2000年9月のテレビ
- シドニーオリンピックサッカー『日本対ブラジル』(2000.9.20)
シドニーオリンピックのサッカーは、日本が無事に予選を突破し、決勝トーナメントへ進出したのですが、これはやっぱりすごいことなのですね。他の進出チームをみても、アジアのチームは日本だけで、アメリカをのぞけばほとんどがワールドカップ出場常連チームで占められていますからね。本当に、ブラジルが南アフリカに負けることがなかったら、私もこんなに心配することはなかったのですが、ただ本気のブラジルとやってもなお決勝トーナメントへ進出できたという(本気ならなかなか勝つのは難しいですね、やっぱり)、今後の日本チームを考えたときにむしろメダルより尊い経験ができたといえるでしょう。
というわけで、今回のブラジル戦を冷静に分析してみます。後半0対0だったのは前半にブラジルが点を取ったことで、少なくとも日本に点を入れさせない形にしてきたのだろうと思います。ですから、後半は特にフリーキックとかコーナーキックというセットプレイしかチャンスがなかった日本は、まだまだブラジルとの間には地力に大きな差があったということでしょう。ただ、今回出場停止で出ることができなかったローマの中田が出場していたら違ったかもしれません。今回中田は不調で、前の試合でもいいプレーができなかったと評している人もいますが、やはりあのチームは中田のチームです。前の二試合はボール回しに困ったらまず中田にパスを出していたではありませんか。イタリアのプロリーグならそんなに頼られることはありませんのでもっと創造的なプレーができると思いますが、いろんなとこから頼られて、そんな中で多くのプレーをこなさなくてはならないということになればミスも出るでしょう。今日のブラジルの試合にはそんな頼りになる選手がいなかったことで、パスを取られたり、浮き足立つ場面が目立ちました。それでも失点しなかったのはそこそこバックラインが機能していたということなのでしょうが、やはり中盤でキープできるプレーヤーをちゃんと置かないと、中村のような前線にパスを出せる選手が生きてきません。プレッシャーに負けずにしっかりとキープできるような選手を育成させるためには、やはり海外の一流クラブでプレーする必要があります。決勝トーナメントはぜひ一つ勝って、海外のクラブにアピールするプレーが欲しいですよね。今回のようにたとえ中田が出場停止や怪我に見舞われても、他の選手でも十分対応できるようなキープレーヤーをあと2、3人作れれば、日本のワールドカップ決勝トーナメント進出も現実味を帯びてくるような記がするのですが。
今日の試合で目に付いたのは、双方の選手の消耗ぶりでした。やはり全力でぶつかるとその消耗度は並大抵のものではないということですね。今回はブラジルも消耗してくれて助かりましたが、そうでない場合はガードが下がったボクサーのようにめった打ちに遭うということになります。日本が準優勝した世界ユース選手権でもポルトガルとやった時はそういう状態になって、やっとのことでPK戦に持ちこんで勝ったのですが、PK戦はあくまで時の運でありますからね。今後のトーナメントはとにかく負けたら終わりですから、集中力を保って上位進出を狙って欲しいものであります。さっきその組み合わせを見たら、一番恵まれているのではないかと思えるような形でした。でも、最初の試合のアメリカに勝たないとまったく意味がないような気がしますが(^^;)。私が考える最高のシナリオは、準決勝でイタリアでもスペインでもいいからいい試合をして、向こうのクラブのスカウトに好印象を与えるプレーをして、実際にプロ契約を結ぶ選手が何人か出てくれればということ。それにしてもうまい具合に地域が分かれましたね。ヨーロッパ・南米・アフリカが2チームずつ、北米とアジアが1チームずつの計8チームですからね。メダルの行方というよりも、この年代の世界勢力図にも注目して今後の展開を期待したいと思います。
- クローズアップ現代
『あなたは捨てる派?捨てない派?』(NHK総合・2000.9.4)
かくいう私の部屋にも物があふれているのですが、一体何が悪いのかと開き直ってみます。捨てる技術という本がベストセラーになっているということですが、これはもしかしたら古本屋さんの陰謀かもとつい裏読みしてしまう私ですが(^^;)、問題なのは自分でいらないと思いつつもらってきてしまうものではないでしょうか。
ためるのが嫌なら部屋に持ち込まないこと。私のようにため込むのが好きな人はそうした流れに安易に流されてはいけません。でも今後は書類を電子化するとか、写真もディスクの中に入れてしまうとか、そうすることで捨てることが可能になる部分があるかもしれません。しかし、いくら時代が進化しても物の質感というか、その物自体が放つ魅力という物は存在します。捨てるということはそれだけ失われてしまう危険性が高いということも言えます。あと100年経ったとして、資料として読みたい人がたくさんいる本がそれまで残るという保証はどこにもありません。昔のように蔵があってそこに保管できるわけではありません。捨てるのではなくリサイクルして欲しい人にあげるというのは賛成ですが。今はゴミでも将来的にはお宝になる物というのは、私の家にはないかもしれませんが(^^;)、絶対あると思いますからね。
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