうした旅館はテレビで2時間かけて宣伝しなくても十分経営は成り立つでしょう。バブルの時期ならまだしも、私には単に絵に描いた餅を視聴者に提供しただけではないかなあと思えるのです。
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