蛸の八ちゃん(田河水泡・昭和六年)

 

 田河水泡と書いて、たがわ・すいほうと読むというのは最初の作者の意図からはちょっと違ったらしいです。本名は高見澤さんと言いまして、『たか・みず・あわ』と一つずつの読みを分解したペンネームが読みやすいように読まれてしまったという。このことに限らず、田河水泡さんは相当に進歩的な考えを持っていたということを押さえておきましょう。

 そもそもこの方は漫画で世に出ようと思っていたわけではなく、絵画の世界にしばらく身を置いていました。どういう感じの絵画を書いていたかというと、のらくろに代表されるようなほのぼのとした画風ではなく、当時の最先端である前衛芸術のグループにいたのでした。村山知義が代表でいた芸術集団MAVO(マヴォ)に参加し、活動していたということで、そうした行動の裏には大正デモクラシーの流れによる自由への憧憬があったのかもしれません。それが、案外この人の作品を論ずるときに大切なことだと思うのです。

 もちろん、田河水泡の代表作は『のらくろ』ですが、今回俎上に乗せようとするのは別の作品『蛸の八ちゃん』です。のらくろの方は兵隊を主人公にしたばっかりにどうしても時局に合う作品にしなければならず、作者の葛藤が垣間見えてしまうからです。それでも、のらくろの歌で『末は大将元帥か』と歌われ、少年少女たちがそう期待したにも関わらず、のらくろは大尉まで昇進したところで除隊し、大陸の開拓に方向を転換させ(満州開拓団であることは自明のこと)物語を展開していきます。兵隊を続けるのも、ほぼ植民地とした大陸へ開拓に行くことも変わらないではないかと思う人もいるかもしれません。しかし、大陸へと開拓に乗り込むというのは、ちょっとニュアンスが違うのではないかと思います。ただ、そこら辺のことについて話すと当時の状況から論を進めなければならなくなってしまいますのでここでは語りません。でも、のらくろに軍人としての生を全うさせたくなかったということが田河水泡さんの意図するところであったでしょう。

 今回紹介する『蛸の八ちゃん』は兵隊とは関係ない、蛸の社会の話です。海の底から抜け出てきた八ちゃんは、蛸より人間の生活にあこがれ、作者の元を訪れ、人間に書き直してもらおうとします。しかし、作者はそれに異を唱え、自分の服と靴を与え人間のように暮らしてみなさいとけしかけるのですね。仕方なく八ちゃんは仲間を集め、お金儲けを考え、住むところを確保し、自分たち独自の生活を始めます。

 作者が八ちゃんを人間に書き直さなかったのは、隠された理由があると私は考えます。蛸の社会では一応八ちゃんを中心にした階級社会のようなのですが、八ちゃん自身失敗をしては若い蛸にこっぴどくしかられたりします。また、本来なら教育してやる子蛸とレベルが変わらなかったりして、蛸の世界の代表者たる威厳はありません。逆にこれが描かれた昭和初期の日本を考えてみると、きちっとした階級社会ができあがっていて、それに下の者が異を唱えようものなら、容赦ない制裁が加えられたことでありましょう。作者は人間の社会の物語にしなかったことで、当時の日本の社会・学校における息が詰まるぐらいの空気を公然と批判したと捉えるのが今となっては自然ですが、当時はこのような読み方をした人はほとんどいなかったのでしょうね。

 八ちゃんの作った社会は上下の区別なく、自分たちで生活の糧を稼ぎ、自己所有するのはせいぜい饅頭ぐらい。同じように共有財産を持たず、自分たちで日々の糧を稼ぐ理想郷を作ろうとした白樺派の『新しい村』に似ているようですが、そうした影響もあったに違いありません。

 理想といえばそれまでですが、ここで描かれる社会に近づくように人間社会もできないものですかねえ。結局、作者がこの作品の中に詰め込んだメッセージが意図するように届かなくて、漫画を描く前に新作落語の台本を書いていたという作者独自のユーモア感覚に煙に巻かれてしまったというのが当時の状況だったのでしょう。のらくろ以外の作品はほとんど省みられないような状態ですが、やはりこの作品は再生されるべきものだと私は考えます。講談社から何度も復刻されていますので、興味のある方はどうぞ。(2000.9.23)

 


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