三日目(11月4日)

 

 この日は、夜から島唄(沖縄民謡のことね(^^)。決して特定の曲名を指すものではないのだ)のコンサートがあるため、午後くらいまでの観光となります。ホテルを出、とりあえず朝食へと向かったのは沖縄にしかないハンバーガーを中心としたファーストフードショップA&Wへ。ここでは名物のルートビア(薬のような味がする独特の飲み物)がジョッキで飲めるのですが、私はちょっとというかだいぶいけません(^^;)。チキンが大きいバーガーのセットを頼んで、一日の計画を練ります。さすがに観光地のような場所を全然回らないと言うのも勿体ないので、平和記念公園のある摩文仁の丘へ行こうと車をむかわせました。

 こちらは、隣接する資料館の屋上から見た景色です。平和の礎と呼ばれる黒石が整然と並んでいます。ご存じの方も多いかもしれませんが、沖縄戦で犠牲になった人たちの名前が記されています。広島とかと違うのは、日本の全都道府県だけではなく、朝鮮半島の人たちも国別に記されていますし、アメリカ兵の名前もあります。一番名前の多いのは沖縄の人に違いありませんが、全国各地の都道府県のところに名前が記されている場合、仕事とかで沖縄に来ていた場合もありますが、その多くは沖縄守備隊として兵役できていることに注意してください。平和資料館の住民の証言のコーナーでは、そうした守備隊の兵隊達が、沖縄住民に対してとった非礼の数々が生々しく語られています。戦争で恐ろしいのは戦闘そのものであることはもちろんですが、沖縄戦というのは本土決戦の前哨戦として無理に続けられたような経緯があるので、住民を巻き込んだ軍隊の横暴というようなことが目立っています。戦争の悲惨さというのは、戦闘員だけでなく非戦闘員を巻き込むようになって顕著になっていくのですが、今回、資料館の展示を見て感じたのはまさにそんなことでした。現在でも世界のどこかで紛争というか戦争が続いているのですが、雌雄を決したいのなら戦闘員同士が非戦闘員とは関係ない場所で思う存分やってくれればいいのにと思います。血は流れないものの、経済封鎖というのも非戦闘員に影響を与えるという面ではあんまりいいものではありませんよね。

沖縄の炎 さて、ずっと下に降りてきまして、円形広場の中央で静かに燃えている炎にカメラのレンズを合わせてみました。手前の池の図柄を見てください。日本列島の上が朝鮮半島。そうです。この池自体が世界地図を表しています。そして、この炎の位地が沖縄というわけ。この炎が碑に刻まれた数多くの人たちの魂を沈めているかのような感じも受けます。

 実を言いますと、私は先にこの平和の礎を見てから平和資料館に入ったのですが、今にして思うと先に資料館に入って状況を見てからしみじみと周辺を回った方がよかったのかなと思います。もっとも、じっくり事前にいろんな事を知っているのならいいんですが、結局のところ当日朝までどこへ行こうかといろいろ迷っていたんですからねえ。でも結局、沖縄観光の定番、ひめゆりの塔には行きませんでした。車で前は通ったんですが、沖縄へ行って一番観光地化された施設というような感じで地元の人が観光客を受け入れているような気がして気分が萎えてしまったという(^^;)。個人的には、確かに悲しいお話があって、戦争の悲惨さというのを感じさせてはくれるんですけど、特定の人たちを祭り上げるような施設よりは今回訪れたどんな人たちも区別なく同じように祀っているところの方がより深く感じられるところがありましたね。

激戦の跡 最後になりますが、公園から今度は海の方を見てみました。ということは、このがけの狭間にできた洞窟に多くの人たちが立てこもって、アメリカ海軍の艦砲射撃や火炎放射器の攻撃を受けていたと言うことになります。その場に立った時は波も穏やかで、ここで戦争があったのかとはにわかには信じられませんでした。これが当たり前に感じられると言うことは幸せなことですが、いつまた状況の変化により争いに巻き込まれないとも限らないと言うのはここのところの社会状況に置いてはどうしても感じてしまいますからね。

 その後ですが、那覇空港まで友人を迎えに行き、沖縄市で行われた島唄のコンサート、歌い手としては沖縄を代表すると言われた嘉手苅林昌さんの追悼コンサートへ。当日は沖縄全島をあげてのイベントの最中であるにもかかわらず、会場は満席でした。十分に楽しんだ後、現地コーディネーターの友人に連れられて、夕食から飲みに連れて行ってもらいました。那覇の有名なステーキハウスでオーストラリア産の牛肉を食べましたが、肉の質はともかく、味付けというのはステーキソースが置いてあるのですが、これが私の舌にしてはちょっとくどい(^^)。あるものは何でも使おうと思ってついソースをかけてしまったのですが、今から考えるとシンプルに塩胡椒でよかったような感じがしました。

 その後、とある民謡スナックで飲み会に入りましたが、店が終わりになる午前3時まで飲み続けてました(^^;)。友人がキープしてある泡盛を途中から飲ませてもらったのですが、これが最初に飲んでいたものよりも癖がなくて、ほんのり甘くてペースが上がり気味に。友人は別に出し惜しみもせず、どんどん飲ませてくれたのでその時はそんなに感じなかったのですが、帰ってからインターネットで調べてみるとこの泡盛、大変なものであることがわかりました。本島からさらに南に波照間島というのがあるのですが、ここの酒造場で作られている「泡波」という泡盛が今回飲んだものでした。島では普通に飲まれているらしいのですが、そのほとんどが島で消費されてしまうと言うことでなかなか入手できないことからどんどん値が上がり、普通では入手できないか、売り手の方でとんでもない値段が付いている場合が多いようです。600ミリリットルの瓶が7,000円とか(^^;)、一升瓶になると20,000円とかインターネットで見ただけですが、そんな値段が付いているのです。

 しかし、いくらまろやかで美味しいと行っても、新酒でこれだけの値段を出す気には私にはなれませんね。泡盛のような蒸留酒は、長く貯蔵することによって次第にまろやかになっていきます。以前沖縄に行った時に、これは別の友人から12年ものの古酒をいただきましたが、これもかなり美味しかった(^^)。それでも値段的には3千円もしなかったといってました。お酒の値段といえば、日本酒では新潟の越の寒梅や雪中梅が一升瓶で1万も2万もする場合がありますが、これも新酒の価格であるわけで、今回の泡盛の場合と近いように思います。でも、今あげたお酒が自分の口に合うかというと、必ずしもそうではないと言う。やはり地元のお酒屋さんを丹念に回って、自分の舌で感じた美味しい泡盛を購入するというのがいいと思います。

 というわけで、最後はお酒の話になってしまいましたが、長々と書いてきた沖縄旅日記もこの辺でおしまいにします。次回は本島を飛び越して、離島に出かけてみたいですが、それまでに渡航費用を貯めておかないといけないでしょう。


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